| 秦尭禹著 『大地の慟哭 中国民工調査』 |
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2008-5-12 00:26
『海つばめ』 第1068号2008年5月4日より
労働者、農民の実態を生々しく
中国の急速な経済発展は、膨大な民工(農民工)の存在なしには考えられない。民工とは、労働力として都市や鉱山等に流入している農民のことである。その多くが賃金労働者として定着している。国家衛生部によると、農村の余剰労働力一・五億人のうち九千八百二十万人が他の産業に転向している。我々はその実態をテレビ等で断片的に知るのみであるが、本書によって彼らが置かれている悲惨で過酷な状態をまとめて知ることが出来る。政府や各省の公的機関の調査・報告の紹介に留まらず、民工の生の声を拾い集めているところに本書の特徴がある。 消費等の生活実態、労働疾病等の健康問題、民工の精神生活、給料未払い問題、就職状況、民工子弟の教育問題、農村での民工の留守家庭状況等、本書が取り上げている問題は多岐にわたっている。 北京や上海等の大都市ではビジネスビルやマンションの建築ラッシュに沸いているが、その建築現場を支えているのが民工である。いわゆる3K仕事は彼らが担っているのである。彼らの給料は、年末一括払いになっており、それ以外は月ギリギリの生活費が支給されるだけである。そのため、手許に金がないと、現場のボス(班長)に前借りしなければならない。給料は「人質」になっているのだ。 多くの企業では、「グループ会計」制度を取り入れている。「建築施工業者が作業の質と工程の進捗速度により、グループに給料を支払い、それを民工個人へと支払うのである」。したがって、給料が出ない場合、その原因が施工業者にあるのか、プロジェクトの責任者にあるのか、それとも班長にあるのか分からず、民工は受動的立場に置かれている。 建築民工たちが住むのは、二段ベッドの宿舎、臨時に作られた粗末な家屋等である。驚くことに建築中のビルに住まわされる場合もあるという。建築現場に食堂があるが、不衛生極まりない。筆者は、コックが水洗いを省いて切った野菜を無造作に鍋に投げ入れているのを目撃している。また「陳化米(何年も置いて品質が悪くなったコメ)」が民工向け食堂用に使われ、その名も「民工米」と呼ばれていた。食事の質が悪いのに、民工が食堂に行き続けるのは、多くの民工職場で、給料が現金ではなく「食券」=チケット方式で支払われるからである。このチケットでタバコや洗剤などの日用品を買えるが、割高である。そして、この食堂は「請負」方式をとっていて、その管理者の多くは現場の経営者の親族だというのだ。食堂は現場の経営者側に一定の管理費を支払い、低質の食事を高価で提供して暴利を貪っているのである。 民工の健康問題は深刻である。二〇〇四年、国家衛生部は、中国では毎年十三・六万人が労働疾病により死亡し、大部分が民工であると報告している。著者はその原因として、規定時間を遙かに超える長時間の加重労働、防護装置がとられていない劣悪な労働環境、企業の労働環境に対する軽視、そして民工に仕事の危険性と有害要素に対する知識の欠如の四点を挙げている。 二〇〇二年に発覚した広東省東莞市での製靴工場でのヘキサン中毒事件、二〇〇四年に起きた紅蘇省昆山市の電子工場でのトリクロロエチレン事件が紹介されているが、ここで起きた事件は、女子民工の無知につけ込んで、使い捨ての雑巾のように扱う企業の姿が暴露されている。 塵肺は、中国の炭鉱労働者が抱える最も深刻な職業病である。二〇〇二年末現在の塵肺患者は累計五八万人で、そのうち存命者は四十四万人である。二〇〇二年に塵肺を発病した患者は一万二千二百人に達する。民工は、一定期間危険な仕事に就いたあと、潜在的な労働疾病の要因を持って帰省し、農村で発病することが少なくない。彼らは移動が激しいため、治療を受けることが難しい。そのため民工が労働疾病の犠牲者となってしまうのだ。 「職業病防治法」が二〇〇二年に施行されているが、企業経営者が労働疾病の検査や責任を逃れる手段や形式は日増しに多様化しているという。ある雇用主は、故意に労働疾病の実態を隠したり、ごまかしたりしている。労働者は情報を知らされないまま、危険な作業に従事させられている。 給料未払い問題も頻発している。民工は、たえず給料欠配の危険に晒されている。中華全国総工会によると、二〇〇三年末現在の給料未払いは一千億元にのぼるという。新華社が実施したアンケートでは、民工の七二・五%が程度の差こそあれ給料欠配という目に遭っていると答えている。 欠配を受けた民工の多くは泣き寝入りである。行政の労働監察部門の動きは鈍いうえに、民工は裁判に訴えたくても金がないからである。そこで頻発するのは「飛び降りショー」「自殺ショー」と呼ばれる命を懸けた彼らの実力行使である。 政府はこのような状態を放置できなくなり、地方に号令をかけた結果、二年間、給料「清算の嵐」が吹いたと言われるが、ほんの一部の解決に留まる。 ようやく一部で民工の組織化が始まったことが報告されているが、民工が中国労働者階級の一員として組織化されることなくして、彼らの地位の根本的な前進はないであろう。総工会(労働組合)は遂に、〇三年全国大会で正式に民工の問題を自分たちの問題として取り上げることを表明したというが、日本の連合と五十歩百歩のレベル以上ではない。 民工の劣悪な状態は、資本主義社会としての中国の本質を暴露するものであるが、著者はその点を深く追求していない。政府に対し、より前向きな対策を求める社会改良主義者としての立場を超えていないからである。訳者は、これほどの内容の本が発禁扱いされなかったことに驚いているが、不思議ではない。 (PHP研究所刊)
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| 尾崎真理子著『現代日本の小説』 |
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2008-4-11 00:51
『海つばめ』第1066号2008年4月6日
戦後の日本の小説は、1980年代とりわけバブル経済のただ中にあったその後半からすっかり変わった、近代文学は終わった、ポストモダンが始まった、と言われている。小説が変質しただけでなく、小説そのものの可能性が『ユリシーズ』、『失われた時を求めて』などによってすでに汲み尽くされ、後はそれらの縮小再生産でしかない、と言う人さえいる。この年代に、多かれ少なかれ戦争の記憶を語ってきた第一次戦後派、第三の新人、内向の世代から、戦争を知らない新しく登場してきた作家への世代交代も進んだ。そして89年に昭和天皇が死去して、ひとつの時代の終焉を実感させたのであった。 本書は、村上春樹『ノルウェイの森』、よしもとばなな『キッチン』、俵万智『サラダ記念日』と、その後大きな影響を与えた本が出版された1987年を起点として、昨年までの20年間の小説の変質過程をたどったものである。著者は読売新聞文化部の記者で、本書は「創作と出版、文学賞の現場を取材し続けてきた文芸担当記者としての、日々の実感がもとになっている」。 『ノルウェイの森』は、37歳の主人公がビートルズの同名の曲を聞いて、学生時代を回想する形を取ったものである。この曲がはやった70年代は、全共闘の闘争が燃え上がった時代であった。彼はこの闘争から距離をおいており、直子と緑という二人の女性の間で気持ちが揺れ動いている、直子は精神のバランスを崩し、療養所に入り、やがて自殺してしまう。この小説の基調には喪失感があった。小説では直子の死であるが、それ以上に大きい何かが終わってしまった、何かが失われてしまったという喪失感である。経済の高度成長は止まってしまい、左翼政党も労働運動も学生運動もみんな沈滞してしまったことの無意識の反映であろう。こうした喪失感はよしもとの小説にも流れていた。 彼らの小説と俵の短歌とが与えた影響は絶大で、その後の新人賞に応募してきた作品のほとんどすべてが、都市に住む青少年の気分と風俗を、日常使う言葉そのままでつづったものであるという。この応募者たちは、バブル崩壊後の「失われた10年」に成長してきたロストジェネレーションであり、村上らの喪失感に共感したのだろう。 94年に大江健三郎がノーベル賞を受賞した。「西洋のモダニズムの伝統に通暁し、日本の戦後小説に新しい道を開き、現代における人間の様相を衝撃的に描いた」という理由からである。受賞の報を受けたばかりの大江は、記者たちに「広島の被爆体験は二十世紀の人間にとって一番大きな出来事として、死ぬまで文明の問題として考え続けていきたい」と語った。そして受賞記念講演で、68年に川端康成が「美しい日本の私」と題して話したことを念頭において、「あいまいな日本の私」と題する講演をした。大江の小説の主要な舞台は四国の村の森であったが、これは自然そのものの象徴であった。森を出たことが人間の不幸と堕落の始まりであり、文明を発展させてきた結果が原爆であった。人間はみな病み、傷つき、人間としての良いもの、美しいものを失っているとして、魂の救済による人間の再生の願いを描いてきた。もともと大江には資本主義社会の基本的な性格と全体像の認識はなかったのであるが、その彼にも停滞し退廃している日本が、輪郭も骨格も崩れたあいまいなものとして意識されたのである。 04年、共に20歳の金原ひとみ『蛇にピアス』と綿矢りさ『蹴りたい背中』が同時受賞となって大きな話題になり、これらを載せた「文芸春秋」も単行本も爆発的に売れ、「二十歳受賞」後、いくつもある新人賞への応募者は低年齢化し、応募数は倍増しているそうである。前者はパンク少年と同棲し、無目的な日々をもてあまして酒におぼれ、舌にピアスを開け、背中に刺青を彫り、そうした自傷によって自分の存在を異化しようとする19歳の女性を描いたもの。後者はクラスで浮いた女子高生が、人気モデルおたくの男子と軽く心を通い合わせるつかの間の夏を描いた、どうと言うこともない青春小説である。 著者は、大江を現代の「純文学」を代表する作家とし、村上を大江の継承者と位置づけている。他方で、村上らの影響をまともに受けてきた若い書き手たちが、いわゆる「平成口語体」で青少年の風俗を描くだけであり、「純文学」は変質し、アニメなどと同じになってサブカルチャー化している、小説を書くこと自体がファッションになっていると見ている。そして、その理由はパソコンにあると言う。 「平成が深まるにつれ、百年がかりで積み上げてきた日本の近代小説、そのリアリズムの文体と思考は、ガラガラと音を立てて壊れていったように思われる」、「なぜ、このような断層が生じたのか。戦争も貧困も、学生運動も体験していない世代が増加したという、社会の変化も背景にはあるだろう。だが、この事態の要因としてペンを用いる肉筆の縦書きによるものか、ワープロ、パソコンの画面を前にキーボードを介して行われるものかという執筆方法のちがいが、意外に大きく作用しているのではないか……。そんな思いが両世代に取材を重ねてきた実感としてあるのだ」 小説が変質した主たる理由が、社会の変化ではなくパソコンの出現だという著者の「実感」に対しては、浅薄で本末転倒だと言うだけでいいだろう。 (ちくまプリマー新書)
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| サブプライムの実態暴露 |
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2008-3-23 23:44
春山昇華著『サブプライム問題とは何か』
『海つばめ』第1065号2008年3月23日 二〇〇七年になって、にわかに注目を集めるようになったアメリカのサブプライムローン。このサブプライムローンが昨年六月から八月にかけて世界の金融市場を揺さぶった。その後もアメリカの金融危機や景気後退が強まっている。 アメリカの金融危機はヨーロッパや日本にも波及。日本では野村証券やみずほ証券等に多額の損失が発生し、新生銀行は赤字転落を防ぐために本店ビルを売却すると発表した。 こうした全世界を揺るがす問題に発展したサブプライムローンとは何か、ローンを証券化して販売する現在の貸付問題とは何か、そして、サブプライムローンを組み込んだ証券の焦げ付きと住宅バブルの崩壊が金融恐慌へと発展する可能性を明らかにしようとしたのが本書である。 サブプライムローンとは元来、ローンの延滞履歴があるような銀行口座を持たない低所得者向けの住宅ローンであり、収入が低くても真面目に返そうとする人向けのローンであった。しかし、サブプライムローンは当初の目的とは異なった方向に進んでいった。 アメリカの経済は二〇〇〇年のITバブル崩壊以降不況下にあった。この不況を脱する手段としてアメリカFRBは超低金利政策(一%)を採用し、この政策が住宅ローン金利の急低下を引き起こし、住宅販売は増加に転じた。 「不運な巡り合わせはもう一つあった」と著者は言う。つまり、この超低金利により、住宅価格が急上昇を始め、上がり始めた住宅に向かって、株式市場から住宅等の不動産市場へ物凄い勢いで資金が移動するという副作用を伴ったと言うのだ。 その状況に目を付けた金融業界が、普段は相手にしないような顧客にも金を貸し始めた。住宅の担保価値が急上昇しているので、仮に支払ができなくなっても住宅を処分すれば十分に貸した金を回収できると踏んだからである。 アメリカの住宅バブルが絶頂期を迎える二〇〇五〜六年に向けて、住宅ローンの貸出競争や「住宅転がし」が激化していった。その結果、サブプライム層も有力なローン対象者とされ、ついには、月々の収入では到底返せないような高利率の詐欺的な支払条件でローンを組まされていった。ここには日本のサラ金同様と化したアメリカ金融機関の悪徳ぶりが具体的にレポートされている。 こうした住宅バブルを拡大させた要因として、さらに重要なキーワードが住宅ローンの「証券化」にあると著者は言う。 「まず、五〇〇件とか一〇〇〇件といった住宅ローンを、銀行がひとつにまとめ、証券会社などに売却する。その売却されたローンの集合体を証券会社が債券のようなもの(仕組み債)に仕立てる。その仕組み債を所有し配当をもらう権利(持分権)を小口に分け、多数の投資家に販売する。」こうした「証券化」によって、貸す側は金利と手数料を獲得し、ローン自体は他人に売却し(しかも売却益で繰り返し証券化できる)、将来発生する貸し倒れリスクから逃れることができるというわけである。 さらに、証券化による銀行の住宅ローン売却を後押しする要因になったのが、世界の銀行を規制しているバーゼルTやバーゼルUと呼ばれる自己資本規制だと明解に語る。つまり、銀行はローンを増やす場合一定の割合で自己資本を増やす義務を負うが、多数の住宅ローンをまとめてパッケージして、証券化して売ってしまえば自己資本を増やす必要がないからである。 しかし、サブプライムの証券化商品が飛ぶように売れたのはなぜだろうか。証券化商品に対してはアメリカの格付け機関がトリプルAを大盤振る舞いしていたからであった。 こうして、アメリカでは住宅価格は下落しないという神話が作られていったのである。しかし、住宅価格が青天井であるはずがなかった。それまでの浮かれ気分を吹き飛ばす事件がついに起きた。 二〇〇六年十二月に、世界的な巨大銀行HSBCの株価が暴落したのだ。アメリカの住宅事情の悪化などで不良債権が増加したと発表したからであった。 さらに、リスク回避として世界に売却していたサブプライムの仕組み債が不良債権化しているとの恐れが広がり、投資家はサブプライム関係の金融機関から資金を引き上げた。そして、ついに欧米の大手金融機関は資金繰りが付かないとして破綻した。 こうして、昨年七月の世界同時株安後、アメリカの株とドルは暴落し日本やヨーロッパの株も下落し続けている。 今回の金融危機に対して、アメリカFRBや欧州中央銀行(ECB)は無制限の資金供給を行うと発表した。 しかし、これはサブプライムの人々ではなく銀行救済策であると著者は断じている。実際、FRB等が実行した資金投入は銀行や銀行子会社が発行したCP(短資調達手段)に対する買いオペであったからだ。 実に、こうしたCPの担保にまでサブプライムローンが含まれていたことが発覚したのである。まさに、これは著者も指摘するようにアメリカの金融破綻そのものであろう。 (宝島新書) (埼玉・渡辺)
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| 20世紀初頭米国の児童労働を告発 |
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2007-6-13 21:26
ルイス・ハイン写真集『小さな労働者』
『海つばめ』第616号1997年2月2日 ルイス・ハイン(一八七四〜一九四〇)というアメリカの写真家を御存知だろうか? 第一次世界大戦が始まる前の数年間(一九〇八〜一九一三)にわたり、アメリカで働く何千人もの子供たちを撮影した人物である。そのハインの写真と評伝が一緒になった『ちいさな労働者(KIDS AT WORK)』という本が最近出版されたので紹介したい。そこには二十世紀初頭のアメリカの炭坑、紡績工場、ガラス工場、缶詰工場、綿花畑等々で過酷な労働に従事し、資本の欲しいままの搾取にさらされていた「ちいさな労働者」たちの姿がある。
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