| 雨宮処凛 『生きさせろ』 を読む |
| 2008-4-26 23:39 |
『海つばめ』 第1067号2008年4月20日より
「プレカリアートのジャンヌダルク」の異名を持つ雨宮処凜の『生きさせろ――難民化する若者たち』を読んだ(プレカリアートとは Precario=「不安定な」と proletariato=「プロレタリアート」のイタリア生まれの合成語)。 フリーター、パート、派遣、請負など今や1600万人を超える非正規労働者の労働と生活と闘いを描いたもので、彼らのおかれている実態を生々しく伝えていているが、その一節に「愛国心とフリーター」というのがあって興味深かった。 「社会のせいにしたくない」――これは雨宮がフリーターからよく聞かされる言葉だそうだ。雨宮は言う。 「この言葉を聞くたびに私は事態の複雑さに思わず頭を抱えたくなる。……自己責任論が大手を振ってまかり通るなか、自分自身の状況を社会にも問題があるとすることはあまりにも勇気がいる」 「自己責任論」の洪水のなか、「プライド」も働いて、彼らは自分の置かれている非人間的な状況をストレートに「社会のせい」にできず、また「自分が声を上げたところで何かが変わるなんていう、社会に対しての最低限の信頼すら持」てないところにまで追いつめられてしまう、というのだ。 雨宮はインタビュー中、あるフリーターが口にした「もっと貧しい国のことを思うとだいぶありがたい」という言葉を引き、これに自分の過去を重ね合わせてこう続ける。 「私自身、まさにまったく同じことを……。自分が貧しくても、不安定でも、まぁアフリカなんかの飢え死にしているような人にくらべればだいぶマシだ、と思っていた。そう思わないと自分の状況を肯定できないからこそ、そうした。自分自身について、せめて幸福だと思えることが、とりあえず『先進国である日本に生まれた』ことくらいしかないのだ。なんだか過去の自分が可哀想になってきた……。しかし、漠然としたその感覚は、『愛国』にさらりと絡めとられる。私自身も思いきり絡めとられた一人だ。フリーターだった十年ほど前、何を隠そう、二年ほど右翼団体に入っていたのだから……」 ここには虐げられた不安定労働者層の人々が時として容易に右翼の陣営に絡め取られてしまう危うさの一端が語られている。実際、彼女が所属した右翼団体の若者のほとんどがフリーターだったという。 そういえば、ナチスやファシストが台頭し、勢力を拡大する際にも、まさに絡め取り、引き入れ、結集したのは最下層の人々ではなかったか。 ワーキングプアと呼ばれる無権利で非組織の広範な労働者層の出現は既成の労働運動の沈滞、衰頽を打ち破り、労働運動の新たな再生をもたらす可能性を秘めている。 しかし、それは労働者の階級的立場からの一貫した働き掛けがなされてこそであって、もしそれがなかったなら、右翼反動派の台頭に豊かな土壌をあたえる危険性も十分あるのだということ――このことを雨宮の本を読んであらためて痛感した次第である。 (東京・M)
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