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スウィージー・マグドフ「アメリカ資本主義の危機」
ドグマによって損なわれた危機の分析

『火花』第586号1983年4月17日

はじめに

 本書は、アメリカの“マルクス主義″者、P・M・スウィージーとH・マグドフによる最新の著作である(昨年12月刊行)。とはいっても、この二人のコンビによる最近のいくつかの著作――『アメリカ資本主義の動態』『アメリカの繁栄は終った』等――と同様、本書の論文もまた新たに書き下されたものではなく、二人が共同編集する「マンスリー・レビュー」に発表した論文を中心に他誌への寄稿文、大学での講義要綱などをまとめたものである。それ故、内容は体系的とは言い難いし、個々の論文も十分展開されてはいない。
 にもかかわらず、本書が読者の関心を引くとすれば、著者たちがともかくも“マルクス主義”の立場(何故“”つきかは後で述べる)から「アメリカ資本主義の危機」に迫ろうとしているからであり、また扱われている時期が70年代後半から80年代初め(レーガンの登場直後まで)と最近の時期に属するからであろう。

危機と展望

 著者は、序章の中で、50年代、60年代にはアメリカ経済の「無限の繁栄」を確信し、公言していた「実業界、金融界およびそこでの玄人たち」の間に80年代に入るとともに動揺と疑惑が生まれ、強まり、「経済情勢のまじめな観察者や当事者には、アメリカの外部における大規模で増大するドルの累積や国内、国外における負債の負担の増大や、螺旋的に上昇する利子や、投機の激増や、一見終わりなきインフレーションなどに内在する危険を無視することは、もはやできなくなっていた」(5頁)と述べている。
 著者が特に強調しているのは、「最近のアメリカにおける異常な負債の増大」(86頁)である。アメリカの公的及び民間負債の純増は1960年から77年までの間に約十倍にふくれあがり、そのGNPに占める比率も同期間に7.6%から20.0%にまで上昇している。「特徴的な信用波動は存続はしているが、しかしきわめて重要な差異をもともなっている。すなわち信用利用の水準が、一つの景気後退から他の景気後退にかけて、またある景気循環の頂点から次の頂点にかけて、しだいに高まりつつあるのである。景気の後退期にも回復期にもともに、全般的経済水準は、政府と民間諸機関とがますますより大きな信用を注入することによって支えられるようになっている。このような事態の展開の意義は二重である。すなわちそれは、一方で従来の高水準の経済活動にとっての基礎の弱化を反映しており、他方でそれは不安定の増大の前兆をなしている」(86頁)。
 第一次石油危機を契機とする74〜5年不況から米国が他に先駆けて抜け出したのも、「もっぱら、持続的で大量の政府負債の創出に加えて、かなりの窺模での消費者負債の増加によるものなのである」 (91頁)。
 74〜5年不況からの脱出が財政・信用の膨張によるものであり、従って極めて不安定的な基礎の上に立っているという著者の指摘は恐らく正しいであろう。それ故、そうした景気回復は持続せず、80年代初めに入って二ケタ台の物価上昇と不況の深化(スタブフレーション)という形で矛盾を爆発させていったのである。
 著者はまた、連銀当局が「最後の貸し手」として機能し、また連邦政府が大幅な赤字を出し続けることによって民間経済に流動性のクッションを与えるだろうといった理由で信用危機の可能性を否定する弁護論者に対し、そうした見解は、「ほとんど排他的にアメリカの国内経済に関心を集めており、広大できわめて錯綜した国際経済を捨象してそれを扱っているが、アメリカ経済も現実には国際経済に緊密に組み込まれた一部をなしているのである」(日本語版への序言)と正しく批判している。
 実際、無制限ともみえたアメリカの財政信用膨張政策は、――著者が指摘しているように――ドルが「基軸通貨」としての特権的地位を与えられたという戦後の歴史的条件なくしては不可能であったが、そうした拡大政策は、アメリカの対外債務を増大させてIMF体制を崩壊に追いやり、国際信用関係を根底から揺さぶり、いつ大規模な国際金融恐慌が起きても不思議でないような状況を生み出しているのである。
 著者は、戦後のアメリカ及び世界資本主義の繁栄を支えてきた諸条件は今や急速に失われ、「四つの根底的困難」――「過剰投資」「負債の累積」「国際通賃体制の弱体化」「中枢部と周辺部とのあいだの不平等の増大」が発展しつつあり、「体制全体が危機」に陥っているとして、次のように述べている。
 「資本主義の最も深刻な諸矛盾が1930年代以降絶えて生じなかったような有様で表面化しつつあり、しかもこれまで40年間存在していた改良主義的緩和剤の余地は、ほとんど使い尽くされてしまっているのである。資本主義体制の操縦者や支配者たちは、これまでその全盛期を誇ってきた。しかし、ユートピアや万能薬としてではなく、資本主義体制の危機の科学的解明と唯一可能な前方への道として、社会主義の旗を掲げるべき時代が今や到来しているのである」(97頁)。
 我々もまたこうした革命的結論にどんな異論もない。

誤謬と限界

 とはいえ、著者はこうした正しい展望から実践的にも正しい結論を引き出しているかというとそうではない。なるほど、著者は「労働者が頼れる唯一の方策は、みずからの階級利害のために組織をつくり、闘うことである」(173頁)と抽象的には正しい方向を示している。しかし、他方では著者は、「現体制の危機によって最も苦しんでいる人びとと、支配階級のうち比較的先見の明のある人びととのあいだに、階級を超えた同盟が形成される、少なくとも客観的な基礎がある」(189〜190頁)といって、ある種の“統一戦線”に展望を求める。こうしたあいまいな表現が革命インテリゲンチャと労働者の革命党の下への結集という意味で語られているわけではないことは、次に引用するすぐ前の一節から明らかである。
 「独占資本主義の基本的な病は、過剰蓄積への傾向がますます強力となるところにある。いくらかでも完全雇用に近づくと、有産階級が手にする剰余は、彼らが有利に投資しうる量をはるかに超えてしまう。低所得者層の生活水準をさらに切り下げることによってこうした事態を補修しようとする試みは、事態をただ一層悪化させるのみである。実際に必要とされているのは、まさにその正反対のことであり、低所得者層の生活水準を充実させ向上させることである。それはかならずしも個人的消費の増大という形をとらなくてもよい。資本主義的発展の現段階でより重要なのは、むしろ共同的消費と生活の質の大幅な改善である」(189頁)。
 だが「低所得者層の生活水準」の真の「充実」「向上」は、労働大衆への搾取に基礎をおくこの体制の革命的変革なくして不可能であろう。この点をあいまいにして「共同的消費と生活の質の大幅な改善」を謳っても、それは単なる空語であり、何らかの改良主義的実践に導くだけである。「現体制の危機によって最も苦しんでいる人びとと支配階級のうち先見の明のある人びと」の「同盟」が語られているのはまさにこうした文脈においてなのである。それは、いわば「消費者」「生活」者としての「同盟」であって階級的(党的)結集では決してないのである。まさにここに著者のインテリ的な限界が集約されていると言うべきであろう。
 さらに、189頁から引用した部分には、著者の理論的誤りがあらわれている。それはひとつには、過少消費説の裏返しとしての消費拡大による経済の繁栄という思想(つまり社共の思想だ)であるが、もう一つは、独占資本主義は剰余価値の有利な吐け口を見出すことができず必然的に停滞するというドグマである。
 後者の点については、著者は、自らの理論を「過剰蓄積」論と名付け、「独占資本主義のもとでは、有利な投資のはけ口を見出しうる以上に多量の剰余価値が生産される傾向が強く持続的でしかも増大している」(234頁)「そのような状態に達すると、……結果として産出と所得の下落――ないし成長率の減速――が生じ、それにともなって失業が増加し、生産設備能力の利用度は低下することになる。そしてこうした状況が、次いで投資や経済成長にいっそうの制動効果を与えるのである。こうした一連の諸傾向は、持続的でもあり、強度が増してゆくものでもある」(同)と述べている。
 つまり著者によれば、独占資本主義にあっては「停滞が通常であって、好景気は例外」(235頁)なのであるが、しかし、独占資本主義=停滞というこうした批判は、ある種のドグマでしかないであろう。
 確かにレーニンは、『帝国主義論』の中で独占は「不可避的に停滞と腐朽の傾向を生み出す」と述べ「帝国主義に固有の寄生性」を強調した(国民文庫、128頁)。
 しかし、同時に、レーニンは次のようにも述べている。「この腐朽の傾向が資本主義の急速な発達を排除すると考えたら、それは誤りである。いや、個々の産業部門、ブルジョアジーの個々の層、個々の国は、帝国主義の時代に、程度の差はあれ、この二つの傾向のうち、あるときは一方を、あるときは他方をあらわすのである。そして全体として、資本主義は以前よりもはるかに急速に発達する。だがこの発達は総じてより不均等になるばかりでなく、不均等はまたとくに資本力の最も強大な国(イギリス……現代ではアメリカ・引用者)の腐朽のうちにあらわれるのである」(同161頁)。
 戦後の資本主義の発展過程を一べつしただけでも、独占資本主義の特質を停滞に一面化するのは誤りであり、正しいのはレーニンの見解であることは明らかであろう。スウィージーたちは、腐朽性を強めるアメリカ資本主義の経験を一般化して、一面的なドグマに陥り、かくして独占資本主義の全面的な批判からそれていったのである。
 本書はこうした点で重大な理論的欠陥(と実践的結論の誤り)を含んでいるが、アメリカ資本主義の危機を解明する一つの試みとしてまた「供給の経済学」に対する批判やアメリカの外交政策の経済的基礎の分析などを含んでいる点で一読に値いするものがあることは確かである。
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