| 向坂逸郎編『マルクスの批判と反批判』 |
| 2007-8-2 20:01 |
興味深い価値や窮乏化めぐる論争
『海つばめ』第795号2000年10月22日
本書は、新潮社版の『マル・エン選集』の第十六巻で、マルクスへの批判と反批判を扱っている。出版されたのが六〇年前後で当時の時代的制約を抱えてはいるが、マルクス主義をめぐる主要な論争を盛り込んでいる。
全体は四編に分かれていて、第一編は「唯物論」でサルトルとルカーチの論争を取り上げ、弁証法的唯物論への批判に答えている。、第二編は「上部構造の諸問題」として「国家の階級性」と「芸術の階級性」が論じられている。第三編は「『資本論』の諸問題」として価値と生産価格の問題、窮乏化問題、再生産表式論、利潤率の傾向的低下の法則、地代論争が扱われている。第四編の「マルクシズムと現代資本主義」では修正主義論争、農業問題、生産性向上運動、大衆社会論となっている。 見られるように、問題は多岐にわたり、小泉信三やベルンシュタインの主張も盛り込みつつ、マルクス主義の立場から反批判を加えるという形式となっている。ここで論じられている問題は、決して古くさいものではなく現代的な諸問題を浮かび上がらせている。
ここでは。第三編の価値と生産価格、それに窮乏化論を紹介する。
まず、価値と生産価格の問題では、戦前の問題を扱った「価値論争史」が注目される。戦前の価値論をめぐる論争は、小泉信三・河上肇・櫛田民蔵の三人を中心に展開された。小泉がベーム・バヴェルクに依拠し、価値と生産価格(第一巻と第三巻)の矛盾を言い立て、河上が商品価値とは「労働および苦心の一定量」という主観的な価値論を提唱し、それらを櫛田が批判するという形で展開された。そしてこの論争は、結局「小泉・櫛田論争」に集約されるとしている。
櫛田は、冒頭の商品を歴史上の単純商品と見なし、そこでは価値法則が貫かれること、この分析のうえに剰余価値の生産やその諸法則があること、生産価格はたしかに価値から偏倚するが、平均利潤もその社会で生産される剰余価値量を離れて存在しえないこと、生産価格を支配するものは価値法則であることを明らかにした。
櫛田は次のように述べている。
「価値法則なるものは元来特定の生産関係の結果にすぎないものであるから、すでに生産関係の変化したところにおいては、価値法則もまた一定の変化を受けることは自明のことである。この見地においては、マルクスの所謂『価値の生産価格への転化』ということは、多く怪しむに足りないことなのである。従って価値法則と平均利潤との矛盾ということは、たまたま事実の矛盾を如実に示すものに他ならぬ。資本家社会の現実暴露を目的とするマルクスは、この事実を如実に示したのである。そして、その何故に矛盾するかを理解するためには、矛盾する二つの事実そのものの間に一定の連絡を求めねばならぬ。これ即ち価値法則それ自身に基づく価値法則の矛盾の解決である」
「小泉氏は、平均価格としての市場価格が、何故に一定の高さにおいて決まり、何故にその他の高さにおいて決まりえないのかの理由をいかにして説明するのか。これを説明するには、氏の立場では経済上における競争の意義を転じてまったく個人の主観的動機に帰着せしむるより他に方法はない」
もちろん、冒頭の商品を歴史的な単純商品と一面化すべきではないであろう、それは資本主義社会の商品を抽象した単純な商品でもあるからであるが、彼の小泉批判は原則的である。こうした櫛田の小泉批判から学ぶものは少なくないであろう。
また窮乏化論では、資本主義的蓄積の進行が労働者階級に及ぼす作用は「窮乏、抑圧、隷従、堕落、搾取の度が増大すること」を示すとともに、そのもとで「訓練され、結集され、組織される労働者階級の反抗」の増大に転化するとして、資本主義的蓄積の一般法則の中で窮乏化を位置づけるべきだと強調している。
この意味では、余り狭い意味での「窮乏化」「貧困化」として扱うべきではないということである。すなわち、資本主義的蓄積は、生産物を資本として生産する労働者側における貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的頽廃の蓄積に他ならないが、同時にそれは「たえず膨張しつつ、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され、結集され、組織される労働者階級の反抗」の増大に赴かせる契機も含んでいる。
著者は、次のように言う。
「ただマルクスの反対者の側からマルクスの『窮乏化論』について批判がおこなわれ、反批判者側もきわめて不用意にマルクスの『窮乏化論』について反批判し、主として労働者が狭い意味で窮乏になっていくのを立証しようとした。しかし、問題は『資本主義的蓄積の一般法則』の理解にあった」
つまり、資本主義社会における窮乏化は事実であるが、それを余り狭く理解せず、「労働者の状態の悪化」ととらえるべきだ、さらに資本主義では労働者がどんどん窮乏化し、堕落して闘いの意欲も喪失してしまうかに機械的に論じるべきではない、そうした窮乏化の中で労働者の闘いの展望や契機を見出して行くべきだ、ということである。こうした指摘は、「窮乏化論」への基本的に正しい接近の仕方であろう。
また、生産性向上運動への批判では、協会派的な組合急進主義の傾向も見られるが、全体としては現在の闘いにも通じる興味深い論文が並んでいる。
なお、本書は絶版となっており、図書館か古本屋で見つける以外にない。
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