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レマルク著『凱旋門』
不安と絶望の時代を芸術的に

『海つばめ』第529号1995年4月9日
 難しい本ばかり紹介されているので、今回は小説を取り上げて見たい。
エリッヒ・マリア・レマルクは私の好きな小説家の一人で、彼の十ほどの長編小説は、古本街など懸命に探し求めてすべて読んだ。「汝の隣人を愛せ」「凱旋門」「愛する時と死する時」などがもっとも気に入っている。もちろん処女作の「西部戦線異常なし」も悪くない。
 レマルクは戦争と平和の作家である。彼は第一次世界大戦と第二次世界大戦という人類史上かつてなかった大戦争を二つながら経験し、特に第一次世界大戦にはまだ十代ながら志願して参加、現代の戦争というものの真実を身をもって体験した世代であり、その後のナチズムの台頭と勝利、そして第二次世界大戦を、深い絶望とともに迎えた世代である。
 彼は反戦作家として登場し、後には、反ファシズムの立場を文学的に貫いたが、しかし彼は「西部戦線……」以来、決して大上段に反戦、反ファシズムを呼号したわけではない。彼の反戦、反ファシズムは、大きな歴史の流れに押し流されて、運命にもてあそばされていく個々の“弱い”人間に対する深い同情とペイソスに満ちあふれた抑制されたものである。しかしもちろん、そこには内に激しく燃えるものがある。
 ここで紹介する「凱旋門」は、ナチスに追われ、パリに流浪する、人目を忍ぶドイツ人外科医の物語である。彼はすでに四十歳を超える中年であり、人間とその社会のもっとも野蛮で醜悪で“獣的なもの”を見てきたのだ。
 彼を動かす情念は、かつてドイツで友人の逃亡を助けた彼を拷問し、また彼の恋人を辱め、死に追いやったナチスのハーケに対する、個人的な復讐心である。
 二十世紀は何という希望と恐怖、野蛮と人間性にあふれた時代であったことだろう。そして私は、帝国主義戦争とファシズムの恐怖と野蛮の時代を描いて、レマルク以上の文学的な証人を知らない。
 にもかかわらず、レマルクの小説は我々に希望と勇気を与えてくれる。それは作者が決して人間に対する信頼と愛情を失っていないから、希望を失っていないらかではないだろうか。彼はどんな時にも、人間を深く愛している。ナチスのようなひどい人間がいるが、他方では、我々を絶望から救ってくれる人間もいることを知っている。彼はそうした人間を愛情をもって描くのだ。
 ここでは、主人公は個人的にファシズムと闘うにすぎない。動機はあくまで自分個人の憎悪であり、復讐である。これは一切の道徳とか政治的な配慮を超えたテーマとして、我々に迫って来る。ここにはまさに個人的なものを超えた、普遍的なものが感じられる。レマルクの描く人間が、素朴な、理屈抜きのヒューマニズムに貫かれているからだろう。個人的な動機も復讐もまた、単純であり、象徴的な意味をもって、有無をいわさない力で我々の心をひっつかんで来、我々は主人公に熱く同情するしかなく、またレマルクのファシズムに対する憎しみの深さを実感するのだ。
 大きな歴史の流れの中で、人間性を蹂りんされ、不安と絶望の中で、国を追われてさすらうしかない人々を、レマルクは本当の愛情をもって描いている。これは「汝の隣人を愛せ」の舞台だ。そして「凱旋門」はその延長であるが、しかしここでは、個人的な復讐という形ではあれ、ナチズムとの積極的な闘いが提出されている。そして「生命の火花」では、この抵抗はいっそう発展させられているが、しかしそれはドイツの強制収用所の中での抵抗という絶望的なぎりぎりの境遇の中でのものである。我々は実際、1933年に世界の労働運動がナチスに敗れて以来、こうした闘いと抵抗の形しかなかったのか(とくにドイツでは)、という苦痛に満ちた想いに駆られるのだ。階級闘争には決定的な瞬間というものがあることを、我々は思いしらされる。
 主人公は“個人的な”復讐を果たすが、そのことでどんな良心の科も自覚しないで、一種の解放感、何か拘束された執着心、固定観念からの解放を感じるだけである。
 レマルクの描くものは、この二十世紀のまぎれもない現実である。現在の人々は――とりわけ、第二次世界大戦後の世代は――、レマルクの小説に描かれたものが、現代の本質的な一側面であるということを承認しないかもしれないが、しかしそれは二つの大戦が人類を席巻し、そして労働者階級の社会主義運動や多くの革命と、反動や支配階級の狂気が交錯し、せめぎ合った二十世紀の現実であり、レマルクはそれを見事に描いたのである。それはまさに昇華された芸術的な表現に達していると言える。
 レマルクの小説はこの悲惨と絶望の現代を描いて、決して暗い、陰惨な陰は全然ない。反対に、それは我々に人間の“獣的な”卑しむべきものに対する限りない憎しみの感情を与え、反動とファシズムに対して徹底的に、より有効に、より組織的に闘わなくてはならないという決意を固めてくれる。
 私がレマルクの小説が好きであるのは、例えば、「苦しいときには、少しのことにも慰めを見つけるようにしなくちゃいけない。古い兵隊の掟ですよ」といったすてきな言葉を、いくらでも見出すことができるからかもしれない。レマルクの小説は二十世紀の奇跡とも思え、私自身、その意味を十分に考える必要を感じつつ多忙にまぎれ、今にいたるも果たしていない。レマルクの小説の翻訳はほとんどすべて、“トロツキスト”であった、今はなき山西英一のものである。彼の冥福を祈る。
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