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『ドブロリューボフ著作選集』(鳥影社)
ドブロリューボフの愛国心論に学ぶ
『ジェレプツォーフ氏のでっち上げたロシア文明』を読んで


『海つばめ』第734号99年7月18日
 『ドブロリューボフ著作選集』(鳥影社)の第五巻に入っている論文「ジェレプツォーフ文明」(一八五八年)において、ドブロリューボフは、“二流のスラヴ主義者”であるジェレプツォーフの著作「ロシア文明史試論」(一八五八年)をとりあげ、スラヴ主義者の反動的思想に公然と反対しつつ、愛国心や公共の福祉、歴史観等々の問題を論じてロシア人民の闘いの方向を明らかにしている。愛国主義、国家主義が再びはびこりだした現在、百数十年前の徹底した革命的民主主義者からも、学ぶべきことは多い。
 一八四○〜五○年代のロシアにおいて、スラヴ主義者と西欧主義者の二つの潮流の対立・論争があった。
 スラヴ主義者は、ギリシャ正教の教えにもとづくロシア人の従順さ・非政治性の精神、農村共同体のもとでの社会的共存の原則等々のロシア的発展の特殊性を根拠に、ピョートル一世以前の真のロシア的民族原理に立ちかえり西欧とは異なった独自の道を歩むべきだと主張した。他方、西欧主義者はロシアの遅れた専制的封建的体制を批判し、ヨーロッパ的(資本主義的)発展の道を進むべきだと説いたのである。しかし本質的にはこの二つの潮流はメダルの裏表であり、農奴制の動揺・危機と人民の覚醒に直面して、ともに「地主的・貴族的、ブルジョア的自由主義者として基本的に農奴制の支持者であり、農民の暴動を恐れ、西ヨーロッパの革命のロシアへの波及を恐れ」、ただ「農民への譲歩の程度と形式について論争した」(金子幸彦)のであった。
 ドブロリューボフによると、ジェレプツォーフの著作は「テーマの選択が、疑いもなく彼の愛国的な感情によって暗示されたもの」である。
 だが、その意味が余りはっきりしないままに多くの人によって濫用されている愛国心とはそもそもなんであるかと問いかけて、「愛国心は、その純粋な意味では、人類に対する人間の種的な愛の現れの一つとして完全に自然で正当である」とドブロリューボフはいう。
 「それはぼんやりした無意識の感情として、認識力の最初の発達とともに、幼児が自分自身を外部の対象から区別し始めるや否やすぐに幼児に現れる。……彼の中には、自分に最も良いものを求めさせるエゴイズムが存在するし、また、群棲種の動物の全ての場合と同様に、ぼんやりした本能があって、最も良いものは孤独の中にではなく、自分自身の中にでもなく、他の者との集団の中にこそ見つけられるのだということを密かに教えている」
 ここには、何ら神秘的なものはない。愛国心の起源は、同じ種類の生物が群棲する社会生活の最も原初的な形式から生まれる社会的本能(種的な愛の現れ)にあるという、唯物論的な説明がある。
 ドブロリューボフは続けていう――愛国心は、その最初の現れにおいては「故郷の野や山、/懐かしい故郷の空の光、/懐かしい早瀬、/幼い日の幸せな遊び、/それに、幼い日の勉学」というような愛好以外のどんな形もとっていないが、「その後の発達で彼の見解が新しい観念の獲得によって拡大すると、以前には全く完全だと思われていた事柄の良い面と悪い面を区別する活動が始まる。このようにして、……人間は無条件の偏愛をすて、まず自分の生まれた家族、自分の村、自分の郡について、その後、自分の県、他の県、第三の県、首都等々についての正しい見解を得るのである。その結果、ついに地方的な偏見はすてられ、すでに民族的もしくは国家的に共通の特色となっているものだけに熱中する」ようになる。
 しかし正常に発達しつつある人間は、愛国心の現れのこの段階にもとどまることはできない、自分の民族や国家という思想から、他の諸民族の研究によって、全体としての民族および国家という合理的で明瞭な思想にまで高まり、「結局、人類という抽象的な思想を理解するようになる」とドブロリューボフはいう。「諸民族の歴史が進行する共通の、恒常的な法則について理解し、人類に共通の必要と要求を理解するまでに自分の世界観を広げた人間」は自分の見解・確信を実践的な活動の場に移したいという必然的な欲求をもつが、人間の活動範囲は限られていて、その最も自然な活動の場として祖国が選ばれるのであり、したがって真の愛国心は「人類愛の部分的な現れ」なのである。
 革命的民主主義者のゲルツェンを、レーニンは「弁証法的唯物論のまぢかに近づき、史的唯物論の前で――立ちどまった」(一九一二年「ゲルツェンの追想」)と評したが、遅れた農民国という時代的制約のもとで活動したほぼ同時代のドブロリューボフにもこれはあてはまるだろう。
 ドブロリューボフは、愛国心も社会的経済的条件に規定されて生ずるのであり、時代の変化にともなって異なった内容をもつことを明確には語らなかったが、しかし、「真の愛国心」といえどもそれは「人類に対する共通の愛の制限である」という洞察をした。ドブロリューボフの言う人類愛、真の愛国心は、現代ではプロレタリア国際主義として受け継がれているものだろう。
 他方、「えせ愛国心」(現代ではブルジョアジー・国家主義者のものである)について、それは「自分と自分のものに対する愚かな愛の可能な限りの拡大であり、従ってまたそれはしばしば人間憎悪に近い」ものだと鋭く暴露し、「彼らは自分と同じ国の人間をできる限り搾取しようとしているが、それは、たとえ外国人を搾取するよりもまだ多くはないとしても、しかし決して少なくもない。社会にとって有害で、恐らく国家全体にとっても有害な醜行であっても、自分たちにとって個人的に有利であれば、何でもやりかねないのである。もし彼らが、自分の祖国の中のたとえ小さな一片の土地に対してであれ、自分の権力を示す可能性を手にいれようものなら、彼らは侵略した土地に対するような処置をこの土地に対してとるであろう。しかしそれにもかかわらず、彼らは祖国の栄光と偉大さについて叫ぶであろう」と糾弾する。まことに、「個々のブルジョアが個人主義に立脚すると同様に、個々のブルジョア民族は民族主義に、個々のブルジョア国家は国家主義にそれぞれ立脚するのであり、かくして民族とか国家といったものの本性が暴露される」(五月十六日『海つばめ』主張)のである。
 ところでジェレプツォーフの「ロシア文明史」だが、これはドブロリューボフによると、著者は「西欧でこの上なく醜悪に造られている文明をロシアがそこから借用したことにロシアのあらゆる災厄の原因があるという思想」を至るところで表明しようと力んでいて、「歴史的事実を何と容易にねつ造していることか! それに、そのような虚構、歪曲、粗雑な誤りがページごとに見つか」る代物である。
 ジェレプツォーフの主張は結局、「ピョートル以前のツァーリ時代におけるロシアの民衆の教養は、ヨーロッパの他のあらゆる国よりもはるかに高かった」、ところが「ピョートルが突然ロシア文明の方向を変え、真に国民的なものの発展にまる一世紀にわたる停滞、さらには後退さえももたらせた」、「古代ルーシでは、少なくとも家庭生活が社会の不完全さを全て補っていたではないか! そこには平和と愛が支配していたし、そこには夫に対する妻の従順、両親に対する子供の尊敬、主婦の家庭上手、娘の恥じらいと純潔、神への畏怖と人々に対する純愛があった。……なぜピョートルはこれら全てを、その舞踏会や夜会で、社交的な慰安で、さらに古代ロシアの家族を家庭生活から引き離した、あの外国の作法や習慣によって破壊したのか」というところに集約される。
 階級対立が激化するところ、いつの世にも厚顔無知な“自由主義史観”をふりまく反動主義者、国家主義者がはびこるもので、これに対してドブロリューボフは正当にも「ピョートルの改革についても、それが全て合法則的で自然な現象であり、歴史的な必然性によって引き起こされ、先行する古代ルーシの発展自体によって制約されている」のだと批判する。
 そして「本質において、わが国の歴史は決して急に中断したりはしなかったし、また中断することもできなかった。わが国の歴史の中でピョートルの改革がもたらした大変革は、いかに急激で激しく見えようとも、もしそれをもっとよく熟視すれば古代ルーシの息の根を止めはしなかったことが分かるであろう。……以前にも人間は泣いていたし、/以前にも血は川のように流れていた」ことを暴露し、ただ搾取と抑圧支配のやり方が変わっただけであって、「時代遅れの幻想によっては、この憂欝な状況から逃れられないであろう」と、ツァーリ・農奴制との新たな闘いを呼びかける。ここには、西欧主義者や貴族的自由主義者への批判も含まれているだろう。
 ドブロリューボフはまた、社会的歴史的過程の発展と階級闘争の関係について明確に語ってはいないが、しかし、貴族政治と民主政治の闘いの基礎にあるのは「労働している人々と寄食者どもとである。寄食者をなくして労働を絶賛すること――ここに歴史の普遍的な動向がある。……奢侈が社会的不道徳の特徴であるのは、一人の寄食者を扶養するために、多くの勤労者の血と汗が費やされねばならないという、悲惨な社会状態をそれが示しているからである」ことを見抜いていた。
 ドブロリューボフが本格的な闘いをはじめたのは、農奴制が揺らぎ、アレクサンドル二世が上からの自由主義的改革に手をつけはじめた時期である。ドブロリューボフが革命的民主主義者でありえたのは、そしてまた勤労人民の革命的な力に信頼を寄せ、その利益を擁護する闘いの先頭に立ちえたのは、スラヴ主義者への批判だけでなく、「世論、教養、その他の福祉」等々による穏やかな改革・漸進を説く西欧主義者を厳しく批判(一八五九年『モスクワからライプツィヒまで』)し、さらにツァーリの改革に幻想を抱く貴族的ブルジョア的自由主義者(現代のわが共産党である)をも、ゲルツェンが恐れをなすほどに痛烈に批判したことによってである。
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