| 三宅義夫著『マルクス・エンゲルス/イギリス恐慌史論』 |
| 2007-6-27 19:44 |
恐慌に関する論評を紹介
『海つばめ』第897号2002年12月8日
バブルがはじけて十年余りになるが、日本資本主義は依然として出口のない不況の中で喘いでいる。こうした中で、マルクスやエンゲルスが恐慌についてどのように論じていたかを振り返って見るのも無駄なことではあるまい。 十九世紀のイギリスでは、その前半においては二五年、三二年、三七年、四二年と五年周期で、中盤においては四七年、五七年、六六年とほぼ十年周期で恐慌が勃発した。本書はこうした中で、四七年(第一編)、五七年(第二編)、六六年(第三編)、さらにそれ以降(第四編)の恐慌について、マルクスとエンゲルスがどのように見、論じているかをまとめたものである。
第一編は『資本論』における四七年恐慌を扱っている。この編は当初の目的が「『資本論』第三部第五編を読み解くための参考」として書かれたものという事情もあって、四七年恐慌の直前の繁栄の時代、鉄道投機や穀物投機、バンク・レート(公定歩合)や木綿・小麦の生産量や貿易額の推移などについて詳しく説明されている。
また、四四年に制定された銀行条例については、『ニューヨーク・トリビュン』(二編に入っている)にのったマルクスの明快な説明が紹介されている。すなわち、イングランド銀行には発券部と銀行部の二大部門があるが、前者は単なる銀行券の製造所であり、後者が真の銀行として銀行券を市場に投ずる役割を担っている、発券部は一千四百万ポンドの銀行券を自由に発行することができるが、それ以上は金準備の裏付けが必要となる、この規定によって紙券は金属流通の法則に従うことになり、貨幣恐慌は一切回避される(いわゆる貨幣数量説)はずであった。マルクスはこの仕組みについて二つの部局の仕組みを調整するだけで、決して銀行部と外界との流通を調整するものではない、この銀行法は「平時の時には少しも作用せず、困難な時期には商業恐慌の結果生じる貨幣パニックに、法律によってつくりだされた貨幣パニックを付け加える」と喝破している。こうした指摘は『資本論』第五編を理解するのに役立つであろう。
第二編は、五〇年代のマルクス・エンゲルスの「往復書簡」と『トリビュン』の論説が中心である。四八年の革命のあと、マルクスとエンゲルスは次の革命は新たな恐慌と結びつくに違いないと考えていたこともあり、再三にわたって恐慌の前兆について語っている。五〇年代のイングランド銀行の金準備やバンク・レートの動き、東方問題(露土戦争)、五五年以降のフランスやドイツの金融逼迫とイギリスへの影響、さらには貨幣パニックなど、五七年十一月に銀行条例が一時停止されるまでの様々な問題に言及している。こうした諸問題の分析が『資本論』(第一巻が六七年に出版)に生かされていることを読みとるのは困難ではない。
第三編は六一年から六五年にかけてアメリカの南北戦争があった関係で、綿花についての分析(綿花飢饉、綿花恐慌)が目立っている。六六年恐慌は、フランスの危機に気を取られていたら、突然イギリスに恐慌が波及した様子を明らかにしている。
第四編は七〇年以降のマルクスとエンゲルスの記述で、恐慌の発現形態が従来とは少し異なってきたこと、イギリスの「産業独占」が崩れ、米国やドイツも競争に加わり、過剰生産が国際的に広がり、イギリスでは「慢性的な沈滞」が続いていると述べている。
もちろん、エンゲルスは「慢性的不況」「中間恐慌」について述べてはいるが、一般的な恐慌の可能性を否定しているわけではない。例えば、八五年のダニエルソンへの手紙では、「この長く続いている慢性的不況は、これまでかつて見たことがないような狂暴さと規模をもった崩壊を準備しているに違いありません」と述べている。
本書が四七年以降の恐慌についてマルクスがどのように発言したかに焦点が置かれていることもあって、その時期における具体的な紹介はそれなりに面白いのであるが、恐慌の原因そして過剰生産に代表される資本主義な矛盾がどのように深化しているかといった理論的な問題での言及が弱くなっていることは指摘しないわけにはいかない(一編を除くとしても)。
例えば、著者は恐慌の周期性、その循環性にこだわっているかであるが、現在の我々には五年周期であるか十年周期であるか、それが「数学的な確度で予想できるか」などといったことはどうでもいいことであろう。それよりも、恐慌がどんな諸契機で現実化するか、その本当の原因は何かといった分析の方が興味をそそられるのである。
そしてなぜ当初の五年周期が十年になり、またその後「慢性的な沈滞」とか「中間恐慌」(エンゲルス)といった事態が必然化したか、さらには恐慌として爆発しなかったとするならその矛盾はどのように深化拡大していったかを究明を究明すべきであるが、こうした観点からの言及は本書にはほとんどない。
こうした不満(欠陥?)は残るのであるが、マルクスやエンゲルスが四七年以降の恐慌についてどのような発言をしていたかを見ることはできる。
(大月書店刊)
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