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都築忠七著『エリノア・マルクス』
「革命の娘」の生涯描く

『海つばめ』第822号2001年5月20日
 改めて断るまでもないだろうが、本書の主人公はマルクスの末娘であるエリノア・マルクス(愛称トゥッシー)その人である。本書(最初は英文で書かれ六七年に英国で出版された)は著者によると、「この書物は、エリノア・マルクスの最初のフル・スケールの伝記だったため、予想外の反響や批評に恵まれた。二つの外国語訳――イタリア語訳とドイツ語訳――も現れた。恐らくは悲劇と呼べる主題のドラマ的特質のため、本書の劇化も二つほど試みられた」という。七七年にはBBCが三回シリーズでTVドラマ化したこともあったというから、とりわけヨーロッパでは大きな関心を持たれたようである。
 著者はエリノアについて「主に、傑出した父親の娘として語られてきたのは、避けられないことだろうが、不幸なことでもあった。彼女の生涯は、感動を呼ぶ緊張の一生だったが、父親の名声の陰にかくれ、それだけ印象の薄いものになったからである」と述べ、エリノアの感動的な生涯――マルクスの三人の娘のなかで彼女が一番父の気持ちを受け継ぎ、勇敢で率直な社会主義の闘士へと成長した――とその悲劇を描いている。
 エリノアの悲劇について著者は「彼女の高貴な人間性が、エイヴリング(エリノアの夫、ただし正式な結婚はしていない)のエゴイズムによって圧倒されたことにある、と思われる」と書いており、そのエゴイズムは「堕落した資本主義にすべての責任を転嫁するある種の社会主義的装いのほかに、詩的な、流麗な功利主義ともいえる自己主張を含んでいる。こうしたイデオロギー的な見せかけの議論は、彼自身好んで用いたものだった。結局、彼のエゴイズムは、金銭的なものであれ、性的なものであれ、背徳者のそれであった」という。
 エイヴリングとはどのような人物だったのか。本書ではいろいろな証言が出てくるが、たとえば二人の友人であったオリヴ・シュライナーは友人への手紙の中で「彼の近くにいると、背筋に恐怖と嫌悪を感じます。彼に会う毎に、尻込みする気持ちが強くなります」と書いている。あるいは社会主義の歴史家マックス・ベアは回想記のなかで「エイヴリングは低級な喜劇役者だ、と直観が私に囁いた。事実、彼はそのように見えた」そして「彼女は、エイヴリングではなく、誰か偉大な人物と結婚すべきだった」とまで言っている。
 エリノアもエイヴリングの評判の悪さは知っていたが、彼女を生まれたときから知っているリープクネヒトによると、「評判が悪ければ悪いほど、真価は一層輝かしくみえる」「そこでまさにエイヴリング博士の評判の悪いことが、彼がエリノアの同情をかちとるのを助けた、といっても過言ではない」と証言している。どんな理由かは伺い知るすべもないが、いずれにせよ彼女はエイヴリングに献身的な愛情を捧げ続け、最後にエイヴリングが別の女性と正式に結婚したのを知り、自ら毒をあおり、その生涯を終えるのである。
 しかしエリノアの生涯を語る際、何より強調されなければならないのは、彼女の社会主義への情熱と貢献であろう。事実、父の革命への情熱と才能を一番受け継いだのがエリノアであり、社会主義に身を捧げ、疲れを知らぬ闘士に成長した。
 エリノアはロンドンのイースト・エンドの不熟練労働者の前で熱弁をふるい、彼らを組織し、指導した。マルクス主義インターナショナルが復活したとき、その成功の基礎となった交渉や協議を手際よく進めたのも彼女だった。そしてまた新しい大衆的な労働者党を設立しようと奮闘もした(これらの多くはエイヴリングとの共同作業でもあった)。彼女は姉に書いたことがある。「子どもの頃から私たちはプロレタリアにわが身を捧げることがどんなことか知っていました」。マルクスは「トゥッシーは私だ」と言ったというが、確かに彼女はプロレタリア革命の父の娘、「革命の娘」そのものであったといえよう。
 エリノアが指導したロンドンのガス労働者たちからは信望も厚く、いつも「私たちの母」と呼ばれ、ガス工組合の最初の大会で大会書記長を務めた彼女は満場一致で執行委員に選出され、採択された組合規約の大部分を作成した。ロンドン港湾労働者や機械工組合の争議の際には、彼女は他国の労働者や社会主義政党らに呼び掛け、カンパや援助を集めるのに奮闘し、組合から「彼女はわれわれと大陸の労働者組織とをつなぐ貴重な環になった」と称えられた。
 またパリ・コミューンの記念集会で演説した彼女は、モリス、カウツキー、クロポトキンといったそうそうたる演説者を向こうにまわし、その場にいた人から「私の聞いた最も素晴らしい演説のひとつ」と称賛された。
 さらに彼女はSDF(社会民主連合)の機関紙に「インターナショナル覚書」を書き、ロシア労働者階級解放闘争同盟の活動を初めとして他国の労働者階級の活動をイギリスの労働者に紹介し続けた。
 ジェームズ・モーナリーは「古い」型の組合指導者で、決して社会主義者ではなかったが、インターナショナル・ロンドン大会でエリノアを知り、労働者の大義に対する彼女の混じりけなしの献身にひどく感動し、次のように言う。「彼女について私が見たことから、彼女の仕事には真心があり、彼女ほど労働運動の福利のために働いた人はない、と確信します」
 「万国の労働者よ、団結せよ!」父親が掲げたこの国際主義の精神を、エリノアは生涯にわたり実践し続けた。毎春、父の命日に欠かさずハイゲートの墓地を訪れ、花を手向けていたエリノアだったが、彼女の遺骨は夫から見捨てられたあげく、あちこちたらい回しにされていた。しかし現在は両親と共にハイゲート墓地に納められているという。
(みすず書房刊)
(八鍬)
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