1999年12月19日■「海つばめ」第754号

その日から70余年の時が流れて、今なお・・・・・・
 押入れを片付けていたら、国土社『少年少女科学名著全集』(全二十巻)の第七巻が出てきた。1960年代の半ばに発行されたものだが、子供に読ませてもいいと思って何年か前に古本で買ってきて、仕舞い込まれたままになっていたのだ。
 杉浦明平『神話と魔術からの解放』、森島恒夫『ガリレオの生涯』、中野五郎『裁かれた進化論』、新田次郎『千里眼』、松田道雄『常識の生態』の五編が収められている。科学と宗教的迷妄との闘いをテーマにしたものだが、錚々たる執筆陣に惹かれてつい読みふけってしまった。
 『裁かれた進化論』は、1925年の夏に全米にセンセーションを巻き起こした「モンキー裁判」を描いたものである。新聞記者出身の中野はジャーナリスティクなタッチでこの「珍事件」を生々しく再現している。
 この年の3月21日、南部十州でもとりわけ宗教的偏見の根強いテネシー州の議会は公立学校において進化論を教えることを禁止する法律を可決し、即日公布した。
 「いかなる教師も、聖書の中にて教えられる通りの、神が人間を創造した物語を否認するがごとき説を教えること、ならびにその物語の代わりに、人間がより下等な動物より進化したものであると教えることは、違法たるべし」
 これに憤った若い鉱山技師のジョージ・ラップレェと中学校教師のジョン・トーマス・スコープスは相談して、ラップレェがスコープスを「学校で進化論を教えている」と警察に告発し、裁判闘争に持ち込むことを企てた。
 裁判は田舎町デイトンの郡裁判所で7月10日に始まった。被告側の弁護人には当時「全米随一の刑事弁護士」と言われた長老クラーレンス・ダローが陣頭に立った。
 「彼はその長い一生を通じて、全米を衝動したアメリカ社会党党首ユージン・デブスの鉄道員組合陰謀事件をはじめ、歴史的な大事件にはかならず勤労者の側に立って、被告の弁護に当たってきただけに、『ダロー、デイトンの法廷に立ち、モンキー裁判のスコープス被告の弁護に立つ!』の報道は、夏がれをかこっていた当時のアメリカ新聞界に、大反響をまきおこした。そして、全米各地から、さらに海外からも、多数の新聞・通信記者、カメラマン、さらに映画班や、ラジオ放送員や無電技師の大群が、このテネシーの山峡の小さな町、というよりは……『小部落』に殺到した」
 一方、検察側も、南部一帯を地盤に大統領選に三度出馬し「偉大なる市民」と称された大物政治家ウイリアム・J・ブライアンをはじめとする証人を立てて応戦、ダロー対ブライアンの対決もこの裁判の呼び物だった。
 二人の対決は「合理主義と進歩主義の急先鋒」と「保守主義と聖書万能のファンダメンタリズム」の「決戦」と評されたが、しかしその実際の内容は、聖書の創造説を盲信して現代科学を否定するのか、信仰と科学の調和を図るのか、をめぐるものに過ぎなかった。裁判は州の最高裁にまで持ち込まれたが、その判決もまた「進化論禁止法」を「合法的」とした上で、被告の罰金刑を取り消すという玉虫色のものに終わった。
 中野は「あれから28年」、「モンキー裁判は、はたしてほんとうに忘れてしまってよいのだろうか」「今日のうっとうしいアメリカ社会で、新しいモンキー裁判が形をかえて、相変わらずおこなわれているのではなかろうか」と記しているが、それからさらに35年を経た現在でも事態が少しも本質的には変わってないことは言うまでもあるまい。アメリカでは今なお進化論が槍玉に挙げられる始末であり、日本でもクローン問題などに直面すると必ず「神の領域」が問題にされるといった具合だ。
 科学と宗教の相克――資本主義文明はこれに決して最終的な決着をつけられないだろう。というのは、階級支配に基礎を置くこの文明は宗教的迷妄を必須とし、絶えず新たな形でそれを再生産していかざるを得ないからである。
(WM)

2002年6月30日■「海つばめ」第875号

聖書か進化論かで争われる・・・・自由主義者の“勝利”の限界
 アメリカの“保守化”が深化するとともに、科学的な世界観や歴史観に対する攻勢が強まっているが、それは日本においても同様で、恣意的で横暴な教科書検定や「つくる会」の珍奇な 教科書を採用せよという策動もまた、同様な文脈の中でとらえられるだろう。アメリカでは最 近、キリスト教の“根底”を擁護し、「進化論」に反対する、根強い動きがあり、公立高校に おいて「進化論」を教えず、聖書に書かれている通りの「天地創造説」を教えるべきという決 定がなされた州(ミシシッピー川の東に広がる、南部のアーカンソー州)さえある。「創造論者」(creationist)もしくはキリスト教“原理主義者”(fundamentalist)の勢いや影響力が “復活”しているのだ。彼らは、人間がより“下等な”生物から進化してきたなどと主張する ことは、人間の尊厳を卑しめるものであり、キリスト教の教えに背くことだと強調し、人間は神によって創造され、地球もせいぜい一万年ほどの歴史をもつだけである、と主張している。 要するに、聖書にあるがままを信じることが正しいのであって、進化論を教えることは、キリスト教とアメリカの精神に反することなのである。実は、アメリカはすでに1920年代、同 じような経験を経てきているので、「ダーウィンと進化論」(渡辺正雄編著、共立出版株式会 社)の一部(下坂英の小論)に依拠しながら、その経験から学び、こうした動きの意味を考えて見る。
1925年の教育裁判
 19世紀後半から20世紀にかけて、ダーウィンの進化論が世界中に広まる中で、アメリカでも大都会のブルジョア自由主義的勢力を中心に、この考えは深く浸透し、信奉されるようになった。
 しかしもちろん、ブルジョア階級は、これを唯物史観や弁証法的唯物論と結びつけて理解することは決してできず、いわば“汎神論的な”理論と合体させることによって、つまり宗教は 宗教、科学は科学と“割り切る”ことによって、それを受け入れたのである。
 こうした妥協的な考えによれば、神は最初の段階ですべての発展のもととなる自然を作ったのであって、その後は自然の展開にまかせたというのである。したがって神は自然の運動、その発展、その進化のすべての中に存在しているのであって、生物の進化という概念と矛盾しないというのである。
 ブルジョアたちはこんな風に理解することで、進化論とキリスト教(すなわち科学と宗教)を妥協させ、折り合わせたのだが、しかし地方の“保守的な”農民たちは、こうした“器用な”やり方とは無縁であった。
 地方、とりわけ南部の地方では、聖書をまさに文字通りに理解して、進化論を否定し、攻撃 する“原理主義者”たちが圧倒的であって、彼らは1920年代、学校で進化論を教えることを禁止する法律を成立させようという運動を繰り広げ、テネシー、アーカンソー、ミシシッピーなどで、それに成功したのであった。
 テネシーでこの法律を提案し、成立させたのは、J・W・バトラーという人物だったが、彼は根っからの農民で、質朴なキリスト教徒であったが、自分の子供が進化論に影響されてキリスト教を信じなくなるのを恐れて、この法案を提案したという。
 しかしこの法案に挑戦しようという自由主義的な人々もいて、彼らは進化論を教えたかどで告発された教師のスコープスを擁護して立ち上り、有名な弁護士のダロウをひっぱりだし、かくして有名な「スコープス裁判」(またの名、「モンキー裁判」)が始まったのである。
 ダロウはユージン・デブスを擁護して勝利したことがあるような“良心的な”人間で、富や地位を追い求めるよりも、「不正をあばき、虐げられた人々のために人生をささげた偉大な異 端者」であった。
 彼が乗りだしたのは、検事側の弁護士として、ブライアンが出てくると知ったからであると言われる。ブライアンは社会問題の本質は宗教問題であると考える単純で、頭の固い“保守” 政治家で、すべて落選したとはいえ、三回も民主党の候補者として、大統領選に立候補してい るほどの人物であった。
 ダロウはかねがね彼との対決を欲していたが、彼が逃げていたので、それを果たせないでい た。しかしこの裁判に出てくるというので、「好機いたれり」と、急いで乗りだしたというわけである。
裁判では自由主義者が圧倒したが
 両者のそれぞれの主張のあと、直接の対決のときがやってきた。
 両者のそれぞれの主張を見ると、ダロウの方は、「聖書に忠実な」バトラーの信仰の矛盾を つくもので、聖書にもいくつもあって、それぞれの「天地創造説」でさえ違っているのではないか(この批判は、聖書はただ一つと思っていたバトラーを著しく動揺させたという)、キリスト教とダーウィンの説は矛盾しない、宗教と科学はそれぞれの「守備範囲」を持っているからである、といったものであった。
 他方、ブライアンの方は、進化論といっても、それを主張する連中の学説はすべて違い、お互いに対立しているではないか、それはいいかげんな「仮説」にすぎない、進化論を認めれば 奇跡の存在する余地はなくなり、キリスト教の根底が崩れ、宗教も道徳もない社会になる、といった内容を強調した。
 そしてついに、この二人が直接対決するときがやってきたのだが、その結果からいうと、ダロウの側、つまり進化論を擁護する側の圧勝に終り、聖書の内容を「文字通りに」受け取ると した側はさんざんであった。
 というのは、聖書を文字とおり受け取るなどということは実際として不可能であり、ありとあらゆる矛盾に巻き込まれるからである。
 例えば、こんな議論が行われたという。ダロウが、蛇がイヴを誘惑する話をとりあげ、蛇はその罪によって神に呪われ、腹ばい、チリを食べねばならなくなったとあるが、それを信じる のか、とブライアンに聞くと、彼は「信じる」と答える。
 そこで、ダロウは、では蛇は腹ばいで生きるようになる前は、どうしていたのか、立っていたのか、と追撃すると、ブライアンは答えられず、混乱して「知らない」と言うしかなく、聴衆は大笑いしたという。
 こうしたやり取りを散々やって、ダロウは完膚なきまでにブライアンを“やっつけた”ので あった。
 一年のちの最高裁で原判決の破棄が決まり、検察が訴えを取り下げたので、原告側の勝利で裁判は終ったが、バトラー法自体は、何と1967年までも存続した。
 自由主義的世論は、スコープス裁判を勝利だとして高く評価しているが、しかし実際には、 最近のキリスト教“原理主義”の復活にも見られるように、問題はそんなにも簡単ではない。
 日本の「つくる会」の教科書問題でも同様だが、神話、すなわち古事記や日本書紀に依存する、彼らの歴史理論自体は荒唐無稽でナンセンスであり、アメリカのキリスト教原理主義らの 理屈と大同小異であって、そのばかげた内容をあばくのはそんなに困難ではない。
 しかし問題は単に、理論が科学的であるか、ばかげているか、ということだけではないのだ 。
自由主義の戦役の限界
 アメリカの最近の反進化論の運動は、すでに草深い田舎の、単純な保守的農民の運動といったものではなく、もっと広範な階層や勢力を巻き込んだ運動であり、そこにはいわゆる“知識人”といった連中さえ多く参加しているのだが、これは「つくる会」のリーダーたちが、大学に巣食う知識人たちであることと、極めてよく対応しているのである。
 この本の中で、下坂は、1920年代、自由主義が「創造論者」に勝ったなどと言えないと結論している。彼は1950年代、アメリカの10代に「ヒトは下等な動物から進化した」とい う考えに賛否を問うと、賛成はわずか3分の1ほどにすぎないと述べたあと、次のように総括している。
「反進化論の運動についていうなら、1960年代から盛り上がりを見せており、一時的なものではなく根強い。現在の創造論者の動静には、さらに注目すべきことがある。かつては南部 などの無教養な田舎者が運動の支持者であった。しかし最近は、そうではない。今やカリフォルニア州が運動の中心であるし、創造論者のグループの中には、自然科学の分野で修士号ない しは博士号をもっていなければ正会員にはなれないという創造研究会まであり、600名以上の 正会員がいるというのだ。つまり、運動の裾野はかつてより広がっている。こうしてみると、スコープス裁判で、進化論派が勝利したなどという判断は疑わしい。実際、根本主義者たち【原理主義者たち】は、名をすてて実を取ったのである」
 なぜこうした総括を引用したかを、読者はすで察していることと思う。スコープス裁判の結果の教えることは、「つくる会」の教科書採用の策動を今回は粉砕したが、しかし楽観したり、手をゆるめたりすることは全くできない、ということである。
 実際、下坂は、次のような問題を提起している。
「『珍裁判』という理解をつきつめれば、こんなばかな法律ができてしまうアメリカの政治システムへの不信感がでてくる。『アメリカの共和制というのは、不思議なものである。ばかな やつの手に立法権のあるのは、三歳の子供が、うれしまぎれに刃物を振り回して、おまけに火いたずらをしているようなものだ』と牧逸馬は言う。しかし、『ばかのやつの手に立法権』が なかった戦前の日本で、次々と悪法がつくられていったのではないのか。民主主義の欠点は、独裁制や軍国主義に比べれば小さいものではないか。また、国定教科書によって、教育内容が上から一元的に決められる国より、進化論を教えるかどうかという裁判ができる国の方が健全ではないのか」
 結局、下坂は“民主主義”の国家を擁護するしか能がないのだが、彼はこの国家が資本の国家、階級国家であることを見ない、あるいは忘れるのである。
 資本の国家であるからこそ、「反進化論」やアメリカ主義やキリスト教原理主義がはびこるのだ、ということが分からないのである。
 彼は軍国主義よりも民主主義の方が増しだということで、進化論を教えるなというようなアーカンソー州の法律を、事実上肯定するのである。自由主義の行き着く先は、こんなところで あろう。
 「上から」であろうと「下から」であろうと、キリスト教原理主義ではなく(つまり、聖書に書かれている通りの「神話」が、科学や真実として教えられるのではなく)、進化論が(そ して同じようなものであるが、マルクス主義あるいは唯物史観と弁証法的唯物論が)、青少年少女には科学として「教えられなくてはならない」のである。
 実際、進化論が自然科学的な真実として、一つの科学として、学校で教えられるべきだというなら、社会科学的な真実として、マルクス主義が教えられなくてはならないということほどに、明瞭で単純な真実はない。それができない(しない)のは、この社会が資本の支配する社会であるからにすぎない。
 自由主義者は、もう一人の資本のしもべである、だからこそ、彼らは民主主義の名で、資本の支配を肯定し、それは「独裁制や軍国主義より増しだろう」などとつぶやくのだが、問題は「いくらか増し」といったことでなく、何が真実か、正しいのか、学校で教えられるべきは宗教的迷妄か、科学的真実か、ということである。
 要するに、いくじのない自由主義的世論は、つくる会の策動などに対しても、最後まで、首尾一貫して闘っていくことは決してできないであろう。それは先進的労働者とマルクス主義者の“聖なる責務”なのである。
(林 紘義)

2002年7月7日■「海つばめ」第876号

ダーウィニズムに「責任」はあるか
 社会ダーウィニズムという思想がある。ダーウィンが“進化論”を発表したころから現われ 、19世紀から20世紀初頭にかけて、つまり帝国主義が台頭する時代に隆盛を極め、そして 第二次世界大戦ではナチス・ドイツのおそるべきイデオロギー――“劣等人種”のユダヤ人等 々は抹殺されてしかるべき――にまで“高められた”思想であり、人類の社会の進化、発展に 関する一つの説明原理である。問題は、この思想の歴史的意義であり、またそれとダーウィニ ズムとの“関係”である。
社会は「生存競争」で進化したか
 社会ダーウィニズムは簡単に言えば、生物界が、ダーウィンの言うように、生存競争と自然 淘汰によって進化し、発展するなら、生物の一つである人類もまた同じ法則によって進化するのではないか、というものである。
 そしてこうした観点から、社会ダーウィニストたちは、人種や国民や国家の違い、等級を検討したのであり、優等人種や国家、劣等人種や国家を見つけだしたのである。
 最初に社会ダーウィニズムが現われたのはヨーロッパ諸国においてであった(現在において も、主として、そこにおいて強力に現われている)。つまり白人の“優性”と、他の人種――黒人や黄色人種――の“劣性”を説くためであった。
 社会ダーウィニズムは最初から、えせ科学主義に付きまとわれている。それはキリスト教に ある意味で反発し、人間の社会と歴史を“科学的に”説明し、明らかにしようとしたのだが、その“科学”の原理こそが生存競争と自然淘汰なのである。
 彼らは世界中の人種のありとあらゆる身体的特徴を“科学的に”研究し、その違いを並べ立て、それに基づいて、人種的な優劣の順位をつけようとしたのであり、またつけ得ると考えたのである。
 例えば、頭骸容量や顔面角といったものが取り上げられたが、これは、人間の進化や優秀性は精神、つまり頭骸の大きさに依存するはずであり、したがってその大きさから諸人種、民族の優秀性、劣等性が明らかになる、と考えられたからである。
 また顔面角の理屈も同様なものであって、顔面角が垂直に近い白人は人間として進化してい るが、他方、それが傾斜している黒人らは、人間よりもオランウータンに近いのだ、といった “科学的な”見解が堂々と発表されたのである。もちろん、類人猿の傾斜角は著しく傾いてい るのである。
 人間が類人猿から連続的に発展してきたと、説得ある議論を展開した、イギリスのT・H・ハクスレーでさえ、1871年、次のような発言をしている。
「かりに、連中(黒人)の欠陥がすべて埋め合わされ、この顎のつき出たわが親類たちが不利でも有利でもない公平な立場にたたされたとしても、大きな脳を持ち、かつ顎のつき出ていないライバル、すなわちわれわれと、パン食い競争ではなく知的な分野でまともに競争できるなどとは、全く考えられない。彼らが最下層にとどまり続けるべきだとは必ずしも思わないが、 最高位の文明に、わが色の黒い親類たちが到達できるとは思えない」(『ダーウィンと進化論 』121頁)
 もちろん、こうした社会ダーウィニズムが、ヨーロッパ諸国の帝国主義的膨張と軌を一にして叫ばれていたということを、我々は確認せざるをえない。
 ヨーロッパの諸国はまさに帝国主義的な領土拡大政策、国家の力を世界中に伸ばし、植民地 を獲得する闘争にのめり込んでいたのであって、社会ダーウィニズムは帝国主義者たちに、格好の理論的武器を提供したのである。
 ダーウィン主義は、個人間、人種間の闘争(生存競争と自然淘汰)ばかりでなく、国家間の 経済的、工業的競争と闘争にも適用されたのである。
 彼らは、社会主義に反対した、というのは、社会主義は人々に平等をもたらすことにより、 生存競争と自然淘汰を一掃してしまうだろうからであり、また人口増加に伴う諸困難を解決す ることができないだろうからである。もし人々の間で、あるいは諸国家、諸民族間で、生存競 争と自然淘汰が行われないとするなら、地球上はあふれ出る人々で一杯になってしまうであろう。
ナチスの理論的武器にも
 こうした社会ダーウィニズムは帝国主義が深化するとともに、ますます頽廃し、公然たる非合理主義と結びつく傾向を強めた。もし人間の進化が、生存競争と自然淘汰によって、それを 契機に進むとするなら、どうして人間理性などがかかわる必要があるだろうか、むしろそんなものが作用しない方が、より自然に、より強力に進化の法則が機能するのは自明ではないか、というのである。かくして、社会ダーウィニズムは非合理主義と結合した。
 また優れた国民は優れた人間(血統)によってのみ生み出されるのであるという立場が擁護 され、あるいは「優生学」(「優生」とは、ギリシャ語で、「よい種」を意味した)といったものも作り出された。優生学は、獲得形質の遺伝の否定を、一つの理論的背景にしていた。つ まり、ただ立派な遺伝だけが重要であって、それによってのみ、個人や民族や国民の優劣が決 まる、というのである。人間はどんなに努力してもむだである、というのは、たまたま優れたものを獲得しても、そんなものはただ一世代のものにとどまるからである。劣等な人間、人種 は、いつまでたってもそのままである。
 しかし、ここまで来ると、進化論は一体どこに行ってしまったのかということになり、社会ダーウィニズム自体が矛盾してしまうことになる。
 ナチスはまさに社会ダーウィニズムを一つの国家原理にまで“高めた”のであり、ドイツ民族の優秀性というドグマにこり固まって、自らの帝国主義政策と他民族の“抹殺”政策を正当化したのであった。もちろん、社会ダーウィニズムが先にあったのではなく、ナチスの露骨な 帝国主義が先にあって、そのために人種間、国家間の「生存競争と自然淘汰」を謳う社会ダーウィニズムが格好の旗印になり、利用されたのだが。
 ナチスは国内においても、民族の“純血性”を高めるために、劣等人種だけでなく、ドイツ人の中での“劣等人”(精神障害者等々)の一掃を試みるところまで“徹底”したのであった 。
ダーウィニズムはどこまで「罪」があるか
 問題は、まず人間の社会や歴史が、“ダーウィン主義”(生存競争、自然淘汰による生物の進化の理論)によって説明されるか、どうかである。
 そして次に、果たしてダーウィニズムは、社会ダーウィニズムに責任があるのかないのか、もしあるとするなら、どういう意味で、またどの程度の責任があるのか、ということである。
 唯物史観に立つマルクス主義者にとっては、最初の質問に答えるのは容易であろう。人類の歴史、その発展が、「生存競争」とか「自然淘汰」といったものによって支配され、導かれてきたなどという、どんな根拠も証拠もない。
 この問題については、これ以上論じない。賢明なる読者諸君に、ここで、マルクス主義の唯物史観――すなわち人類の社会とその発展を説明する、唯一の正当な“哲学”、世界観――に ついて長々と語ることは余計なことであろう。
 第二の問題、つまり社会ダーウィニズムにダーウィニズムそのものはどれだけ責任があるのか、に移ろう。
 もちろん、ダーウィン主義の学者たち、思想家たちは、一般に、この「責任」を否定する、というのは、彼らは生物の進化、発展については、ダーウィニズムの“根底的な”正当性を認 めるからであり、他方では、それは人類の社会と歴史の法則として適用することを拒否するか らである。生物の歴史は生物の歴史、そして人類の歴史は人類の歴史であって、それぞれ全く別のものである、というのである。
 それが別のものであり、直接的な適用はナンセンスだとしても、しかし人類もまた生物の一種であり、ダーウィンが明らかにしたように、高等動物(ある種の類人猿)から進化してきたというのであれば、人類の歴史にもダーウィニズムを適用して、どうしていけないのか、とい う疑問は当然出て来るであろう。他のすべての生物に適用できる法則が、生物の一つである人間に適用できない理由は何か。
 この問いに、ダーウィニズムを擁護しつつも、その人間の歴史への適用(つまり社会ダーウ ィニズム)を拒否する自由主義者たちは、基本的に答えられなかったし、答えることができな かった。
 しかし本当に、ダーウィニズムは社会ダーウィニズムに「責任」がないのであろうか。生存 競争や自然淘汰という観念は、それほどに“絶対的”であり、正しいのであろうか。
 ダーウィンは生存競争という観念を、マルサスの「人口論」から借りて来ている、そして、 このことだけからも、生存競争という観念の“いかがわしさ”が浮き上がってくるだろう。ダーウィンが“経済学”(マルサス主義)から借りてきた理屈が、どうしてその元の世界、つま り人間の社会と歴史の学説に適用できないというのか、奇妙なことではないのか。
 実際、生存競争という概念はまさに典型的な“ブルジョア的”概念に思われる。それはすべての商品生産者が市場で競争し、闘争する、この社会にふさわしい概念、その運動を忠実に表現した理論であろう。
 実際、ダーウィニズムの影響を受けた、チャールズ・キングズレーが、次のように書いたのは特徴的であった。
「外から干渉する神――いわば大魔術師――の概念を捨てたからには、今や、偶然の絶対王国 か、あるいは、生きた内在的な、つねに働きつつある神か、そのいずれかを選ばねばならない 」(同181頁)
 これはまさに、経済学の世界において、アダム・スミスが資本主義社会の法則について、「 神の見えざる手」を持ち出したのと全く同様で、キングズレーはまさに生物の世界にそれを見 出したのである。
 もちろん、資本主義社会もまた、まだ本当の意味での人間の社会ではない、むしろ人間が真実に人間になる以前の社会、マルクスのいう「自然史的」段階の社会、人間“前史”、いまだ “動物的な”状態を最終的に脱していない社会であり、したがって生物学的な法則、生存競争 と自然淘汰の法則が当てはまる世界なのだ、というなら、我々はそれに反論するどんな理由もないのだが。
 もっとも、ダーウィンの唱えた理論は、「生存競争」という訳語とは少しニュアンスが違ったものであった、というのは、彼は「the struggle for existens(life)」という言葉を使っているのであって、これは正確に訳すなら、「生存のための苦闘」というべきで、必ずしも「競争」という概念は強調されていないのである。
 「ストラグル」を「競争」と訳したのは、すでに日本にも当時、十分に社会ダーウィニズム的な観念が浸透していたからであろうか。
 さて、ダーウィニズムは社会ダーウィニズムにどれだけ責任を負うのか、という問題である が、ダーウィニズムがブルジョア的生産諸関係を反映していたかぎりで、それは反動思想の発 展に手を貸したと言えるだろう。もちろん、ブルジョア反動思想、帝国主義思想は経済的、社会的発展によって根本的に規定されるのであって、ダーウィニズムによって規定されるのでは ないのだが。
(林 紘義)

1996年4月21日■「海つばめ」第578号

ダーウィン著『種の起源』
 ダーウィンの『種の起源』を読み、『ピーグル号航海記』を読み、さらに『人間の由来』を読んだ。もちろん、暇をみてのことだから、短期間に、というわけではない。
 周知のように、ダーウィンは「進化論」を人類のために持ち来たった、マルクスとほぼ同時代の人である。『種の起源』は1859年に出版されているが、マルクスの『資本論』第一巻は1864年に世に出ている。マルクスもエンゲルスも『種の起源』を読んで非常な感銘を受けている、もっとも彼らはそれがマルサスのブルジョア的、反動的なドグマによって汚染されていることを、ただちに見抜いたのであったが。
 実際、すべてのこの世界の動植物が神によって“創造された”のではなくて、「進化」によって形成され、多様な形を取るにいたったのだという概念の持つ革命的な意義は、一見して明らかであろう。それが物理学におけるニュートンの学説や社会科学におけるマルクス主義と並び称されるのも当然のことであろう。
 しかし、彼の有名な「生存のための闘争」(生存競争)の概念、あるいは「自然選択」の概念は、本当に生物の進化を説明する概念として、一般的に妥当するのであろうか、それによって、本当にすべての生物の歴史的な進化や分化や多様な存在(その必然性)を説明することができるのであろうか。
 ここで言われている「生存」とは egxistence もしくは life であり、また「闘争」とは struggle であって、war や battle ではない、つまり単純な“物理的”闘争や相手の抹殺ではなくて、努力、奮闘といった内容を含む、より広い概念である。
 とは言え、この「生存闘争」による生物の進化という概念は相当に一面的であるように思われる。なぜ「闘争」だけなのかとすでにクロポトキンは問い、「相互扶助」という概念を対置している。日本でも今西錦司は「棲み分け」とか「定向進化」といったことを持ち出し、強調している。
 しかもダーウィンの概念は、新種形成において、個別的な変種の形成、個体間のわずかな形質の違いを重視し、それが「自然」によって選択され、新たな種の形成に進むと説いている。もちろん、彼は慎重であって、自らの学説を何か狭いドグマに仕立て上げることを警戒しているのではあるが。
 個別的に有利な形質を持つ“個”が誕生する。すると、その個は他の同じ種に属する個体を圧倒し、新しい多数派を形成するようになり、この有利な特質を持たない元の多くの個体は死滅する。すなわちここで闘われるのが「生存闘争」であり、その結果、新しい種が形成され、発展し、かくして進化が行われることになる、というのだ。こうした学説では、偶然すなわち「突然変異」といった概念が特別の意義を獲得するようになるのは、一つの必然であろう。
 しかし例えば、人間は果たして、人間の前の“種”の中から生じた、突然変異的な存在(これは、論理必然的に“個”としての存在である)から発展してきたものであろうか、そんな風に人間の発端と進化の歴史を理解することができるであろうか。何らかの猿(類人猿)から、人間への進化は果たして“偶然”の結果であろうか。我々は類人猿の中にたまたま生じた、たった一人のある“ミュータント”の子孫、その意味で偶然の産物であろうか。
 現在の人類は“突然変異”の結果ではなくて、“人”としての数百万年の歴史の結果であり、また今もなお“人類”として発展途上にあるというのが真実ではないのか。人間の脳髄自身、最初から現在のような発達したものではないこと、人間は最初からそんなものを持って“突然異変的に”出現したのではないということは、すでに科学的に明らかになっている。
 人類の発端にしても、偶然に生じた類人猿の中の、“突然異変”的な個体から発展してきたというより、ある類人猿の少なくとも一群が、特別の条件と環境の下で進化して人類の祖先となっていったと理解する方が、はるかに理にかなっているように思われる。“個人主義的”発想法はここでも有害ではないだろうか。
 ダーウィンが自らの学説のヒントをマルサスから借りてきた、と言っていることは象徴的であろう。ダーウィンの学説には、まさに“自由競争”のまっ盛りにあった、当時のイギリスのブルジョア社会が反映しているのだ。“個”に対する、そして“個”相互の普遍的な“闘争”もしくは競争の意義についての一面的で過大な評価は、その典型である。ブルジョア社会においては、“個”の自立と“個”相互の一般的な競争が、まさに進歩の原動力として現れるのだ。“社会ダーウィニズム”がダーウィン主義の悪用として登場してくる、一つの必然性がある。
 もちろん、ダーウィンの欠陥は今にして言えることであって、19世紀の中ごろにおいては、それが決定的な進歩的で革命的な意義を持ったことは明らかであろう。それはすべての生物が神の創造したものでなく、進化の結果として出現してきたものであることを明確に述べ、その原因や過程も明らかにしようとしたのである。仮りに、その進化の説明にいろいろと欠陥があったとしても、『種の起源』がもつ決定的な意義を少しも否定するものではないだろう。彼は人間さえも動物から進化してきたものであることをはっきりと知っていたのである。この意味で、彼の著作は“人間絶対主義”に対する批判的な観点――宗教的独断に対する反対とともに――が貫かれているとも言える(もっとも、彼はそれを表面に全く掲げていないのだが)。この点だけでも、ダーウィンの著書は今においても十分に読むに値するだろう。
(林)

1996年1月21日■「海つばめ」第566号

エンゲルス著『猿が人間化するにあたっての労働の役割』
普通、エンゲルスの『自然弁証法』に収められているこの小論は、文庫本でわずか19頁ほどの短いものである。だが、もともと別に発行する予定だった「隷属の三つの基本形態について」という論稿の序論として善かれたもので、小なりといえども独立した論文であるから、ここで取り上げても差し支えあるまい。
 この小論を読み返してみようと思ったきっかけは、最近たまたま見たあるテレビ番組である。ジョージア州立大学言語学研究所で飼われているチンパンジーに似た類人猿の雄(カンジと名付けられている)は、人間の言葉を理解する。“彼”の面倒を見ている女性研究者が焚火をしながら、「カンジ、薪が足りないわ。木を取ってきて」と言うと、ちゃんと枝を拾ってきて渡す。同じサイズのボルトとナットを見つけてうまくはめ込むこともできる。
 それどころか、“彼”は“人間的感情”さえ持っている。その女性研究者がわざと彼の妹(まだ人間の言葉をよく理解していない)をいじめるふりをすると、“彼”は間に割って入り一生懸命妹をかばおうとするのだ。それは仲々感動的なシーンではあった。
 ザイールの奥地に住む彼の仲間たちは現地の住民たちにボノボと呼ばれており、他のチンパンジーより“高級”な類人猿として“一目”おかれている。彼(女)らは、餌を取るにも先を争ったりせず、子供や“老人”には優しく振舞う。見ていると、彼(女)たちは完全に二足歩行をし、子供を背負ったまま両手に餌や木の枝をいっぱい抱えて運んだりする。どうも、彼(女)らの頭脳の発達と二足歩行は関係がありそうだ。そんなシーンを思い返しながら読み返したエンゲルスのこの小論は、一段と興味深いものだった。
 エンゲルスの観点は「労働は人間生活全体の第一の基本条件であり、しかもある意味では、労働が人間そのものをも創造したのだ、と言わなければならないほどに基本的な条件なのである」という冒頭の一節に要約される。
 かつて「熱帯のどこかにとくべつ高度の進化をとげたヒトニザルの一種」が群れをなして樹上に住んでいたが、彼らはやがて平地では「歩行のさいに手の助けをかりるという習性をなくしはじめ、ますます直立度の高い歩行をとりいれはじめた。猿から人間への移行にとっての決定的な一歩はこれによってふみだされたのである」。
 直立歩行が日常化し定着すると、手は自由になり新しい機能を果たす。手は様々な労働に活用され、労働によってますます手の機能が発達する。だから「手は労働の器官であるばかりか、手は労働がつくりだした産物でもある」。
 そして、もともと「猿に似たわれわれの祖先は集団的な動物だった」から、共同で行う労働の効用を意識し、頻繁に繰り返すようになる。それと共に、「生成しつつあった人間は、たがいになにかを話し合わなければならない」ようになり、咽頭の発達が促されて言葉を喋るようになる。つまり、「言葉が労働のなかから、また労働とともに生まれた」のである。
 「はじめに労働、その後に、そしてこんどは労働とともに言語――この二つが最も本質的な推進力となって」猿の脳は発達し、完全な人間の脳へと次第に移行していった。そして、「こんどは脳の最も直接的な道具である感覚諸器官の持続的な発達が生じた」
 「脳とそれに隷属している諸感覚の発達、ますます明晰さを増していった意識と抽象および推理の能力の発達は、労働と言語とにこんどは反作用して、この両者にたえず新しい刺激をあたえてそれらのよりいっそうの発達をうながした」。こうした発達の延長上に「社会」が形成される。
 「木のぼりをする猿の群れから人間社会が生まれてくるまでには、数十万年(中略)が経過したことは確かである。しかしついに人間の社会が誕生した。そして猿の群れと人間社会とを分かつきわだった区別としてわれわれが再度そこに見いだすものはなんであろうか? 労働である」
ところで、「労働は道具の製作から始まる」。専ら植物の採取に依存していた初期の人類にあっては「食物のとりつくし」は珍しくなかった。だがそうなると人間は道具を作り、魚や動物を捕らえなければならなくなる。狩猟や漁労は新しい食物の摂取、例えば肉食の習慣を生み出し、肉食あるいは肉食と植物食併用は(動物性タンパク質の摂取を通じて)人間の身体や頭脳の発運を促した。また肉食から「火の使用」と「動物の飼育」という二つの新しい進歩が生まれ、人間の環境への適応力を格段に推し進める。かくして人間はどんな気候の下でも生活できるようになった。
 「手と発声器宮と脳との協働」によって、人間はますます複雑な作業を遂行し、高度の目標を設定してこれを実現するという能力を身につけて行く。「労働そのものが世代を重ねることによって別のものに変わり、いっそう完全に、いっそう多面的になっていった。狩猟と牧畜にくわえて農耕が現れ、またその農耕にくわえて紡織、金属加工、製陶、航行が登場した。商工業とならんで最後に芸術と科学とが現れた。種族からは民族と国家とができあがっていった。法と政治とが起こり、またそれらとともに、人間的事象の人間頭脳における空想的映像である宗教が起こった」
 見られるように、エンゲルスの分析は徹底的に唯物論的である。猿から人間への移行の、そして人間(社会)の発達の根底に労働をおく見解そのものが徹底した唯物論の観点である。エンゲルスはそうした観点から当時の人類学の成果を批判的に摂取し、「猿が人間化」した秘密を解明したのである。エンゲルスの見解は人類学のその後の発展によって部分的に修正されるべき点はあるにしても、基本的な正しさは変わらないだろう。また、この小論には環境破壊を考える上での重要な示唆も含まれており、エンゲルスの洞察力の鋭さに我々は改めて感嘆せざるを得ない。
 研究会でこの小論から『家族・私有財産・国家の起源』へと読み進むのも魅力的な試みではないだろうか。(引用は国民文庫)
(鈴木)

1996年2月11日■「海つばめ」第569号

グールド著『ダーウィン以来』を読む
はじめに
 本紙566号の読書欄でエンゲルスの『猿がヒト化するにあたっての労働の役割』が紹介されていたが、あらためて読んでみるとこの小論は、驚くべきほど多くのことを我々に教えてくれる類稀なる一冊である。そのエンゲルスの小論が、最近読んだ本の中で好意的に取り上げられていたので紹介したい。その本は『ダーウィン以来』(ハヤカワ文庫)、副題に「進化論への招待」とあり、著者はスティーブン・ジェイ・グールドというハーヴァード大学教授で専攻は古生物学、進化生物学、科学史とある。
 それにしてもこのエンゲルスの小論はとうてい120年も前に書かれたものとは思えないほど、新鮮で驚きに満ちている。とくに「われわれは、われわれ人間が自然にたいして得た勝利のことであまりうぬぼれないようにしよう」という言葉から始まる環境破壊についてのエンゲルスの鋭い洞察は、今や掃いて捨てるほどいる環境保護論者すべてを凌駕しているといってもよいのではないだろうか。思わず「エンゲルスは偉い!」「マルクス主義万歳!」と喝采を叫んでしまうのは私ひとりだけではないと思うのだが。
進化論の革命的内容とダーウィンの日和見主義
 さて著者グールドによると、ダーウィン進化論の登場以来、われわれの生命観は劇的に変わったが、一方でダーウィンの説ほど誤解され、誤用されてきた理論もないといい、それは現在においても変わらないという。一体それはなぜなのか? 理論的に言えばダーウィンの自然淘汰の基本は単純そのもので、否定することのできない二つの事実と、そこから導かれる一つの帰結とからなっているだけであり、論理構造の複雑さにその原因があるわけではないという。
 ちなみにその理論とは「1、生物には変異がある。そしてその変異は(少なくとも部分的には)その子にうけつがれる。 2、生物は生き残れる以上に多くの子や卵を生む。 3、平均すれば、その環境によって好ましいとされる方向に最も強く変異している子孫が生き残って繁殖するだろう。したがって、好ましい変異は、自然淘汰によって個体群の中に蓄積されていくだろう」というものであり、さらに「ダーウィン理論の本質は、自然淘汰は進化にとっての創造的な力であって、単に不適者の死刑執行人にすぎないのではない、という主張にある」が、そのためにはさらにいくつかの制約が追加されなければならない。しかしそうした追加要件が必要だとしても結局は「ダーウィンは正しかった」という点では何ら問題にならないという。
 ダーウィンを受け入れる際のつまずきの石は、科学的な難しさではなく、その思想的内容、とくに「ダーウィンは自然を解釈するに際して、一貫して唯物論哲学を適用した。物質があらゆる存在の基盤である。心も精神も神でさえも、ニューロン(神経細胞)の複稚さの驚くべき結果を表現する言葉にすぎない」という点にある。
 したがってマルクスとエンゲルスがダーウィン理論の持つ革命的内容を理解する点において、もっとも素早く的確であったのも当然であろう。本書でもそのことは紹介されている。もっともダーウィン自身は当然ながら革命家でもなんでもなく、むしろその理論の持つ革命的内容の反響の大きさに脅え、著作の発表を遅らせ、彼の理論の持つ哲学的意味を公的に述べることを避けていたのである。
 その点について1880年にダーウィンはマルクスに対して以下のような弁明の手紙を書き送っている。「(善し悪しはともかく)キリスト教と有神論に反したことを直接に論ずることは、大衆に対してほとんど何の効果もおよぽさないように私には思えます。それに、思想の自由は、人間の理解力を徐々に啓蒙することによって最もよく促進されると思いますし、理解力は科学の進歩に伴うものです。それゆえ私は、宗教について書くことはつねに避けて、科学の分野のみに自分を限定してきたのです」
 こうしてダーウィンは自らの日和見主義を正当化しているが、このダーウィンの態度は多くの(すべての?)科学者たちの立場でもあろう。ダーウィンは「理解力は科学の進歩に伴う」などと気楽なことを言っているが、現実にそうでないことは、たとえばオウムの事件で理工系の優秀な若者が、麻原の荒唐無稽な思想を信じてどれほどの犯罪を積み重ねてきたか、ということだけ見ても明らかである。ダーウィンのような科学者たちの日和見的な態度も神秘的、観念的なものをはびこらさせている大きな原因のひとつといってもいいだろう(だからといってダーウィンのなし遂げた業績の革命的価値がいささかも減じるわけではないが)。
エンゲルスの推論は見事に的中した
 というわけでいささか前置きが長くなったが、エンゲルスの見解が紹介されているのは、本書の第7部である。グールドは第7部で論じることは「『客観的』であるとされる科学に社会的・政治的見解がおよぼした影響」である、と述べた後、「科学とは、客観的な情報を収集し古い迷信を破壊しながら真理へと向かうゆらぐことのない行進、ではない。科学者は、普通の人間と同じく、その理論の中に、その時代の社会的・政治的制約を無意識のうちに反映させる。彼らは、社会の特権的な成員として、結局は、現在の社会体制を生物学的にあらかじめ運命づけられていたものとして擁護してしまうことがしばしばある」と書いている。
 以上のことは自覚した労働者にとり、自明のことであるが、科学者の中にもそれらのことを認識している人物がいるということは多少の驚きとともに何となく嬉しくなるような話である。
 さて、エンゲルスの生きた時代(没してからもそうだが)、多くの人類学者は類人猿からヒトへの進化は知能の増大、脳の進化によって推進される、と考えていた。だから1920年代にアフリカで発見されたヒトの祖先の化石は脳が小さいという理由で無視されてしまう。だが、この脳の小さいヒトの祖先(アウストラロピテクス類)は直立歩行をしていた。もし人類の進化が増大する脳により推進されたのなら、もう一つの「ヒト化の特徴」である直立姿勢がどうして最初に出現したのであろうか。直立姿勢を脳の増大より軽く見る伝統は全人類史を貫いている。少数の人類学者が異議を唱えたが、脳の進化が他のすべてに優先したという考えがそんなにも頑強にはびこったのはなぜだろうか?
 「実は、19世紀のある思想家が一つのみごとな真相暴露を行っていた。読者の大多数は驚かれると思うが、それはほかでもないフリードリッヒ・エンゲルスである。……エンゲルスは1876年に、『猿がヒト化するにあたっての労働の役割』という題の手稿を書いた」「エンゲルスは、人類の進化の基本的な特徴として、言語、大きな脳、直立姿勢の三つを考える。彼は、木から降りたことによって第一歩が踏み出され、地上生活をするようになったわれわれの祖先が、次には直立姿勢へと進化したに違いないと論じる。……直立姿勢は道具の使用(エンゲルスの言葉では労働)に対して手を解放した。知能の増大と言語とはそのあとにやってきた」
 エンゲルスの見解は1920年代のアウストラロピテクスの発見によって事実として見事に立証された(余談になるが、とくに1974年にエチオピアで発見されたアウストラロピテクスは、「ルーシー」と名付けられ、この300万年前以上も前に生きていた若い女性の骨盤と足の骨は、彼女が間違いなく二足歩行をしていたことを証明していた。もちろん脳の大きさが現代人の三分の一であるにもかかわらずである)。
エンゲルスの見事な真相暴露
 さらにグールドによると、エンゲルスは当時「ダーウィンの番犬」といわれたドイツの人類学者エルンスト・ヘッケル(当時の直立姿勢論の第一人者)の著作から自らの見解を引き出していると考えられる、と述べている。しかしグールドはエンゲルスの手稿の重要性は、脳の進化がすべてに優先しているという主張になぜ西洋の科学が固執したのか、ということについて鋭い政治的分析を行ったことにある、という。
 「エンゲルスは論じる。……富が蓄積されるにつれて少数の人間のグループが権力を握り、ほかの人たちが彼らのために働くことを強制した。労働はあらゆる富の源泉であり、人間の進化にとって第一のはずみであるが、この労働は、支配者のために労働をした人間と同じく低い地位にあまんじた。支配者たちは彼らの意志によって(すなわち精神の功業によって)治めたのであるから、脳の活動はそれ自身で原動力をもっているように見えた」。そして哲学者たちも自らの階級的立場から思想が労働よりも高貴で重要であると主張して、支配者たちの特権を擁護した。
 「たとえプラトンが、その抽象的とされる哲学によって支配者たちの特権を支持することを意識的にたくらまなかったとしても、思想がもっとも重要なものであり、支配的なものであり、そしてそれが監督する労働よりも実際により高貴で重要なものである、と強調することを、彼自身の階級的地位が奨励したのだ。この観念的な伝統はダーウィンの時代にいたるまで哲学を支配してきた。その影響は非常にひそやかで、かつひろくゆきわたっていたので、ダーウィンのような科学上の唯物論者(政治的にはそうではなかった)でさえその支配下に置かれたのである」
 「脳が他のすべてに優先することは非常に明白で自然であるように見えたので、そのことは職業的思想家と彼らのパトロンの階級的地位に関係した根深い社会的偏見であるとは認められずに、むしろ所与のものとして受けいれられたのである」
 「エンゲルスの手稿の重要性は、ヘッケルを経由してエンゲルスによって提案された理論をアウストラロピテクスが確証したという幸福な結果にあるのではなく、むしろ、あらゆる思想に必然的に影響を与える科学と社会的偏見の政治的な役割を鋭く分析したことにある」
 著者は「幸福な結果」などと述べているが、結果として運がよかったなどということではないだろう。エンゲルスの徹底した唯物論的な観点が、多くの人類学の専門家を差し置いてその正しい推論を必然的に導き出したのである。
 また著者は「もしわれわれがエンゲルスのメッセージを深刻に受けとめ、純粋な探究が受けついでいる優越性へのわれわれの信仰の実態は社会的偏見でしかないことを理解するならば、われわれは科学者たちのうちに、理論と実践との結合をつくりだすことができるかもしれない。それこそが、崖っぷちであぶなげに動揺している世界が死物狂いになって求めているものなのである」とも書いているが、もし「社会の特権的成員」である科学者にそれが成しうるとすれば、それはただ資本主義を打倒し社会主義を目指す労働者の階級闘争に固く結びついた時だけであろう。必要なのは社会的偏見や差別を生み出すこの階級社会の克服なのであり、それのみが「動揺している世界」を救うことができるのである。
 こうした若干の不満がないわけではないが、この著作はたとえば自らのプチブル日和見主義を正当化させるための共産党のでたらめなエンゲルス評価に比べると百倍も好ましいものである。ほかにも生物学的に女性は男性より劣っているとか、遺伝的に黒人は白人よりも野蛮で遅れているといった科学の装いをほどこした反動的なデマゴギーを著者は科学的、実証的に批判しており、大いに興味をそそられる。またそうした科学と社会の問題だけでなく、進化生物学の話、たとえば竹は120年に一回花を咲かせるが、なぜなのかといった問題を進化論にもとづき明快に説明しているが、それらの話は無類におもしろい(私はその理由を知ったとき、思わず捻ってしまった。そして驚くべき自然の豊かさ、素晴らしさに誰もが驚くと思う)。
 著者グールドはアメリカの月刊誌『ナチュラル・ヒストリー・マガジン』に74年以来現在にいたるまでエッセイを連載しており、本書もそこからのものである。したがってどれも簡潔で短く読みやすい。アメリカで結構な読者が購読し著者のファンも数多くいるそうであるが、そうした雑誌(アメリカの!)にエンゲルスの見解が好意的に(しかも正しく!)紹介されたということは考えると愉快である。是非一読をお勧めしたい。
(八鍬匠)

1996年8月4日■「海つばめ」第592号

ブルジョアの観念を反映
 生物学における一つの新しい見解がある。
 もちろん、新しいからといって正しいものとは限らない。かえって、現代ブルジョアジーの寒々とした心理的、イデオロギー的実態を暴露するものかもしれないのだ。
 その新しい“科学的”見解とは、生物を遺伝子が生き延び、後世に伝わるための「乗りもの」と評価する見解である。
 例えば、イギリスのオックスフォード大学のF・ドーキンス博士は、生物の体は遺伝子が自らの複製を増やし、後世に残すために利用する乗りものであるという「利己的遺伝子」という概念を提唱し、それはブルジョア社会の一般的意識にひどく合致した見解であったために、一つの流行にさえなっている。
 こうした観念から出発して、動物の行動や人間の心さえも、体内の物質の動きに、ひいては遺伝子に依存しているといった見解がもてはやされ、それを“証明する”研究が盛んに行われている。
 そしてこうした見解はえせ唯物論的な装いを凝らしているために、一見して合理的にさえ思われるのである。
 もちろん、人間の心が「心自体」として存在しているのでなく、人間の“物質的”存在、すなわち身体と密接不可分であり、それと有機的に関連していることを否定するマルクス主義者は一人としていないだろう。
 しかし今「利己的遺伝子」を唱える学者連中は、必ずしもこうしたことを言っているのではない。彼らはむしろ一義的に、人間の心を支配する「遺伝子」や“物質”についておしゃべりするのだ。ここにあるのは、形而上学的、機械的唯物論であって、マルクス主義的な弁証法的唯物論ではない。
 彼らは遺伝子が本質的であって、生物はそれに依存していると言うのだが、実際には生物――有機的な自律的物質、自己運動する物質組織――があって初めて遺伝子があるのだ。遺伝子が先か生物が先かは、解釈次第であり、「卵が先か、にわとりが先か」と同じ、どっちでもいい議論に見えるかもしれない、しかし実際にはここには本質的な差異がある。遺伝子はただ生物の運動と発展の契機にすぎない。生物は自らの「複製」を作り出し、増殖させようとする遺伝子の道具、担い手なのではなく、反対に、生物の恒久的な存在と発展――それは世代から世代へと受け継がれつつ貫徹されていくのだが――の契機が、遺伝子なのだ。
 もちろんこのことを、例えば、脳(人間)は生物世界の制約や法則から全く解放されている自由な契機である、といった形で理解するなら、すなわち機械的な唯物論を観念的に克服し、乗り越えようとするなら、間違いであろう。
 そうではなくて、脳さえも物質的、生物的、そして社会的な法則に従属し、制約されつつも、しかしそれをある意味で“乗り越えていく”存在、自覚的な存在である、ということである。ここでいう自覚的存在とは、自然的、生物的、社会的制約を無視したり、否定したりするということではなくて(そういう意味で“自由な”存在だということではなくて)、反対に、その法則、その制約を確認し、その中で自らの存在と生活と実践を位置づけ、生きて行くということである。
 「利己的な遺伝子」を唱える人たちは、結局は、この遺伝子を神秘化し、絶対化するのであり、かくして遺伝子の形而上学を作り上げているのだ。しかし遺伝子もまた“物質”の一定の発展段階が生み出したものであり、生物の発展に依存しているにすぎない。遺伝子の発展が、生物の発展を、そのありとあらゆる種類を生み出したのではなくて、反対に、生物の多様で、複雑で、“全面的な”発展が、不可避的に、遺伝子の同様な発展を生み出してきたのである。これを逆立ちして理解するなら、何らかの観念論、神秘論に迷い込む以外ないだろう。
 遺伝子は物質だが、物質とは全く違った世界を生み出す原動力となったとか言われている。これは要するに、かの高名な“精神”のことについて言われているのだが、ここまで来れば、遺伝子の形而上学は明らかであり、それがどんなに反動的な観念的空論に帰着するかもはっきり示されている。ここでは「利己的」遺伝子の観念は、利己的、ブルジョア的人間の観念から、それへの類推から引き出されているのだ。
 心や精神も遺伝子によって支配されているのだが、この遺伝子は自己の複製だけを求めてやまない、ある“利己的な”物質、要するに無規定の“物質”とだけ規定されている。生物から出発して遺伝子を規定せず、遺伝子から生物を規定しようとすれば、こうなる以外ないのだ。
 他方では、こうした見解に反発するところから、生物は、遺伝子の世界からは考えられない芸術とか、科学、高度に組織された社会を生み出してきた、といった主張もなされている。
 ここでは機械的な唯物論が、観念論がはびこるための一つの土壌となっていること、それが観念論を助けていることが示されている。芸術、科学、“社会”といったものは、遺伝子の理論からは合理的に説明されえない、というのだが、ここで「遺伝子の理論」と言われているものは、実際には唯物論と同義なのである。観念論者は、遺伝子の形而上学と闘うふりをしつつ、唯物論そのものと闘っているのである。
 遺伝子の形而上学は、人間もまた遺伝子からだけ理解できる、とわめく。
 これに反して、観念論者は、精神、科学、芸術がどうして遺伝子から理解されうるのかと反論し、精神、科学など要するに人間の精神的活動とその成果を神秘化し、さらに「神」の概念にさえ結びつけようとする。要するに、この両者は反発しつつも、相互に「補い合っている」のだ。
(W・H)

2000年10月8日■「海つばめ」第793号

レウォンティン著『遺伝子という神話』(大月書店刊)
 ヒトゲノムの解読が話題になり、遺伝子と生命現象との関連が大きな関心を呼んでいる。「遺伝子のことを知らずして生命を語るなかれ」、こんな風潮さえ生み出されている。こんな風潮が気になって、遺伝子に関する本を探している中で見つけたのが本書である。
 著者のリチャード・C・レウォンティンは、アメリカの高名な集団遺伝学者で、ウィルソンの「社会生物学」やドーキンスの「利己的遺伝子」のドグマに対する批判者としてもよく知られた人物のようである。
 本書の原題は「イデオロギーとしての生物学――DNA主義」で、生物学的決定論に対する反駁書という性格を持っている。カナダ放送協会の科学講座の講義をまとめたもので、平易な語り口で一般向け啓蒙書といった趣である。だが、わずか150頁の分量のなかで論じている問題は重要なものばかりで、科学とイデオロギー、遺伝子と環境、社会生物学、生物と環境、生物としての人間等、多岐にわたっている。
 まず彼は、科学というものが何ものからも影響されないものだという観念を排除する。現実の社会が不平等な社会で、この世界を正当化するための制度が求められ、その役割を“科学”が果たしている、というのである。「科学は、客観的で非政治的で、いつも真実である方法を主張します」(23頁)。しかし、「科学は社会を超越しているという主張にもかかわらず、科学は以前のキリスト教会と同じように、このうえなく社会的な制度であり、それぞれの時代の社会の主要な価値と考え方を反映し、またそれらを強化します」(24頁)。
 では現代世界の“科学的な見方”の特徴は何か。それは部分と全体を切り離し、部分(個人)を独立した基本的な単位としてみる見方であり、また原因と結果を明確に区別する見方である。「現代の生物学を含めた現代科学のイデオロギーでは、原子や個体などがより大きな集合物のすべての特徴の原因とみなされます。これは、この世界を研究する方法を定め、世界は原因となる個別の断片に分割され、バラバラにされた断片の特徴が調べられます。世界は、内的なものと外的なものという、独立した二領域に分割されます。原因は内的なものか外的なものかいずれかであり、これらのもののあいだに関係性はまったくありません。
 生物学では、このような世界の見方によって生物の生活全体と生物とについて特定の見方がもたらされました。内的な原因である遺伝子によって生物は定められるとみなされます。遺伝子と、遺伝子を作り上げているDNA分子とは、神の恩寵の現代的なかたちです。そして、この見方では、私たちが何者であるかは、遺伝子がどのようなものかがわかったときにわかることになります」(30頁)
 「あるレベルでは遺伝子が個体を定め、同じようにべつのレベルでは、個体が集団を定めます。なぜアリのコロニーでは分割された特定の仕事がアリ個体にになわれているのか、なぜ鳥の群は一定のやり方で飛ぶのかなどを理解したいと思えば、アリの個体、鳥の個体を調べることだけが必要とされます。集団の行動は各個体の行動の結果によるものであるからです。そして、このような個体の行動は、さらに同じように遺伝子によって定められます。このことは人間ではつぎのことを意味します。私たちの社会の構造は、各個人の行動が集まった結果によるもの以外の何ものでもないということです。国家が戦争を始めれば、それは各個人が攻撃的であるからだと主張されます。私たちが事業中心の競争社会に暮らしていれば、それは、私たち一人ひとりが個人として競争心が強くて事業家になろうとする欲求をもっているからだということになります」(31頁)
 彼が「生物学的決定論のイデオロギー」と呼ぶものは、「私たちは生まれつきのちがいのために基本的な能力にちがいがあること、このような生まれつきのちがいは生物として遺伝すること、そして人間の本性は階層社会の形成を保証している」(45頁)というものである。
 生物学的決定論には、遺伝の変更不可能性という立場のものとか、環境の影響も認めるものとか、いろいろあるようだが、これらのどれにも共通している誤りは遺伝と環境との関係を切り離してしまうという点である。彼は、遺伝と環境との関係を次のようにまとめている。
 「遺伝子のちがいによる人間のちがいの部分は変更不可能な特徴ではなく、環境に応じて変わります」。「環境のちがいと遺伝的なちがいは、因果関係のべつべつの道筋ではありません。遺伝子は、個体が環境にどの程度に敏感なのかに影響をおよぼし、環境は、個体の遺伝的なちがいがどの程度に適切なのかに影響をおよぼします。これらの相互作用は分離できません」(56頁)
 遺伝子は、タンパク質の「青写真」あるいはタンパク質を定めるための「情報源」で、そういうものとして遺伝子は、単なるタンパク質機構よりも重要なものであるとみなされているが、彼は、そうした観念を批判する。「中心的な分子」として遺伝子だけを切り離すのは、脳を筋肉よりも上位におくようなものだからである。また、ガン遺伝子の変化をガンの原因として取りだすことができても、この遺伝子の変化を生み出した原因(たとえば汚染物質の摂取)、そして汚染物質をもたらした社会的原因を見なければ一面的だと言うのである。
 現代生物学が資本主義体制のイデオロギーと密接不可分の関係にあると見抜く彼の眼は正確である。「社会生物学」の主張が現代版マルサス主義だとして、彼らの論理構造にまで入り込んで、この理論の虚偽を徹底的に暴き、結局のところ、現在の社会の永続を正当化するという役割を担っている、と喝破する。
 現代生物学の機械論的見方の源流が、環境の力と生物の内的な力を分離したダーウィンにあるとして、生物と環境の関係を論じた箇所は刺激的であるが、紹介する余裕がない。
(森)

2002年3月24日■「海つばめ」第863号

青野由利著『遺伝子問題とは何か』(新曜社刊)
 DNAが二重らせん構造であることが発見されてから、まもなく五十年が経とうとしている。T(チミン)、C(シトシン)、A(アデニン)、G(グアニン)というたった四つの塩基の配列が、親から子、子から孫へと、その生命の遺伝的要素を伝えていくのだが、その塩基配列がどう並んでいるかを読み解くまでになったといっても、それはアルファベットの長い羅列のようなもので、その配列のどの部分にどういった単語があり、それがどういった意味を持っているのかという“翻訳”の作業は、まだこれからである。
 しかし「ヒト・ゲノム」の解読が進むにつれて、様々な問題がでてきている。この本は、遺伝子研究がどのように進んできたかということの紹介とともに、それにまつわるいろいろな問題点をとりあげ、遺伝子問題を考えるうえでの入門書的な内容となっている。
 全体は十一章で、次のようになっている。一章「ヒトゲノム計画とは?」、二章「病気の遺伝子をつきとめる」、三章「体質の遺伝子」、四章「心の遺伝子」、五章「遺伝子診断」、六章「遺伝子治療」、七章「ゆれる遺伝子―遺伝か環境か」、八章「性差と遺伝子」、九章「DNA鑑定」、十章「遺伝子・社会・生命倫理」、十一章「遺伝子の心理学」。
 遺伝病の遺伝子や病気にかかりやすい(あるいはかかりにくい)体質の遺伝子の解明は、治療や薬の開発に役立つ。最近では「オーダーメイド医療」といったことも注目されている。DNAの塩基配列には個人差(多型)があり、それが人間の多様性をつくっているのだが、その個人差の中でも一文字だけが異なる「一塩基多型」=SNP(スニップ)の違いが薬の効き目や副作用の個人差となって現れると考えられ、その関連を解明できれば、副作用のない薬やより効き目の高い薬など、一人ひとりに適した治療が可能になるとみられているからである。
 しかし、薬の開発といっても、現代ではそのほとんどが製薬大資本の手に握られており、他よりも先んじて開発に成功した企業は膨大な利益を手にすることができるために、熾烈な競争が繰り広げられている。彼ら新薬を開発し、その特許を押さえることでぼろ儲けをしようと企んでいるのである。
 また、病気になる遺伝子や、なりやすい体質の遺伝子が解明されても、その治療方法や薬が同時に開発されるわけではなく、その場合、保険の加入などをめぐって不平等な扱いを受けたり、また就職や結婚などでも不当な差別を受ける可能性がある。実際、米国では健康保険会社の遺伝子情報の利用をめぐって政府を巻き込んで議論されている。
 著者はそうした動きを紹介する一方で、そもそも遺伝子に「よい遺伝子」や「悪い遺伝子」という普遍的評価があると思うこと自体が誤りだと指摘している。なぜなら、人間が狩猟採集をしていた頃は栄養を体にため込む遺伝子が生存に有利だったが、それが飽食の現代には肥満を招く要因になっているというように、環境との相互関連において遺伝子の評価は異なってくるので、「現在は病気を起こしている遺伝子が、将来は人類を救うことさえあるかも知れない」としている。
 遺伝子研究が進んでくると、他方でそれに便乗するように、遺伝子とは直接因果関係がないことさえも、さも遺伝子が原因であるかのような主張をする連中が現われてくる。知能や性格といったものにも、それを伝える遺伝子があるとして、それを追い求めている学者のことが本書では紹介されているが、著者はそこに「危ない」ものを感じるとしている。
 知能や性格といったものは、その本人が生まれ持っている先天的な要素よりも、後天的な環境の影響を強く反映したものであることは明らかである。環境が変われば当然の事ながら脳の受ける刺激も異なるのであり、生まれた状態のままただ放置されるなら知能の発達も、活発に刺激を受けた場合ほどではないことはすぐに理解できるところである。
 遺伝子研究といった科学の進歩を、非科学的な見解に結び付けようとする連中が後を絶たないのは、この社会が階級社会であり、支配者たちはこの体制を維持するためにありとあらゆるものを利用しようとするからである。
 もちろんこの本ではそうしたことは触れていない。ただ急速に進む遺伝子研究の現状とそこに巻き起こる問題にもっと関心を持てとよびかけるだけである。。しかし、遺伝子をめぐる問題の多くは、研究や技術開発が急速に進んで国民的合意がなされていないといったことにあるのではない。それは、こうした科学技術も資本の支配のもとで進められ、利用されていくということにある。
 生殖医療やクローン技術の問題など、遺伝子に関する科学の発展は、核のそれと同様、資本の支配のもとに放置するなら、人類にとって危険なものにさえなりかねない要素を含んでいる。科学技術の進歩もまた社会主義社会の登場を求めているのである。
(平岡)

1997年12月28日■「海つばめ」第660号

中村禎里著『ルイセンコ論争』(みすず書房、1967年刊)
 戦後日本の自然科学者を“沸かした”一つの論争がある。1950年前後に闘われた「ルイセンコ論争」である。
 この議論は生物学を舞台に闘われたが、しかし問題は決してそこにとどまるものでなく、自然科学一般や経済学や歴史学も含めた科学一般の本質的な問題にかかわっていた。したがってこの論争を総括することは、スターリン主義者=日本共産党の“科学的”な方法や思考様式、論理様式を知る上で非常に示唆と教訓に富んでいる。
 中村禎里の「ルイセンコ論争」はこの課題に応えようとして書かれたものであり、また実際かなり立派にこの課題に応えている。
 戦後しばらくして、日本の生物学界にソ連のルイセンコの学説と農業実践が紹介されたが、それはたちまち日本の“進歩的な”学者の受け入れ、推奨するものとなり、また長野県下伊那郡などで“ミチューリン運動”として農民によって実際に実践された。
 それはまた、当時支配的であり、また“正統派”とも言われたメンデル・モルガンの学説と激しく対決した。しかし結論的に言って、スターリン主義者たちは決定的に敗北し、正統派をして名をなさしめただけであった。この著書はその物語である。
 正統派学説に対する批判の根底は、遺伝現象の背後に何か遺伝的な物質を想定し、それを出発点にするのは間違いだ、というものである。端的に言えば、ミチューリン派は遺伝子を否定したのである。彼らは正統派の遺伝子説に、遺伝は「生物の本性」にかかわることであり、「物質代謝の型」である、といった理屈を対置した。
 また“伝統的な”学説では、進化が、突然変異と自然淘汰(生存闘争)から説かれるのに対し、ミチューリンは突然変異といったことを重視せず、また「獲得形質」は遺伝すると強調し、種の進化もしくは変化に対する環境の意義を強調してやまなかった。
 正統派生物学のブルジョア的本性と限界もしくは欠陥は明らかであった。その限界や荒唐無稽さを知るには、例えば、現在この系統の連中が“嫁いびりの”遺伝子があるとまで言いはやし(これは単なる一例にすぎない!)、その“発見”に血道をあげているのを見れば一番てっとり早いであろう。
 ここまで行かなくても、人間の性格やあれこれの精神的、肉体的な傾向のすべてを決定し、司るそれぞれの遺伝子がある、それを発見する(あるいは発見した)といったばか話がいくらでも振りまかれ、またこうしたよた話が一切の反動的な試みに利用されている――いかがわしい“心理学”などと結びつきながら――ことを見れば、正統派に対する、ある意味で根本的で決定的な批判が必要であり、正当であったことは明らかであろう。
 ブルジョア学者はまた、遺伝子を物神崇拝し、遺伝子こそ生物の本質であって、すべての生物は単にその乗り物にすぎないとか(“狡猾な”遺伝子についての空論等々を見よ)、その他、ありとあらゆる転倒した観念を再生産している。
 生物学はこの後、ある意味で爆発的で画期的な発展をとげたが、しかしそれは、遺伝子を無視し、否定する方向によってではなく、反対に遺伝子を重視し、その意義を確認する方向に沿ってであった。
 しかし正統派は進化やその原因、その本質的な契機については、依然としてダーヴィン(自然淘汰説)や突然変異説の限界の中に低迷している。戦後、正統派は急進的な装いを凝らして登場したスターリン主義者に激しく攻撃されたが、その本質や“弱点”は今に至るまでそのままなのだ。
 しかしスターリン主義者の闘いは、“ブルジョア的”生物学(その極端な例が“ファシズム的”生物学だ)と有効に、正しく闘うことができず、結局はそれを正当化し、のさばるのを許してきたのだ。
 そしてこの“スターリン主義的”ドグマ的を現実に適用した農民の実践――長野県下伊那郡で菊池謙一らを中心に、1950年前後に派手に行われた“ミチューリン農法”など――もまたみじめな失敗に終わったのである。
 実際、エンゲルスが「サルが人間になるに当たっての労働の役割」を書いて以来、数十年もたって、こんな低俗な議論が行われたこと自体一つの驚きである。彼はすでに一方で“目的論”(例えば、人類はまず頭脳が発展することで人間となった等々)を排し、他方で「獲得形質」が“遺伝される”――といってももちろん、スターリン主義者のように極端に矮小に理解すべきではない――ことを確認しつつ、サルが人間に進化する過程を基本的に正しく描いていたのだ。
 エンゲルスにとっては、種が変化し、あるいは分化していくこと、また新しい種が誕生し、発展してくることは自明であった。そしてそこには広い意味での環境の影響も大きな意義をもつことが承認されていた。また生物の適応も、そして適応の結果が(すなわちある種の「獲得形質」が、ある特定の場合と条件のもとで)遺伝することも当然のことであった。ここでは「突然変異」にどんな本質的な役割も意味も与えられていない。
 スターリン主義の反動的な役割は余りにも明白であったが、しかし我々は今、全く同じものを、例えば共産党の綱領などで見ないであろうか。彼らの「対米従属論」はまさにかつての「ルイセンコ学説」「ミチューリン主義」であり、本質的にそれと同じものである。それは人間“精神”の賢明さの証拠としてでなく、暗愚さの証拠としてのみ歴史的に意義をもつだろう。
(林)

2000年3月5日■「海つばめ」第764号

今西錦司著『進化とは何か』(講談社学術文庫)
 今西錦司は“正統派進化論”に長い間抵抗を続けてきた学者であり、その独特の理論――例えば“住み分け理論”――によって、今では一定の小さくない影響力を学会に及ぼしているかである。
 彼が影響力を持つことができたのは、“正統派”の進化論があまりにナンセンスであって、多くの人々を納得させることができないからである。
 ここで言う“正統派進化論”とは、ネオ・ダーヴィニズムつまり生物の進化を突然変異と自然淘汰によって説明する理論を言う。ダーヴィンは自然淘汰を強調したが、突然変異などについては論じておらず、それは後世の亜流の付けたしたものにすぎない。
 “正統派”の理論によれば、例えば人間が人間になったのは、ある類人猿の中で、特別の一匹だけが突然変異によって人間としての形質を受け取り――つまり頭脳の巨大化等々――、その人間――ミュータント――が自然淘汰によって勝ち残って人類が生まれたといったものになるが、こうした説明はひどくうさん臭く、化石などが教える実際の人類の歴史とも一致しない(例えば、人類は頭脳巨大化によって人類になったのではなく、直立歩行を行うようになって初めて類人猿と区別されるようになり、頭脳も大きくなった等々)。
 これに対して今西の理論は、種が全体として変化し、あるいは新しい種に移っていくというものであって、「生物は変わるべくして変わる」、「変わるときがくれば自然と変わる」といった言い回しに、彼の理論的立場の特徴が端的に表われている。
 また彼は「定向性変化」という概念や、獲得形質の遺伝や、「生物の主体性」(あるいは進化における生物――客観や環境ではなく――の「主導性」)などを謳い、強調する点でも、“並みの”学者とは区別される。彼は当然に“客観主義”を好まず、生物が環境に適応するという概念さえも保留づき、制限づきでしか認めないかである。彼はダーヴィンよりもラマルクを応援するが、それはラマルク理論が今西の「生物の主体性」論に近いと思い込んでいるからである。「生物の主体性」を持ち上げる今西は、当然にも“目的論”に対して非常に同情的であり、ダーヴィンを嫌うのも、ダーヴィンが環境適応を強調し、目的論を厳しく排しているからでもある(むしろ隠れた無神論者であったダーヴィンは、目的論を排するためにこそ、彼の“進化論”を書いたとさえ言える)。
 このように書くと、今西の理論など大したことはないかに見えるが、しかし実際には、“正統派”進化論に対する彼の批判の筆先は鋭く、ある意味で的確にその欠点とナンセンスさを突いているのである。
「ここに二つの進化論がある。その一つは、ランダムな突然変異に基礎をおいた進化論であり、これがいわゆる正統派進化論である。もう一つは、方向性をもった突然変異に基礎をおいた進化論であって、私が二十年以上前から〔一九四〇年代から――林〕、主張してきたものである。さて、この二つの進化論には、さらに二つの重要なちがいが含まれている。ランダムな突然変異に基礎をおいた進化論は、個体間にはたらく自然淘汰をもってこなければ、理論的に完結しないけれども、方向性をもった突然変異に基礎をおいた進化論は、個体間にはたらく自然淘汰をもってこなくても、それ自身のうちに理論的な完結性をもっている。この点は大きなちがいである。
 もう一つのちがいというのは、ランダムな突然変異に基礎をおく進化論というのは、もともと個体の変化から種の起源を、あるいは生物の進化を説明しようという立場である。これに対して、方向性をもった突然変異に基礎をおいた進化論は、種の変化から種の起源を、あるいは生物の進化を、説明しようとする。すなわち種とは、環境に適応するため、たえずみずからを作りかえることによって、新しい種にかわってゆく。これが進化であるとすれば、進化とははじめから、種レベルでおこる現象であるというのである」
 今西の初期のころの論争的な論文であるから、自分の立場を「突然変異」という言葉を使って説明したり、「種とは、環境に適応するため、たえずみずからを作りかえていく」などという、後に自ら否定するような言い方もしているが、しかし今西理論の特徴はよく現れているだろう。要するに、彼は「ランダムな突然変異」を出発点に、自然淘汰によって生物が進化するという“正統派的”進化論に反発するのだが、これは決して根拠のない反乱ではない。
 実際“正当派”の理論には、極めて“ブルジョア的”“個人主義的”な意識なり、社会思想なりの強い影響を見出さざるをえない。もちろん簡単に、自然科学的な理論に、「ブルジョア的」といった階級的規定を押しつけるのを奨励するわけではないが、しかし余りにばかげた理論がまかり通っているとなると、その社会的、階級的階級な根底もまた考慮したい気分にはなる。
 そして今西はこうした“ブルジョア個人主義的”な進化論(えせ“正統派”理論)に反発することによって、一つの歴史的な意義を獲得したのだが、しかしその立場はいわば無政府主義的反乱を超えていないといえようか。つまり政治の世界にたとえれば、えせ“正統派”共産党に対する、“新左翼的”(プチブル急進的)な反乱、とでも呼べば今西理論の位置がややはっきりするだろうか。
 このわずかな紙面で、今西理論の全面的で批判的な検討を行うことはできない。近く『プロメテウス』において、その課題を果たす予定(※プロメテウス38号参照)でいる。
(林)

1997年4月6日■「海つばめ」第624号

『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』(長瀬修訳・現代書館)を読む
 先に奈良県立医大で、血友病の出生前診断が行われていたことが明らかになり、大きな問題となった。最近の医療技術の発達は、妊婦の血液や胎盤絨毛検査、羊水診断等を可能にし、胎児の性別や遺伝病の有無の誕生前チェックを可能にしている。そのため、男女の生み分けや遺伝病が判明したときの中絶が行われるようになり、大きな論議を呼んでいる。今回の血友病出生前診断に関しても、日本母性保護産婦人科医会の新家薫常任理事は「先進国では診断を認めている。日本だけ禁止はおかしいし、母親に知る権利はある」と主張し、それに対して障害者らを含む市民団体「優生思想を問うネットワーク」の利光恵子氏は「障害を持った子供を抱えた女性はしんどいが、それでも出生前に診断して切り捨てるのはおかしい」と反論している等である(『読売新聞』3月12日)。日本産婦人科学会や日本人類遺伝学会が出したガイドラインでは出生前診断が認められる条件としては「重篤でDNA診断が可能な遺伝性疾患の保因者」などとされているのだという(同前)。こうした時、比較的最近出版された(日本語訳は96年8月)ヒューG・ギャラファー著『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』という本を古本屋で見つけ、興味深く読んだ。
はじめに
 本書は、自身が障害者でもある著者が、ユダヤ人のホロコーストの助走ともなったナチスドイツによる障害者の計画的抹殺が、如何に行われたかを執拗に追った「研究書」である。ナチスの障害者抹殺計画は、当時の優生学や遺伝学、生理学によって正当化され、医師や科学者自身がその先頭に立った。しかもナチスが動員した思想は単にナチスに固有のものではなく、当時の欧米諸国など世界的なものであったこと、さらに戦後ナチスの犯罪を裁いたニュルンベルク裁判でも、また戦後のドイツの国内法においても、当時の障害者に対する犯罪が十分に裁かれておらず、責任も追求されていない(また補償もされていない)ことも指摘されている。
 ドイツの連邦医師会などは87年に「知的障害者の優生的理由(遺伝的に損傷を持つ子孫の危険性)もしくは社会的指標(親としての義務が果たせない)による断種の許容性」に関するガイドラインを発表したりしている。すなわち障害者に対する差別や偏見は今日においても本質的に何一つ変わっていないとも告発している。
 このように本書は、ファシストによる障害者の計画的殺害を歴史的事件として暴くだけでなく、その背景にある障害者への差別と偏見、それを正当化する優生学や遺伝学、生理学等への告発の書ともなっている。ただ著者の立場は徹底した唯物論的立場ではなく(唯物史観の素養は全くない)、著者にとっては、障害者に対する偏見や差別の根源は永遠の謎≠ナある(例えば、著者は付録Aで「なぜ障害者に対する偏見はこれほど幅広く、頑固なのか。この質問への答えはない」などと述べ、くだらない説明を試みたりしている)。これは著者の基本的な立場から来るものであろう(著者はジョンソン大統領のスタッフを務め、米国で初めての障害者権利法である68年の建築バリア法の起草を行ったと「著者紹介」にはある)。
 しかし本書は、今日の出生前診断や安楽死問題を考える上で、われわれが踏まえておかなければならない一つの歴史的経験とその思想的背景を知る上で、参考にすべき著書の一つではないかと考える。
T四計画
 「T四計画」とは、ナチスによる障害者「安楽死」計画の名前であるが、それは単にその「新事業」の事務所が置かれた住所(それは、ヒトラーの総統官房からも近い豪勢な邸宅にあり、ティアガルテン通り四番地にあった)に由来している。
 まず著者はナチスのこの事件の概要とその今日的な意義を次のように述べている。
 「ヒトラー帝国の医者は慢性病患者を殺害する計画に参加したのである。20万人以上のドイツ市民が自分達の医者の手によって計画的に効率良く殺されたのである。命を失ったのは社会の良き市民だった。多くは死病にかかっていたわけではない。絶え間なく苦痛を訴えていたのでもなければ、著しく苦しんでいたのでもない。殺されたのは、施設に収容されていた精神障害者、重度の障害者、結核患者、知的障害者である。医者の目で『生きるに値しない』と判断された生命だった。……この計画は突然降って湧いてきたのではない。基本的な考え方は50年以上にわたり議論の対象となっていた。この計画は社会進化論の原理と花開き始めた優生学を論理的に応用したに過ぎないのである。基礎となっていたのは、ドイツだけでなく欧米で幅広く受け入れられていた、いわゆる科学的原理である。優生学、遺伝学、生理学が殺人の正当化に用いられていた」「生きる権利と死ぬ権利というナチスが解決しようとした問題は、疑いようもなく現代の課題でもある。現代の医療技術によってこの課題は緊急性を増し、一層困難になっている。しかし、課題自体は変わっていない。誰が生きて誰が死ぬのか、そして何より誰が決定権を持つのかという問題を、例えばナチスドイツのような中央政府が全般的な政策として策定しようと企てる際に何が起こったかを見ることは教訓的である」と。
 次に著者はT四計画の実施に承認を与えたヒトラーの思想に言及し、「生物学的に卓越したドイツの能力を保存できるかどうかがヒトラーの気がかりだった。ドイツ民族を強化し、『雑種化』から防ぐのを望んでいた。……汚染はユダヤ人やジプシーからだけではなく、劣等で欠陥をもつドイツ人、つまり『梅毒病者、結核患者、遺伝的変質者、肢体不自由者、クレチン病患者』からもあった。これは『わが闘争』にあるリストである」と指摘している。そして「ヒトラーの見解は当時受け入れられていた優生学の教義を曲解した不正確なものだった」が「障害者がもたらす脅威についてのヒトラーの思想は、決して常軌を逸した異様なものではない。……ヒトラーの断種と安楽死に関する思想は当時の科学理論、社会理論から自然と導かれていた」とも指摘している。
 そして障害者の「安楽死」計画に先立ち、ナチスが政権の座について5カ月後に「遺伝的子孫予防法」(通称・断種法)が公布され、1933年から39年の大戦開始までのわずか6年余りに37万5千人にものぼる断種が実行されたと指摘されている(当時は他国でも同様の法律があったことに注目する必要があるが、ナチスほどには熱心に実施されなかったという)。
 T四計画の運用の責任者はヒトラーの側近のブラントとボウラーだった。ブラントはヒトラーの侍医であり、ボウラーは総統官房の責任者だった。ボウラーの部下のブラックが、中央事務所の責任者として事務面を担当した。計画は極秘に進められ、ヒトラーの指令という以外は帝国の如何なる公的≠ネ法制にも基づいたものではなかった。しかしすでにヒトラーこそ、すなわち法≠ナあった。事業実施の三つの事業体が設置された。それらには意図的にあいまいで誤解を生む名前がつけられ、「公共施設利用財団」は予算、財政面を担当、「帝国療養療護施設事業団」は実施面、すなわち選択基準の開発、質問票の作成、選定委員会の事務支援、死をもたらす鑑定機関の運営に当たり、「公共患者輸送会社」は数万に及ぶ病人と障害者を全国の病院や保護施設等から主な六つの安楽死施設への運送を担当した。
 殺害の方法は、当初は銃殺、その後皮下注射、薬殺、餓死、一酸化炭素シャワーと様々な手法が用いられた。後にユダヤ人虐殺で利用されるシャワー室をガス室として利用する方法は、障害者の効率的殺害方法として開発≠ウれたものだった。機械化が進んだ施設ではベルトコンベヤーが死体をガス室から焼却炉へ運んだ。殺害された障害者の遺族のもとへは、それぞれの障害者ごとに考えられた病名による不慮の死の通知と遺骨(灰は誰のかは分からない)が有料で送られた。金の入れ歯は集められT四計画の会計局の管理下に入った。また犠牲者の脳組織などは実験材料や標本として生理学者などに提供された等々。
 こうした中央がコントロールした政府の安楽死計画は1939年秋から1941年夏まで続き、少なくとも公式の数字として残っている7万余の障害者が殺害された(裁判の文書には総数12万という数字があるという)。
 しかも問題なのは、身体障害者と精神障害者の殺人計画は41年夏では終わらなかったことである。ドイツ全土の医者は「生きるに値しない生命」に「最終的医学援助」を執行し続けた。基準や決定機関が鑑定委員会や鑑定医の手から離れ、現場の医者に移っただけで、占領米軍の記録によれば、終戦までどころか、終戦後も一定期間続いたのだという。「いわゆる『野生化した安楽死』は、組織的でなかったが、さらに広範囲にわたる無差別殺人をもたらした」。ナチス時代に何人の障害をもつドイツ人が殺されたかは、正確な数字は不明である。
 なお著者はさらにT四計画とは別に「誕生時に欠陥のある子供や、知的障害と見なされた子供」を殺害した「子供計画」なるものの存在も明らかにしているが、その詳細については割愛する。
T四計画の起源
 すでに紹介したように、こうした障害者の計画的殺害には思想的背景があった。
 「障害者に『最終的医学援助』を提供する計画は、……半世紀以上にわたって科学界と医学界が議論を積み重ねてきた原理と提案の現実への応用だった。この議論はドイツだけではなく、西洋であまねく行われていた。……発展途上の科学である優生学、社会運動としての社会ダーウィニズム(社会進化論)、社会哲学としての一元論の文脈で、この議論は行われた。最終的医学援助はチャールズ・ダーウィンの『種の起源』の出版後に起こった生物学分野の活発な探求と活動の予期せざる鬼子だった」
 著者は、ダーウィンの理論は、「深い洞察の産物」だが「多くの誤解をもたらしてきた」とし、「工業化社会での成功と進化の中での生存と淘汰の関係は、初期の進化論推進派が信じたがったほど明白ではなかった。にもかかわらず社会ダーウィニズム論者が自然生物学の科学的原理を人間社会に適用しようとする性急な動きはとどまることがなかった」「進化論と遺伝の法則が提供した知識と洞察は20世紀初頭の新優生学で合流した」と指摘している。
 特に著者は米国では「優生学者は革新運動の中核だった」と米国での運動を詳しく紹介している。「米国が欧米諸国間で障害者の断種の先頭を切ったのは、ドイツ第三帝国に先立つこと20年だった。米国の断種は1920年代に最高潮を迎えたが、第二次世界大戦中、そして戦後の50年代も数州では継続した。1958年までには6万人の米国市民が断種されている」。著者は、カナダのアルバータ州やデンマーク、フィンランド、スウェーデン、アイスランドでも断種政策が採用されたと指摘している。さらにアメリカの優生学者は障害者の断種だけでなく、「障害者自身と社会の安全のために強制収容」さえ求めたという。収容法の施行も求められ、「世紀の変わり目は保護施設が大成長した時代だった」。
 さらに「ドイツ思想へのダーウィン理論の衝撃は英国や米国でのそれに劣らなかった」とナチスに至るドイツの思想的背景に論を移している。ドイツでは「生物学の進化論者、社会ダーウィニスト共に、一元論の旗のもとに結集していた」。「一元論は『一致』に捧げられた哲学運動」であり、「宇宙は完全であり、心と体、人間と自然はそれぞれ一体だった」。「一元論は自然の法則が社会の法則でなければならないし、現実にそうであると訴え」た。
 最後に著者は次のように述べている。「障害者の断種・強制収容・殺人という概念が、ナチス国家以前からドイツの知識層で議論されていたのは疑いようがない。それはドイツに限った話でもなかった。この点についてナチス社会政策に創造性も革新性もない。ただ実施面でナチスは首尾一貫し、効果的だったのが違いである。その政策の起源は、医学界、科学界、知識層全般にあった」と。
 本書は400頁近くの大著であり、その全容を紹介することは困難である。しかしかつて障害者への差別と偏見が「科学」の名でかき立てられ、それが国家の政策として採用されることによって、障害者の大量殺人にまで到ったという事実は、今日、出生前診断や安楽死問題を考える上で、十分考慮に入れておくべきことではないかと思う。「科学」もそれを利用する社会や階級的立場によっては凶器=i狂気?)にもなることは、原爆を例に取って見ても明らかだろう。
(亀崎勘治)

1999年10月10日■「海つばめ」第745号

人類の個として遺伝子はみな同じ
 世界の人口は60億人に達しているが、2010年には70億人を超えるという見通しを、国連食糧農業機構(FAO)が出している。
 この機構が人口を予測するのは、人口と食糧の関係を考えるためだが、ありがたいことに、この機構は、人口の増加率も低下し、食糧消費量の伸びも鈍化するため、食糧の生産は需要を満たすことができると結論し、マルサスの悪夢を退けてくださっている。
 しかし人類は一体何人になったら、その人口増加を停止するのであろうか、そしてこの“狭い”地球上に、どれくらいの人類がいたら“適正人口”ということになるのだろうか。あるいは、そもそも“適正人口”など問題にするのはナンセンスなのだろうか、というのは、地球上にどれほどの人類が生存できるかは、あらかじめ言えることではなく、生産力の発展などいくつかの要因によって左右されるのだから。
 しかし、そうは言っても60億人、70億人といった人類が存在する必要があるのであろうか。
 もちろんブルジョア個人主義的立場に立つなら、すべての個人がそれぞれ固有の価値と存在意義を持つのだから、人口は多いに越したことはない、ということになりかねない。
 しかし“人類”という立場から見るなら、人口が増え過ぎて、その結果、人類が破滅するなら、人口増といったことは必ずしも好ましいことではない。
 人間は人間であるかぎり、みな人間という“人類”として同じであり、対等であり、いくらでも置き換えることができる。つまりある人が存在しなくなっても、他の人が存在するなら、人類は存続する。個々人は人類の個として、みな同じであり、同じ遺伝子を持っており(勿論、個々人のちがい、つまり“個性”を含みつつ)、60億などという膨大な数がいなくても人類は滅びることはない。
 地球上に60億人の人口を養うことができるかというなら、それは可能であろう。しかしそのことは、人類がこれから何千年、何万年と続いて行く上で、60億人という人口が必要だということと別である。一億人でも一千万人でも、あるいは百万人ほどでさえ十分だろう。
 もちろん地球上に、人類以上の“個”数を誇る生物はいくらでもあるだろう。昆虫など、60億などという個数はたいした数ではない。細菌にいたっては、天文学的な存在であろう。
 しかし高等で大柄な哺乳類の中で、人類ほど“繁栄”している動物は、すでにこの地球上に存在しない。人類は多くの他の生物を滅ぼし、あるいは追いつめつつ――例えば、狼などは今ではその数を世界中から急速に減らしてしまい、人類の数に決して対抗できない――、一人急激に増え続けている。
 食糧だけを抽象的に考えるなら、人類はこの地球上で百億人いても“食って”いけるかもしれない、しかし環境問題一つとっても、問題は単に食糧確保だけの問題でないことは明白だ。
 人類はすでに“種”としての破滅の予感におびえなくてはならない段階に達しており、自らの長期的な存在について思いをめぐらす時代に来ているのだが、それは無政府主義を本質的特徴とも、生活様式ともするこの資本主義のもとで可能であろうか。とにかく、30数億年の生物の歴史を反省しても、滅び去ることのなかった“種”は一つとしてないという事実――とはいえ、新しい“種”もまた生まれ、生物の歴史はとぎれることなく続いて来たのだが――を、我々は深く反省すべきであろう。
 この反省できるという点だけは、確かに人類が他の生物と異なる、他の生物に優越する特性ではあるが、しかしそれだけでは必ずしも人類の破滅を防ぐ術(すべ)とはなりえないのだ(少なくとも、今の段階では)。
(林)

2001年3月25日■「海つばめ」第815号

ハエより1万個多いだけ
 人間の遺伝子情報の解読がほぼ終わり、その結果が発表されている。
 科学の新しい発見――それが社会科学的なもの、歴史的なものであれ、自然科学的なものであれ――が行われるたびに、マルクス主義と史的唯物論の一般的な正しさが明らかになるのが常であるが、今回の遺伝子情報の解明もまた、その例に違わなかった。
 今回の発見でまず人々が驚いたのは、人間遺伝子の数が予想されたよりもはるかに少なかったことである。予想では10万個ほどだったのに、実際にはその三分の一以下の3万ほどだというのである。
 例えば、遺伝子の分析には欠くことのできない生物で、その遺伝子もよく研究されているショウジョウバエの遺伝子は2万1千個だから、この“下等”生物に比べて、何と言語能力、学習能力まで持っている人間さまが、わずかそれより一万個しか多い遺伝子を持っているにすぎないというのだ。
 「威張っている」人間さまのことだから、ハエよりも少なくなかったことがめっけものだったのかもしれない。もしハエよりも少ないということになれば、人間さまの権威はガタ落ちだったところだ。
 実際、人間の体内で働く蛋白質は十万種類で、これを一つの遺伝子が一個ずつ作ると考えられていたのだが、その三分の一の遺伝子で済んでいるというのだ。これはいろいろのことを語っている。
 考えられるのは、人間活動の一つ一つが遺伝子に依存しているのではなく、蛋白質の働きに頼っている、ということである。
 また、一個の遺伝子で平均して3〜4個の蛋白質を作りだしているとも言える。そのメカニズムはまだはっきりしていないが、しかし遺伝子が単純に作用しているという観念は否定されざるをえないだろう。
 遺伝子の進化は自動的な過程であるとか、突然的変化に依存するものであるとかいった、いくつかのブルジョア理論が大きな打撃を受けることだけは確かであろう。実際、遺伝子万能論、あるいは遺伝子決定論――その典型は、悪名高い「利己的遺伝子」論だ――ほどにナンセンスなものはないのだ。
 人間は遺伝子をもまた環境などに対応させて、変化させ、進化させてきたのであって、遺伝子の自動進化論とか、突然変異論など合理性を持たない、という“マルクス主義的な”観念――別にマルクス主義的観念とか、プロレタリア的観念と言う必要もないのだが、しかしブルジョアたちが余りにくだらない見地を持ち出すので、つい言いたくもなるではないか――は、ここでもその正当性が証明されたというべきだろう。
 そしてまた、地球上のすべての人間の遺伝子は99.9%が共通であり、違うといってもわずか0.1%の枠内でのことである、ということも明らかになったという。
 このわずかな遺伝子の違いで、肌の色とか目の色の違いが生じているにすぎない。
 これまもた、地球上の全人類は一つの“種”としてみな同等であり、平等であって、民族とか人種とかの差別、あるいは区別さえもナンセンスである(違いを言うなら、階級的違いこそが本質的であり、決定的である)、というマルクス主義の国際主義的見地を“側面から”補強するものであろう。
 もちろん、自然科学的な研究によって、「人間というもの」のすべてが明らかになる、ということはないし、ありえない。このことは、人間が“社会的な動物”である、というたった一つのことを取り上げるだけでも明らかであろう。社会的生物としての人間は、ただ社会科学的な分析と研究によってのみ、その本質が解明されうるのだ。
 しかしそれにもかかわらず、自然科学的な人間の研究は、マルクス主義的人間像を少しも後退させないで、ますますその正当性を明らかにしたし、これからもしつつあるということは、何という愉快なことであろうか、またそれだけでもマルクス主義の立派な勝利――決して、どうでもいいものではない――と“有効性”を教えていないであろうか。
 ダーウィンが生物の進化について、したがってまた人間の進化について“進化論”を発表してから一世紀半が経過したが、人間の“愚かしさ”はまだまだなくなってはいない。
 そして人間が自らの“愚かしさ”と決別して、真実に人間としての存在と歴史の段階に入っていくことができるかどうかは、社会主義・共産主義の社会を勝ち取るとともに、自然のあらゆる面における知識を深め得るかどうかに依存しているであろう。
(W・H)

1996年5月26日■「海つばめ」第582号

ブレヒト作『戯曲・ガリレイの生涯』(岩波文庫)
 今年はブレヒト没40周年にあたる。最近、大阪の労働者講座で、それを記念してこのブレヒトの戯曲の上演ビデオの鑑賞と合評を行った。
 ブレヒトは、「ガリレイの生涯」を十五場の戯曲に仕上げている。
 周知のように、近代自然科学の基礎を築いたガリレイ(1564〜1642年)は、木星の衛星や土星の環、月面の凹凸、太陽の黒点などを発見し、コペルニクスの地動説に強力な支持を与えたが、二度にわたり宗教裁判にかけられ地動説の放棄を命ぜられ、服従しながらも、“それでも地球は動いている”とつぶやいたと伝えられている。
 ブレヒトはガリレイが家政婦の息子(アンドレア)に地動説をさまざまな具体例で説明する場面からはじめる。二千年もの間信じられてきた天動説が乗り越えられようとしている。「古い時代はおしまいになり、新時代が来ている」。ブレヒトはいたるところで天動説が古い封建秩序と密接に結びついていること、だから地動説はそれを覆すものであることを明らかにしている。
 例えば第十場の謝肉祭を描いた場面では、ガリレイの学説が民衆のなかに広がり、大道歌手などがその新しい理論をとりあげて題材にしたことを指摘し、大道物語歌手に次のように歌わせている。
 「全能の神様が天地創造を告げられた時/太陽に向かって叫ばれた。『その方はわしの命に従いはしためのようにランプをもって地球のまわりを/きちんと輪をかいて廻るのだ』と。……そこで廻りはじめたぜ、……法王のまわりを枢機卿がまわる。/枢機卿のまわりを僧正がまわる。/僧正のまわりを神父がまわる。/神父のまわりを市の陪審員がまわる。……これこそ皆さんよ、偉大な秩序というもの」「ところが皆さん、そこで何が起こったと思し召す?/すくっと立ち上がったガリレイ先生/太陽にむかってこう言われた『とまれ!/これからは神の創造物は逆にまわることになるのだ』/これからはご主人が/下女のまわりを廻ることになるんだ」「お前ら、この地上で苦しみ嘆いて暮らす者たちよ、/立ち上がれ、お前たちの弱い活気(ちから)を集めろ!/そして偉大なドクトル・ガリレー先生に/地上の幸福の手ほどきを学ぶのだ」等々。
 ブレヒトはこのように、地動説とそれを広めたガリレイを中世の封建秩序の破壊者として民衆から歓呼でもって迎えられたことを暗示する。
 しかし宗教裁判にかけられたガリレイは教会権力に屈服し地動説を撤回する。ガリレイが自説を貫くことを期待しながら待っていた弟子たち(成人し科学者になったアンドレアもその一人)は、その期待を裏切られ、師を罵りながら離れていく。
 第十四場では、囚人として監視付きの幽閉生活を送っているガリレイをアンドレアが訪ねる場面を描いている。そこでガリレイは『新科学対話』の原稿の写しをアンドレアに密かに渡すのであるが、アンドレアは幽閉生活にありながら科学研究を続けていたガリレイに感銘し、彼が地動説を撤回したのは「ただ勝ち目のない政治的いざこざから身を引」き、「科学の本来の仕事」を続けるために「時を稼いだ」のだと評価しようとする。「科学の本来の仕事というのは……」というガリレイの疑問にアンドレアは答えて言う。「……機械の母である運動の生活の研究です。機械だけが、この地上を天国などお払い箱にしてしまってよいほど住みよいところにしてくれる」「科学はただ一つの掟しか知りません――それは科学に貢献することです」
 しかしガリレイはこうしたアンドレアの“科学至上主義”ともいえる主張を否定する。ブレヒトはガリレイの次のような言説を借りて、自分自身の科学観、科学者観を展開しているように思える。
 「私は科学の唯一の目的は、人間の生存条件の辛さを軽くすることにあると思うんだ。もし科学者が我欲の強い権力者に脅迫されて臆病になり、知識のための知識を積み重ねることだけで満足するようになったら、科学は片端にされ、君たちの作る新しい機械もただ新たな苦しみを生み出すことにしかならないかもしれない。君たち科学者は、時の経つうちには、発見しうるものをすべて発見してしまうかもしれない。でも君たちの進歩は、人類から遠ざかって進んでゆくものになってしまう。そして君たちと人類の溝はどんどん広がって、遂には君たちが何か新しい成果を獲得したといってあげる歓喜の叫びは、全世界の人々がひとしなみにあげる恐怖の叫びによって答えられることにもなりかねない」
 こうしたブレヒトの科学観は、近代物理学がナチスと闘うという大義名分のもとに、原子爆弾を作り上げてしまった歴史的経験にもとづいているのだという。確かにここには自然科学といえども、この階級社会の中では党派性と無関係ではないこと、資本主義の下では科学の成果は資本の生産力として現れ、労働者には敵対的なものとして現象することが指摘されている。しかしだからこそ必要なのは階級社会そのものの克服であることが必ずしも明確に述べられているわけではない。
 しかしいずれにせよ、このブレヒトの戯曲は、資本主義の下での科学の意義と矛盾という極めて現代的な諸問題をも考えさせるものではある。
(亀崎)

2000年12月24日■「海つばめ」第803号

カール・セーガン著『人はなぜエセ科学に騙されるのか』(新潮文庫)
 カール・セーガンといえば、惑星科学を専門とする科学者として有名であるが、96年12月に亡くなった。彼は、SETI(地球外知的生命探査計画)にも関係していた。
 もっとも、“宇宙人”を探していたからと言って、セーガンは、宇宙人が地球を訪問しているとか、地球人を誘拐して精子や卵子を採取しているだの、地球の未来について警告を発している、云々を信じていたわけではない。
 彼は、UFO=宇宙人説は迷信とかエセ科学の類であるとして、かなりのページ数を割いている。
 エセ科学にはいろいろな種類がある。嘘発見器による植物の感情の検出・テレパシーなどの超能力・錬金術・空中浮揚・チャネリング(宇宙人や死者との会話など)・地球空洞説・占星術・ムー大陸やアトランティス大陸・超古代文明(古代の宇宙船など)・古代生物の現存(猿人やネッシーなど)・地球外の天体での建造物(火星の運河など)・永久機関……。
 本書ではこれらの他に、魔女裁判・奇跡(聖人によるものやキリストとかマリアの出現によるもの)など、宗教との関連でも似非科学を告発し、それと“真の”科学との違いを示そうとしている。
 本書では、マスコミの腐敗・政府の教育政策・社会の退廃など、エセ科学の跋扈する理由もあげられてはいる。だが、表題から想像されるものとは違って、本書は科学教育の必要についてのエッセイ集なのである。
 もっとも、科学(教育)が政治や経済に大きく影響されている以上、それらについて言及せざるを得ないし、それはセーガンが意図していなくても、資本の体制のもとで、科学(教育)がどのように扱われるかを告発するものとなっているのである。
 本書と同趣旨の本に、マーチン・ガードナーの『奇妙な論理T・U』(教養文庫)がある。こちらも面白く、一読する価値があるだろう。
 「似非科学は、科学的方法や科学の知見を装っているけれど、その実、科学の大切な部分をないがしろにする。というのも、不十分な証拠だけでどんどん話を進めたり、他の可能性を示す手がかりに目をつぶったりしがちだからだ。似非科学は、人々の軽信性をくすぐる。しかも、新聞、雑誌、本、ラジオ、テレビ、映画などが、うかうかとお先棒を担ぐものだから(物知り顔で黙認することも多い)、似非科学はいたるところにころがっている」
 セーガンは、迷信や似非科学が蔓延する原因の一つに、軽薄なマスコミの他に、きちんとした科学教育の欠如をあげている。
 アメリカの成人の四割強は、日本がどこにあるのか知らない。また、およそ半数が、地球が太陽の周りを回っていることや、それに一年かかることを知らないという。
 「読み書きできると判定された人のなかにも、ごく簡単な文章が理解できない人がたくさんいるのである。6年生の教科書や、製品マニュアル、バスの時刻表すら難しい……。しかも、今日の6年生の教科書は何十年か前にくらべるとずっとやさしくなっている。その一方で、職場ではかつてないほど読み書き能力が必要とされているのだ」
 これは、学習内容を切り縮めることが、基礎学力の確保にはならない、ということであろう。
 「ある大手エレクトロニクス企業の報告によると、同社への求職者の80パーセントが、小学5年生の算数のテストにパスできないという。労働者の読み、書き、計算し、考える能力があまりに低いため、合衆国はすでに年間約四百億ドルもの金を失っている(生産性の低下による損失と、補習教育にコストがかかるため)」
 このような状況は、社会が基礎研究を軽視していることとも関係している。
 「基礎研究には、すぐには応用できないという特徴がある。応用できるのは、何十年、ひょっとすると何百年も先かもしれない。……もしも自由経済の活力が目先の利益にだけ向けられれば(アメリカでは実際そうなっていて、企業研究は急激に落ち込んでいる)、自由経済に下駄を預けるのは、基礎研究を捨てるのと同じことだ」
 爛熟した資本主義においては、企業が「目先の利益」以外に興味をもつはずはない。こうして科学研究や科学教育は切り捨てられていくのである。
 「私はアメリカの未来に不安を抱いている。子供たちや孫たちの時代には、アメリカはますますサービス・情報社会となり、主要な製造業はほとんどよその国に移っているだろう。恐ろしいほどに肥大化したテクノロジーはごく少数のものの手に握られ、国民の利益を代表する議員たちのなかには、問題点がわかっている者など一人もいなくなってしまうのではないだろうか。いるのはただ、自分たちの手でやるべきことを決めたり、知識の力によって権力に疑いの目を向けたりできなくなった人たちや、水晶を握りしめ、びくびくと星占いにお伺いをたてる人たち、そして、批判力を失い、気持ちよくさせてくれるものと真実との違いを識別できなくなった人たちばかりだ。そしていつのまにか、アメリカは迷信と暗黒の世界へと滑り落ちてしまうのではないだろうか」
 これはアメリカだけではなく、日本の未来(現在?)でもある。科学(教育)の軽視という点では、日本はまるでアメリカの後を追っているかである。
(弥)