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マルクス主義同志会機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1301号 2017年5月14日
【一面トップ】目的は権力の保持――安倍の改憲のための改憲
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】教育無償化の大合唱――進次郎の人気取り政策
【二面トップ】既存二大政党の没落――左右のポピュリストも未来なし

※『海つばめ』PDF版見本

目的は権力の保持
安倍の改憲のための改憲

 安倍が突然、これまでの慎重姿勢を一変させて、憲法改定を叫び始めた。その目的はいわずとしれた権力の保持であり、延命である。現在4年半ほどになる政権をその倍ほどに延長させ、2021年まで権力の座に居座ろうということである。だから安倍政権の持ちだした憲法改定案は、ただ憲法改定が行われればいいといった野望に従属したものであって、支離滅裂で、これまで自民党が掲げてきた憲法草案とは全く別のものであるばかりではない、論理的、実際的な矛盾に満ちたものである。こうした安倍の野望が簡単に通用しない可能性は大きい、というのは、それは国家主義派、反動派にとってさえ容易に認められるものではないからである。

 安倍が突然に持ちだした憲法改定案は、9条の改革を中心とし、それに珍妙な教育改革≠付け加えたようなしろものである。

 9条という、国家主義派、反動派が最も問題視し、蛇蝎のごとく忌み嫌い、攻撃する条項を的にして憲法改定を打ち出したのはいいが、その基本的な内容は、9条の1項、2項を残し、3項を加えて、そこに自衛隊は軍隊であり、合憲であると規定するといったものである。

 まるでばかげている。

 憲法9条は、周知のように、以下のように書かれている。確認のために引用すれば、次のようなものである。

「@日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段として、永久にこれを放棄する。

A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 9条のこうした文章を一見しただけで、安倍のいうことが途方もない矛盾したもの、実現不可能なものであることは明らかである。

 1項は何とかなるとしても――現実的には、それさえ危ういのだが――2項はとうてい、安倍の言うことと調和し得ない、というのは、余りに明白に「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と書かれているからである。

 安倍は「自衛隊は自衛隊≠ナあって軍隊ではない」と強弁するつもりであろうか。しかし自衛隊が、「陸海空軍その他の戦力」である事実は、安倍の権力が万能の独裁権力であっても如何ともしがたい真実である。そもそも自衛隊は軍隊ではない、必要なことは、それが憲法に謳われていることだといっても、意味不明のたわごとにしかならないこともまた自明である。

 そもそも、軍隊ではない自衛隊≠ェ憲法に書かれて合法化することに、どんな意味があるのか。軍隊として、つまり実際的な「戦力」として規定されないならナンセンスである。

安倍のチンプンカンプンのご都合主義が、彼を支える勢力――天皇制国家主義勢力、反動派――によってさえ支持され、認められ得る保証は何もないように見える。

 安倍はすでに昨年、安保法を成立させ、事実上9条を骨抜きにしたし、また事実上自衛隊は日本国のれっきとした軍隊として、すでに久しい以前から存在していて、それが「戦力」でないと思っている人は、国内では――世界でも――ほとんど存在しない。

 安倍は――自民党や反動派は――憲法など変えなくても、事実上、今では何の差し障りもなく、自衛隊を日本の軍隊として通用させ、外交、防衛政策を行っているし、行うことができている。すでに安保法がそれを証明した。

 安倍は知識人や憲法学者が、自衛隊を憲法違反と言いはやすから、そうしたことをなくすというが、実際には自民党は彼等を無視してすでに何十年も防衛政策を考えてきており、今さら「憲法学者」も何もない。 自民党や反動派が、憲法を擁護してやまない憲法学者やインテリや共産党や自由主義派やかつての社会党等々のおしゃべりや空論を聞き流して、堂々と軍隊を育成し、軍事増強に励んできたからこそ、強大な日本の軍隊はすでに存在しているのではないのか。

 安倍が、そんな現実を追認したいというなら勝手にやればいいが、そんなものは、――安倍の権力維持と延命のためには大きな意義があるということを除いては――、実際的にはすでにほとんど意味を持っていない。

 そもそも「国防」のために、「必要最小限度の武力行使と実力組織」の保持は憲法9条の許容できる範囲だとして、自民党が戦後まもなく再軍備≠ノ走りはじめたときから、ある意味では、憲法9条は形骸化し、空虚な空文に化して来ていたのだが、いわば日本の全ての政治勢力が、自分たちの都合のために、そんな現実を認めないで来たにすぎない。

 しかし今やそんな虚偽や虚飾がすべてはげ落ち、厳しい現実が表面に躍り出てくるのである。

 野党もまた現実から目をそらせつつ、建前として、お経のように「憲法擁護」を唱えてきたにすぎない、まるでそれを唱えていれば日本の資本家国家の反動化、軍国主義化が避けられるかに、である。

 だが日本の資本の成長の結果、資本の過剰蓄積と爛熟と矛盾が激化し、経済の慢性的な停滞や衰退さえ顕著になり、資本の輸出が、つまり海外投資が本格化し、単に国内の労働力だけでなく、海外の安価で、豊富で、新鮮な労働力を搾取するようになるとともに、日本の国家の寄生化、軍国主義化、帝国主義化は、つまり安倍政権の登場は一つの必然として自己を貫き始めたのである。

 リベラルや共産党は、「安倍政権は憲法が許容する個別的自衛権を越えて、集団的自衛権までも容認して、自衛隊の海外派遣も認めた、安保法を成立させて憲法の解釈≠変更した、憲法違反を犯した」とはやしたてるが、お笑いである。

 リベラルや共産党がいうこともまた、一つの憲法解釈≠ナあって、それが許されるなら、自民党や反動勢力がいくらか違った憲法解釈≠したからといって、それがなぜ非難されるのか。

 例えば、リベラルや共産党は「個別的自衛権はいいが、集団的自衛権はダメだ」と言うが、しかしなぜ個別的自衛権が許容されて、集団的自衛権が許されないのか。

 リベラルも共産党も、この問いにまともに答えることは決してできない、というのは、「国家に固有の℃ゥ衛の権利」があるというなら、その権利が個別的自衛権によって保障されようと、集団的自衛権によって保障されようと同じことだからである。個別なら軍隊を規制、統制できるが、集団になったらできないといった問題ではない。

 自民党政権は国内向けには、自衛隊は軍隊ではないと偽り、国外向けには軍隊であると誇示してきたが、しかし今やそんな偽善はかなぐり捨てて、公然たる帝国主義的強国の一つとして登場しようとするのである。

 しかし彼は今なお臆病とご都合主義にとらわれ、9条に3項を付け加えるといった便宜的なやり方に走るのだが、それはただ安倍が政権維持のために、この問題をただ利用しようしているからであって、真実の保守――それがどういうものかはさておいて――にとっては心外のこと、矛盾したことに見えるのである。

 そして民族主義に堕落し、資本の支配の体制に融合し、頽廃した共産党もまた、「国家は固有の自衛権がある」と強調してきた。

 共産党が現実の自衛隊に反対したのは、日本は独立した国家ではなく、したがってそんな国家の軍隊(自衛隊)は日本のための軍隊ではなく、アメリカのための軍隊だから認められないと結論したからである。

 そして彼等は、もし日本が真実の独立国家であったら――あるいは、そうなったら――、当然軍隊は持つべきであり、そのためには憲法も変えなくてはならないとまで主張してきたのである。

 こうした政党が安倍政権の支持に、その軍国主義的政策の容認に容易に転じて行き得ること、必然的に転じて行くことほどに確かなことはない。

共産党は安倍の挑戦にいかに立ち向かい、いかに闘うというのであろうか。

「憲法を守れ」では闘うことができない、というのは、共産党が守れと言い続けてきた憲法の下で、軍国主義の日本国家が成長し、安倍政権が出現したから、そしてそうした事実こそが共産党の政治の破産と失敗を、挫折を暴露しているからである。

 守れなかったからそうなったのだ、ちゃんと守ればよかったのだといっても、単なる空虚な泣き言にしかならない。今後守れば大丈夫だといっても、今や公然とたち現れた軍国主義が消えてなくなるわけでも、それがさらに発展するのを阻止できるわけでもない。

 憲法が国家のあり方を決め、規定するのではない、反対に、憲法はその社会の時代的、現実的な諸関係を反映するのであって、日本資本主義の根底が「成長」や「繁栄」から「停滞」や「寄生化」に転じていくなら、平和憲法≠ヘ葬られ,一掃されるか、国家主義的、帝国主義的憲法に転化するし、しなくてはならないのである。

 こうした歴史的過程は、憲法を後生大事と守ることによって打破され、粉砕され得るのではなく、労働者、勤労者の解放を目指して、反動化し、軍国主義にますます傾斜していく資本の支配に反対し、労働者の解放を目指す階級闘争の一環として実際的に闘うことによってのみ打破され、粉砕され得るのである。

 安倍が憲法改定を9条に第3項目を付け加えるといった、姑息で、場当たり的なやり方をするのは公明党に媚を売った結果であり、とってつけたように高等教育の無償化を持ちだしたのは、維新の会(橋下ら)を憲法改定勢力にしっかり引き込むためである、つまり真剣で、まともな憲法改定が問題になっているのではなく、安倍の権力維持と延命の野望が問題になっているにすぎない。

 高等教育無償化の実現に、憲法改定を持ち出す必要など全くないことは誰でも理解できることである。政治術策のために憲法改定をもてあそぶなら、それは日本の憲法を、そんな程度のものに低め、その権威をなくし、それを一掃することにつながりかねないが、資本の勢力や安倍政権はそれでもいいのか。

   

【飛耳長目】

★明仁天皇の退位を実現する特別法が国会に提出されようとしている。無理に無理を重ね、衆参両院の正副議長のとりまとめによって「国民の総意」という茶番を演出してようやく可能になった★しかし国会の腐敗政党と腐敗議員たちの「総意」はいえるにしても、「国民の総意」はどこにも存在しなかった。そもそも明仁の意思も国民多数派の意思も、皇室典範の改定など生前退位の「制度化」であって、安倍政権の思惑による――憲法違反でさえある――ご都合主義的解決ではなかった。最初から最後まで安倍の意図だけがまかり通った「特例法」が「国民の総意」であるはずもない★それをいうなら、女性天皇の支持は世論調査では75%もあるのだから、そして女性天皇を認めるなら皇室断絶の恐れも解消するのだから、なぜ国会は迅速に女性天皇を認めないのか。愛子への広汎な、まさに「国民的」同情があるのだから、民進は「女性宮家」といった回りくどい主張でなく「愛子を天皇に」といった国民的♂^動でも始めたら、よほど支持率が上昇したのに★そして共産は民進にもまして安倍政権に接近し、自共対決ならぬ自共共闘にふけり、「国民の総意」の見せ掛けのために奮闘したのだから、天皇制が労働者の弾圧や軍国主義や反動戦争に動員に重大な役割を果たすなら――すでに今も果たしている――、そのことに重大な責任を負うしかない。(鵬)

   

   

【主張】

教育無償化の大合唱
進次郎の人気取り政策

 下は幼児から上は大学院まで、教育(授業料等々)の無償化の議論がかしましい。

選挙で票になると妄想してのことである。政府自民党や維新はもちろん、民進も政権時代、高校授業料の廃止を持ちだしたし、共産は原理的無償化論者だ。

 安倍は維新の御機嫌を取って、憲法改定の重要項目にまで、そんなものをすべりこませている。

 自民は財源を教育国債で確保せよと主張し、のし上がろうと策動する小泉2世は、自分が片親育ちであったことまで持ちだして、「子ども保険」を提唱している。もちろん彼が片親育ちであったことと、彼の提案は何の関係もない。

 他方、維新の橋下は、相続税増税を財源にすればいいと人気取り発言に熱心だ。

 民進の細野は、政権時代に高校授業料の無償化に取り組んだことを自慢し、先見の明を誇るが、その後、自民政権によって「所得制限がかけられた」ことに文句を言っている。語るに落ちるとは、このことである。

 民主政権の高校授業料無償化を「バラまき」と批判した、当時野党であった自民は、政権をとれば、幼児教育であろうと高等教育であろうと、無償化はバラまきでなくなるというわけである。無節操とご都合主義もいいところである。

 政府自民党は高等教育を無償化することは貧しい労働者らのためであるかにいうが、実際には、それは資本の階級のためでしかない、というのは、高等教育は基本的に彼等の階級の支配とその強化のために、労働者らの優れた若者を支配階級の中に取り込むためにこそ存在するからである。

 自民や官僚の中からさえ借金(国債増発)で無償化することは、財政崩壊を促進し、負担を未来の世代に転化する、子どものためというのは矛盾だといった批判の声が上がっている。

 小泉は、社会保険料を上乗せして徴収し(労使合わせて所得の1%)、1・7兆円を幼児教育や保育の財源にすると主張、社会保障が高齢者のためだけの制度なっていると非難し、自案を現役世代の負担を軽減するための良策だと絶賛する。

 しかし現役世代の保険料を引き上げつつ、現役世代のための改革だと強弁しても通用する話ではない。

 また資本の陣営が、保険料負担の増大に賛成することもありそうにない。

 「幼児教育」なるものが叫ばれ、重視される、このブルジョア社会のゆがみや頽廃に無自覚とするなら、小泉も表面だけの人気ばかりを追求する頽廃議員の一人にすぎない。

 そもそも小泉は「保険」の概念さえ知らない。教育の費用は、基本的に生産的労働から出てくるのであって、生産者の不時――偶発的な事故や病気等々――のときの備えとしての「保険」やその積み立てと全く別のものである。

 公的保険の保険料は消費税とともに、逆進性の強い、不公正、不平等を特性としている。厚生年金保険料しかり、国民年金保険料しかり。その給付も同様な、ひどい差別制度である。医療保険料も似たようなものだ。

 しかも自民政権が続く中で、巨額な税金や国家の借金のカネが湯水の如く%鞄されることによってやっと維持されているような、半ば破綻している制度である。

 小泉のもっともらしい提案はこれらのことを確認した上でのものなのか。

 そうでないとするなら、俗受けを狙った、単なる思いつきの、バラまきに帰着する愚案を出ない。

 「質の高い日本の社会保障制度が危機に瀕している」などという口実で、こんな「子ども保険」案を持ち出す小泉の神経を疑う。

   

既存二大政党の没落
左右のポピュリストも未来なし

 フランス大統領選挙の結果は、フランス国民がEU(欧州連合)体制を維持し、その下で生きるという選択をしたことを示している。EUを脱退し、「フランス第一主義」を固執し、保護主義を実行し、国境も閉ざせばフランスの抱える、産業の空洞化や失業の増大や格差の拡大、財政の危機等々の諸困難――つまりは資本主義の矛盾――を一掃し、克服し得るという、ルペンの示したような、もう一つの選択は拒否された。しかし果たしてそれはフランスの労働者、勤労者にとって、何か特別にすばらしいことであろうか、現在よりもいい生活や未来が約束されるというのであろうか。

 大統領選第一回投票で、既成の「2大政党」は有権者から「ノン」の拒否権を突きつけられた。現役の大統領であった社会党のオランドは余りに不人気なために立候補できず、代わりに立候補したアモン元教育相はわずか得票率6・3%で、上位4人のうちにも入れず沈没した。

 上位4人は、当初、泡沫候補と見なされたマクロン(得票率23・8%)、国民戦線のルペン(同21・4%)、伝統的な保守政党の共和党フィヨン(同19・9%)、急進左派≠ニ呼ばれ、終盤で支持率を伸ばしたメランション(同19・6%)であった。

 この結果、二大政党といわれてきた社会党と共和党は決選投票にも進出できず、既成政党の後退と没落があからさまになるという、衝撃的な第一回投票となった。

 とりわけ社会党の後退は劇的であったが、それはあたかも日本の民主党が政権についたまではよかったが、その空虚な本性をさらけ出し、労働者、勤労者ばかりか、国民の全体から反感を買い、没落しつつあるのと似たようなものである。

 党内からは、バルス前首相が社会党の候補ではなくマクロン支持に走ったが、そんな社会党議員は50名にも達し、またルドリアン国防相やドラノエ元パリ市長らの幹部もマクロン支持に回ってしまった。まるで民進党の進行しつつある解体状況を目の当たりにするような有様であった。

 メランションはいわば左翼ポピュリストといえるような人物で、ギリシャを始め、南欧のいくつかの国で輩出しているようなタイプの政治家である。

 彼は社会党員だったが、08年に社会党を離党して「左翼党」を結成、12年の大統領選にはすっかり影の薄くなった共産党と組んで「左翼戦線」から出馬し、第一回投票で11%を獲得している。今回は共産党とは組んではいないが、得票を18・5%にまで伸ばし、決選投票の舞台に近づくところまで躍進したというわけである。

 しかし共産党と組んだり、ルペンとともに民族主義に平気で媚を売り、EU反対を――したがってまた保護主義擁護を――叫んだり、また労働者よりの政策を掲げたりするが、緊縮政策には反対し、財政・金融の緩和によって経済繁栄や景気回復が可能になるかの幻想を振りまく等々、日本の共産党と民進党をくっつけて2で割ったような政党で、半デマの左翼ご都合主義の政党、ルペンと対をなす左翼≠装った、ある意味では危険な――ファシズムに道を切り開くような――ポピュリズム政党である。

 結果として、ルペンが大統領になるならフランスは混乱し、没落するしかないという国民多数の意思を反映し、マクロンが漁夫の利を占めることになったが、もちろん典型的なブルジョア政治家である――そしてまた、立派なご都合主義者でもある――マクロンによっては、フランスの陥っている袋小路から抜け出す政治など望むべくもないのだが、それは半デマゴギーの安倍政権がそうであるのと同様である。

 フランスでは、共産党ははるか以前に、そして今回は社会党も死んだ。日本では、社会党はすでに自民党と組んだ末20年ほど前に死んだが、その後釜を継いだかの民進党(民主党)も今や瀕死の状態にあり、そんな民進党と組むという、余りに愚かな共産党も当然の結果として、今や死のうとしている。

 とするなら、日本の諸政党にとって、フランスの政治闘争の経験は、余りに多くの貴重な教訓に満ち満ちている。

 フランス経済の停滞や長期的な衰退や、財政危機や労働者、勤労者の困難な状況は、日本と似たようなものである。

 10%や20%という失業の広がりや深化が労働者や若者を苦しめているが、日本でも同様であって、資本主義の困難や矛盾のしわ寄せは、会社への奴隷的忠誠や奉仕を強要する長時間労働や殺人労働などの搾取労働や、非正規労働者が4割にも達する非人間的な差別労働の横行として現れ、労働者や若者や女性を生活破壊や健康不安や貧困に追い込み、追い詰めている。

 グローバリズム経済の中で、上昇する者と下降する者の格差や矛盾も激化している。労働者も分断され、フランス大統領選でも、労働者は――とりわけアメリカと同様なルスト地域(グローバリズムや競争社会により、経済、産業の空洞化で衰退した地域)の労働者は――マクロンを「お前は俺たちを苦しめるブルジョアの陣営、エリート階級の人間だ」とののしり、追い払うとともに、ルペンを拍手喝采で迎えているが、他方、多くの労働者は、ルペンをファシストとののしり、拒絶し、メランションに投票した(こうした労働者の多くが、決選投票ではマクロンとルペンの二者択一を拒否したことは、棄権や白紙投票が有権者の3分の1にも上ったことからも明らかである)。

 労働者全体の階級的な立場と利益を明らかにして闘う、本当の階級的な党を見出せない労働者階級の分裂もまた、フランスでもはっきり現れた。

 もちろん、労働者、勤労者はマクロンの勝利にどんな期待も幻想も抱くことはできない。

 パリにおけるマクロンの得票率が90%であったように、グローバリズムに乗って上昇した大都市のブルジョアや、寄生性を深める金融マンや起業家やその周囲の連中やインテリや文化人≠轤フ住民は、マクロンを圧倒的に支持し、ルペンに反対した。

 ドミニク・モイジーが「決選投票は恐怖と怒りを体現するルペンと、希望と自信の候補であるマクロンの衝突だった。高失業やテロリズムで息苦しさを抱えていたフランスは驚くべき大差で『希望』を選んだ。世界の反グローバル主義の転機にもなりうる」と歓喜したのも当然であった(日経新聞5月9日)。

 しかしもちろん、ことはそんなにも単純でも簡単でもない。

 マクロンはこうしたブルジョア層の期待に応える人物として、最適な政治家の一人であった。というのは、まさに典型的なブルジョアの一人であり、しかもグローバリズムに乗り遅れた人物でなく、その最先端に立って成功してきたような人物、投資銀行で成功した後、議員選挙の洗礼を受けることなく大臣として引き抜かれ、抜擢されたような人物である。

 しかしマクロンの説く改革案≠ヘ平凡で、魅力のないもの、改革≠ニいっても名ばかりのものである。

 法人減税といっても、財政危機の現状ではいわば両刃の剣であって、効果をもたらしえるほど断固として行い得る余地は少ないし、また法人減税や「雇用改革」――日本流に言えば、「働き方改革」――が行われれば「産業競争力」が強化され、景気が回復し、「経済成長」が戻ってくるというわけでもない。

 他方では、労働者、勤労者のためと称して、失業者向けの職業訓練と言ったものを持ちだしているが、国際的な競争の激化の中でますます追い詰められている労働者、勤労者の苦境にとっては焼け石に水の類でしかない。

 そもそもマクロン自身が、投資銀行の幹部の経歴を持つ、れっきとしたブルジョアの一人であって、そんな男に労働者、勤労者のための政治の端くれさえ期待できないのは自明である。

 マクロンのいう「労働市場の改革」とは、労働市場の流動化=Aつまり雇用者の解雇をより容易になし得るようにすること、その面での規制緩和を行うことや、転職のための職業訓練制度も充実するとともに、失業給付の支払条件は厳しくする、等々である。

 また労働時間週35時間の規制もまた柔軟に♂^用することも謳っている。

 日本では、正規雇用者は温存し、非正規労働者数を急増させ、そんな「労働改革」によって資本の王国を築いたが、もっと違った新自由主義的改革をやるということ、遅れてやってきた時代錯誤の試みといえなくもない。

 しかも、新自由主義的な政策を謳いつつも、彼の新自由主義も一貫したものでも、確固としたものでもない。

 彼はEUがギリシャに緊縮政策を求めた2015年、ただ一人それに反対している。大統領選では、公務員の削減などの緊縮財政による赤字解消を謳うが、確固とした信念に基づくものではなく、他方では、緊縮政策に必ずしも積極的ではなく、「曖昧王子」の名に恥じない動揺ぶりを示す、あるいはご都合主義に走りかねないのである。

 「右でも左でもない」ということは、民主主義にも右翼国家主義にもいくらで妥協するということ、両方の間で動揺するということでしかない。

 しかしすでにフランスの失業率は10%を超え、若者では20数%に達するというのだから、実際にはすでに首切り自由の資本主義でしかない。そんな経済のフランスで、新自由主義的試みは労働者の一層の反発と闘いを発展させかねないのであり、たちまちマクロンの転向を不可避にしないという保障は何もない。

 そしてマクロンが失敗し、挫折するなら、フランスは一層の政治的、経済的な混迷に沈み込んでいくのであり、ルペンらの策動がますます猖獗を極め、マクロンのフランスはルペンのフランスに帰着しかねないのだが、それは、民主党の日本が安倍の日本、オバマのアメリカがトランプのアメリカに帰着し、転化したのと同様である。

 マクロンが新自由主義の路線を徹底するなら、それは08年のサルコジの行った政治であり――それは翌年の世界的な金融恐慌に直面し、たちまち挫折を余儀なくされた――、あるいは新自由主義の装いの陰で新自由主義でも、反緊縮でもないような政治をするなら、オランド前政権と同様にたちまち国民全体の支持を失い、ルペンらろくでなしのデマゴギー政治家の闊歩横行に帰着して行くであろう。

   

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