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マルクス主義同志会機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1292号 2017年1月8日
【一面トップ】安倍の「日米和解」狂言――トランプ籠絡目的のハワイ旅
【1面サブ】年頭のアピール
今年こそ新しい労働者党を再建し、 選挙・議会闘争に再挑戦しよう!
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】安倍の作為罷り通る――皇室典範も天皇の意思もそっちのけ
【二面トップ】中央セミナーの報告要旨――共産党の過少消費説と拡大再生産表式

※『海つばめ』PDF版見本

安倍の「日米和解」狂言
トランプ籠絡目的のハワイ旅

 新しい年が明けたが、世界で最強国であり、資本主義の盟主、中心的存在であり、したがってパクス・アメリカーナ――世界的なブルジョア的安定や平和――の演出国であった米国において、何とまるで魔法をかけられたかのように、「自国の利益」しか頭にないかの最悪の人間が大統領に就任するなど、ブルジョア世界は排外主義と帝国主義、国家対立と激動、紛争と戦争の時代に向かって動き始めたかである。そんな中で、安倍はハワイを訪れ、オバマと共に、かつてない「強固な」日米関係を誇示し、トランプに対するデモンストレーションを行った。安倍の下品なポピュリズム$ュ治や見当違いの外交は、日本の労働者、勤労者をどこに導こうとするのか。

トランプの登場は、激動する世界の始まりを、またそんな時代の到来を予感せしめた。20世紀末、ソ連帝国の崩壊後のグローバル$「界の中心的役割を果たしてきた米国の地位の低落と、中国の台頭、ロシアの失地回復の動き、EUや日本の相対的な後退や策動などの中で、新旧の諸列強による帝国主義的世界の分裂、再編が始まりつつある。

今後、こうした趨勢はさらに危険な方向に向かう可能性が大きく、世界中で軍国主義やファシズムが流行する<uルジョア帝国主義の時代がふたたび訪れるかに見える。

 そんな中で、日本のブルジョア支配階級つまり安倍政権は、米国との「同盟」関係を固め、軍事的結合を強めることによってのみ、つまり米国を頭目とするブロック(国家結合)に安住し、その中でのみ、日本の「平和」や「安全」を確保し得ると空想している。

 安倍はオバマとハワイで会談し、脳天気に日米の「和解」や固い「同盟」関係を誇示したが、しかしトランプの米国との「固い」同盟関係が何を意味するかを全く自覚していない。

 二人が、民主主義や自由という「価値観」で果たして同盟できるであろうか、そしてもしできないとするなら、安倍はどうするのか、どんな「価値観」をもってして、トランプとの「堅固な」同盟を勝ち取っていくというのであろうか。それが問題である。

 安倍とトランプは互いに無節操な反動政治家として、その親近性はオバマとの比ではない。米国とは普遍的な価値観≠ナ一致する、民主主義≠セ、自由世界≠セといっても、相手がトランプではナンセンスで、似たもの同士≠フ彼らの「堅固な」同盟は「民主主義」や「自由」とは違った「価値観」でなされるしかなく、さもなければ、日米同盟は瓦解するしかないのである。

 つまり安倍はオバマとではなく、今度はトランプと「強固な」同盟関係を作るために、トランプとの「強固な」国家主義、帝国主義の「価値観」を、さらには民族差別や人種差別、排外主義などのファシズム的思想や「価値観」をも共有しなくてはならない。

 しかし国家主義、帝国主義国家同士の「強固な」同盟といったものは自己矛盾であり幻想であって、ヒトラーとムッソリーニの国家の関係を見ても、決して「強固な」もの、心からのものとはならなかったし、なり得なかったのである。

 そして米国と中国が、そして日本が、世界の諸国家が、それぞれ自国の優先主義≠竍第一主義≠唱え、お互いに張り合い、対立するなら、いかにして世界資本主義は穏やかで、「お互いを思いやる」(安倍の調子のいい、例の空文句の一つ)、争いのない、平和な世界になるというのか。

 全く逆であり、かつての1930年代のように、諸国家が国家利益を賭けた経済戦争、近隣窮乏化$ュ策に走るなら、その後に、その延長線上に、実際の戦争が、武器を取ってお互い殺し合う戦争の時代がまたやって来ないと、どうして言えるのか。

 トランプは「米国第一」を掲げ、公然と保護貿易主義を強調し、中国をやり玉に挙げているが、同盟国≠フ日本に対しても同様であり、またTPPからの離脱も謳っているが、これもまた安倍にとってはトランプの裏切りでしかない。

 安倍とオバマは、かつての戦争をお互いに「許し合う」と言ったが、しかし問題はそれ以前に、両国は無意味な戦争をなぜ戦ったのか、何のために戦ったのか、である。

 しかし答えは簡単であり、明白である、「国家第一」や「偉大な日本」という妄想しか頭にない国家主義者、帝国主義者、民族主義や排外主義に凝り固まった連中、「利潤」のために狂奔し、植民地や独占的な市場を求め、また大儲けのタネになる戦争を喜び、歓迎したブルジョアたち、そして名声や権力欲や領土拡大を渇望した軍国主義の軍人らが、戦争を欲したからであり、そしてもし本気になり、真剣になれば、戦争を阻止し得た政治家やリベラルやマスコミが、そして誰よりも天皇一家がそれを止めるどころか、国民と共にではなく、軍部などと一体化して戦争の先頭に立ったから、国民を戦争に向けて扇動さえしたからである。

 そして最後に、第1次世界大戦末期の1917年から19年にかけてそうしたように、世界中の労働者、勤労者が自らの闘いで戦争を止めさせることができなかったから、反動化する、凶悪でファシズム的な国家に弾圧され、闘う力を、その意志さえも失っていたからである。

 結局、安倍のハワイ訪問の眞の目的は何であったのか。

 彼がハワイ訪問などすこしも重視してはおらず、今さら「和解」でもないことは十分分かっていて、なおもハワイにいって「強固な」日米同盟を懸命に演出したのは、トランプへのお説教や教訓をたれるためであり、彼の変身≠期待してのデモンストレーションであった。

 安倍は、トランプは「米国第一」を貫くためにも、安倍と「強固に」同盟するしかない、それなくして米国もまた、これからの世界で覇者として生き延びていくことはできないと懸命にアッピールするのだが、傲岸で、自信満々のトランプが安倍の賢(さか)しげな忠告≠ノ喜んで耳を傾ける保障はないのである。

 かえって安倍の狭い思い込みや愚鈍なうぬぼれ根性を見透かして、独りよがりの御し易い人間と見なすであろう、つまり安倍の政治的地位や立場は、安倍の意図と涙ぐましい努力にもかかわらず、国際世界で低下するのである。

   

【年頭のアピール】
今年こそ新しい労働者党を再建し、選挙・議会闘争に再挑戦しよう!


 今年は輝かしい労働者、勤労者の革命、ロシア革命の100周年です。

 ロシア革命は歴史的な限界の中で、スターリン主義の国家、国家資本主義の国家(一種のブルジョア国家)に帰着しましたが、労働者、勤労者の闘いはさらに新しい道を切り開いて、全世界の労働者、勤労者の解放を目ざして進んで行かなくてはなりません。

 20世紀末からのグローバリズム℃走{主義の危機が深化する中で、労働者、勤労者の生活の悪化や破壊、民主主義の形骸化や喪失が進み、世界的な規模での政治的反動化が深化し、強大国による新帝国主義が発展し、ブルジョア大国間の世界的規模の大戦争さえ現実味を帯びてきています。

 こうした危機の時代の中で、今や労働者、勤労者の世界的な解放はまさに焦眉の課題となっています。

 昨年は米国でトランプが勝利し、英国がEU離脱するなど、世界は大きな転換点を迎えています。今年もドイツやフランスの選挙で極右勢力が進出することが予想され、どこの国家も「国益第一主義」を掲げて対立と抗争を繰り広げる、新たな政治的激動の時代の到来を予感させます。

 日本では、自公政権が衆参両院で議席の3分の2を占め、偽りの政治的安定≠ェ演出されていますが、安倍が掲げてきたアベノミクス(2年で物価を2%上昇させ、デフレ脱却を実現する)も4年以上経過するのに経済的困難は継続し、アベノミクスは破綻しつつあります。昨年の参議院選勝利は、消費増税を再延期し、大衆の目をくらました仮初めの勝利≠ノすぎず、安倍と闘うべき野党の無力に助けられた結果にすぎません。そしてアベノミクスのもと、労働者、勤労者の生活と地位はますます追い詰められ、破綻しつつあります。

 民進党は蓮舫体制になりましたが、党内にはエセ野党≠ノ加えて自民と変わらない保守派を抱えて動揺するだけで、その安倍批判は口先だけにとどまっています。共産党は「唯一の革新」とかの看板も投げ捨て、いつ労働者、勤労者を裏切ってもおかしくない――事実上すでに半ば裏切っている――民進党との共闘や協調を叫び、第二の民進党への道を突き進むばかりです。労働者、勤労者の苦悩と怒りはバラバラに拡散され、一つの大きな力となり、闘いとなって爆発してきていません。

 今こそ、搾取され、差別され、生活を破壊され、辱められ、苦しんでいる労働者、勤労者の力を総結集し、長時間労働、殺人労働に象徴される搾取労働と、低賃金や身分差別に苦しむ何百、何千万の非正規労働に代表される差別労働の「即時・無条件の」一掃と廃絶を合い言葉に、労働者、勤労者自身が立ち上がるべきときです。

 私たちマルクス主義同志会は、サークル的な組織を止揚して、再び闘いに立ち上がるべく、昨年、今春に新たな労働者政党を再建し、国政選挙にも再挑戦することを決定しました。

 私たちの壮大な任務と課題に比して、私たちの力量の微力を自覚しますが、現在の政治状況はそんな逡巡≠許してはくれません。現実の世界と時代は、既成野党に代わる新たな労働者党の闘いを必然とも必要ともしているのです。

 労働者党の政党が選挙闘争に加わり、労働者の本当の議員が何人も国会に出て行って闘うことなしには、労働者、勤労者の生活を破壊し、日本の経済や国家を破滅させ、結局は軍国主義や帝国主義に走るしかない安倍政権と闘い、現在の困難な労働者の階級的闘いの道を切り開いていくことはできません

 私たちは、この春に労働者党を再建し、こうした闘いの先頭に立って闘い抜く覚悟です。

今こそ団結し、結集して、共に力強い、偉大な闘いに立ち上がりましょう。今年こそ、決定的な闘いの年です。

   

【飛耳長目】

★新しい年がスタートしたが、世界は1月20日のトランプ大統領就任を、息をひそめて見守っている。オバマの後にトランプが登場したのは、民主党政権の後に安倍政権が出現した時の衝撃の比でなく、またその世界に与える影響の深さも桁違いだ★しかしその本性や方向性は同じであり、トランプは安倍であり、安倍はトランプである。欧州が、否、今後世界全体が同じ方向に雪崩をうって進むのか★トランプの勝利は全世界に、心を凍り付かせるような、1930年代にファシズムがいくつかの大国で権力を握ったときに感じたような、何か異常に醜悪で、恐ろしいものが現れたといった不安や恐怖や危機感を呼び覚ました★米国第一主義とは、安倍や習近平やプーチンらの自国第一主義と同じものであり、移民や他民族や他国民の排除、自国民選良主義≠ナあり、レイシズムにつながっている、そしてそれはまた、不可避的に恐怖政治、軍国主義、帝国主義の発展である、つまりファシズム≠ニいう言葉で言い表されるものと結びつく★経済政策は、国外には保護主義、国内では財政、金融の膨張政策、カネの無制限のバラまきである、つまり世界中の頽廃深めるブルジョアが採用し、愛好する、国家と国民を頽廃と地獄へと導く、後先を考えない破滅的政策である★今や世界の労働者、勤労者の覚悟と闘いが決定的に問われる時代がやってきたのだ。(鵬)

   
   

【主張】

安倍の作為罷り通る
皇室典範も天皇の意思もそっちのけ

 明仁が言い始めた、天皇の生前退位問題が大詰めを迎えている。

 明仁の意思は無視され、また憲法や皇室典範などの規定も無視され、時の政権つまり安倍政権の意図のみがまかり通る、その意味では日本の政治の無法時代≠象徴する、歪んだ決着となろうとしている。

 安倍は天皇の意志に沿う振りをしながら、実際に意図したのは、政権の基盤である国家主義派、天皇制主義派の意図を汲むしかなく、皇室典範の改正でもなく、天皇の意図でもない、ご都合主義的で中途半端な解決≠見つけ出すしかなかったのである。

 天皇はあるべき象徴天皇制≠フ姿を、国民との親近性の中に、親しまれ敬愛される天皇像の中に見出し、そのためにひたすら「公的任務」に従事してきたが、しかしそれは憲法に規定されている天皇の任務ではなく、天皇には許されていない、天皇の私的行為=A下手をすると――下手をしなくても――天皇の政治的行為と見なされるものであった。

 天皇は「象徴」天皇制といったものが、文字通り行われて行くなら、天皇制は形式だけのものとして形骸化し、国民から離れ、国民からますます忘れられていくものになり、ひいては無用で=A単なる寄生的なものとなり、廃絶につながることを畏れたのであり、そんなところにまで追い詰められる前に延命の道を追求し、憲法違反でさえある「公的任務」に、そんな出しゃばりに生き延びるすべを見出すのである。

 国民の過半が天皇の要求に心を寄せ、その非人間的な存在に「同情」するのだが、しかし天皇の地位の非人間性≠ェ問題なら、天皇制を廃止すればたちまち解決することに思いが至らないのである。

 一人の人間を国家の「象徴」に、つまり一種の神≠ノ祭り上げることに矛盾の根源があることを確認しようとしないのである、つまり1945年までと同様に、天皇制タブーに取り込まれていくのである。

 天皇は厚かましくも憲法違反の「公的任務」を重ね、安倍政権はそんな天皇の破廉恥な言動に目をつむりながら、天皇のためではなく、ただ安倍政権のためにのみ、天皇制をいじくりまわし=A好き勝手に扱う――つまり政治的に利用する――のであり、かくして天皇制の矛盾はますます暴露され、さらけ出されていくのであり、その廃絶の意志だけは確実に労働者、勤労者の中に浸透していくし、行くしかないのである。 

 労働者、勤労者は、なぜ資本主義の発展した時代に、古代の遺物が持てはやされ、安倍政権が、ブルジョア支配階級が、その前に拝跪し、はいつくばることを強要するのか、その理由を反省し、天皇制の一掃をこそ要求し、闘い取って行かなくてはならない。

 共産党はいま国民が天皇制を肯定し、支持しているから、天皇制の廃止を提起しないし、呼びかけもしないと言うが、呆れた日和見主義であり、労働者、勤労者の党としての任務を放棄していると結論するしかない。彼らは天皇制がどんなに労働者、勤労者をブルジョア国家の前にはいつくばらせ、政治的に無力化し、搾取を強めるために利用されていることに無頓着である。

 天皇生前退位の問題は、国民の多数の意見も、天皇の意思も少しも尊重せず、ただ政権の強化と延命のためにのみ、つまり政権欲というエゴイズムのためにのみ策動する安倍の意思のままに解決≠ウれ、かくして天皇制の完璧な空疎性と無用性が、その隠された反動性と有害性がますます明らかにされたのである。

   

中央セミナーの報告要旨
共産党の過少消費説と拡大再生産表式


 昨年、12月25日、東京で、働く者のセミナー実行委員会主催の第12回中央セミナーが開催され、チューターの林紘義氏から「共産党の消費説と『資本論』」をテーマに報告があり、それに基づいて討論が行われました。以下は、報告の要旨ですが、報告者にまとめてもらった報告要旨と核心です。

今、デフレ脱却がもう4年も言われ、「官製春闘」が4回も繰り返されようとし、労働者の賃上げがその特効薬のように、安倍政権も労働組合の連合や全労連も、ブルジョアも労働組合も、与党も野党も、つまり国民的な¥柏ィ力の全体が言いはやし、騒いでいます。

 つまりブルジョアたちはケインズ主義の「需要不足」といった俗流“経済学”を、共産党は過少消費説といった、スターリン主義の俗説――労働者の賃金不足がデフレや経済不振の原因だ云々――を持ちだし、消費や需要を人為的に″り出し、カネをばらまいたり、国の借金を増やして財政膨張すれば、困難な経済問題、社会問題も、労働者、勤労者の生活や福祉も困難も、ブルジョアの儲けさえも回復し、世はすべてめでたし、めでたしのパラダイスが来るかの、たわいもない幻想が振りまかれていてます。

 しかしそんなことをすれば、財政困難にまた財政困難を付け加え、経済の矛盾や破綻に経済の矛盾や破綻をさらに深化させることに終わるしかないのは余りに明らかです。

 資本主義が、不可避的に「消費不足」、「需要不足」を生みだし、したがってデフレや停滞や経済不振をもたらす、それが資本主義の矛盾の根源である、だから消費や需要を増やすことが、資本主義の経済困難を無くす手段であり、政策だという現代のえせ共産主義者(共産党)のいうことは正しいでしょうか。

 今日は、この問題を中心に報告したいと思います。

 私達は社会における“経済的な℃蜻フとして、単純に、買うことは売ることであり、売ることは買うことだ(需要は供給であり、その逆もまた真実だ)ということを知っていますし、容易に理解できます。

 そしてそのことはまた、個人においてだけではなく、社会全体にとっても真実です。

 表1は、マルクスが国民経済の全体の生産と再生産を、したがってまたそこにおける「生産と消費」(需要と供給)をたった一つの表式によって(そして流通の全体を)解明し、説明したものです。

 ここでカギとなる概念は、第T部門のV+Mが第U部門のCと相互的に交換され、補填されるということです。

 個々の個人もしくは企業で見れば、第T部門は生産手段(機械や原材料)だけであり、他方第U部門は消費手段(食料や乗用車)を作るだけです。

 これでは社会的再生産を継続することはできません。したがって生産手段である第T部門のVとMは、第U部門のCと交換されなくてはならないのですが、こうした社会的な関係は、俗にいえば、「売買」関係、「需給関係」です。もちろん、第T部門内部では、生産手段を作るもの同士間で、第U部門内部では、消費手段をつくるもの同士間で相互交換が行われますが、基本的な問題は、第T部門と第U部門間の交換であり、第T部門のV+Mが、第U部門のCと価値として一致することです。

 つまりマルクスの単純再生産の表式は、ブルジョア社会の全体においても、単純な商品生産と同様に、生産は消費であり、販売は購買であり、またその逆も真実であることを、たった一つの表式によって明らかにしているのです。

 労働者、勤労者の消費が、搾取によって縮小する、その部分では生産しても消費はなく、供給しても需要がないではないかとケインズ主義派は、事実上主張するのですが、余りにばかげています。

 ブルジョアが搾取した剰余価値=利潤はブルジョアやそのやとわれ人や寄生者らによって立派に「消費」され、「需要」されることは、表式からも一目瞭然です。

 資本主義では搾取労働があるから、消費不足、需要不足に陥る、賃金を2%ほど上げれば、資本主義の矛盾困難がなくなるなどというのは、インフレを進めて行けば、2%の賃上げをしたにしろ搾取の強化でしかないことを、安倍政権はよく知っているからです、だからこそ労働者、勤労者の味方面をして、政労使協調の「官製春闘」に励むことができるのです。

 しかし資本主義は現実には、単純再生産の社会としてはあり得ないこと、ただ拡大再生産としてのみ現実です。だからここに一つの困難な理論問題が生じ、労働者、勤労者の理論家の中からも、過少消費説を叫ぶ者が現れました。1919年、ドイツ革命の中で虐殺されたローザ・ルクセンブルグです。

 彼女は資本主義の拡大再生産について論じ、ブルジョアは拡大再生産のためには剰余価値の一部を消費しないで、資本として蓄積し、追加資本として拡大再生産を行う以外ないが、この剰余価値のうち、蓄積された部分は、どこにも消費される需要を見出すことができないと強調したのです。つまり資本主義においてはどうしても解決することのできない、過少消費があり、資本は海外市場を求めて膨張する本性を持つ――それが資本主義的帝国主義の本性であり、原因である――と論じたのです。

 しかし拡大再生産は本当に法則的に§_じられるものではなく、単なる混沌と無政府の支配する関係なのでしょうか、つまり需要のない供給、消費のない生産を本性としているのでしょうか。

 第2表は拡大再生産の均衡式といわれるものです。つまり拡大再生産にも単純再生産と同様に均衡式があり、第T部門のV+M=第U部門のC、という均衡♀ヨ係が表現され得る(需給≠ェ一致しうる)ことを示しているのです。ここで第T部門のV+Mが第U部門のCに一致しないのは、生産された商品資本として表現されているからであって、剰余価値の半分が蓄積され、さらに流通を通して、拡大再生産の出発点における相互関係として現わされていないからに過ぎません。

 50%の蓄積率によって、再編された関係を表す式では、第T部門のV+Mは1760、第U部門のCも1760となり、困難な第T部門と第U部門間の相互的な実現≠フ課題、「需給」の均衡の問題が拡大再生産においても解決されているのが明らかになります。

 表3について少し詳しく説明します。

 剰余価値の半分が蓄積されるのですから、1100の半分の550が新しく資本になります。有機的構成が4対1ですから、550のうちの440が不変資本に、110は可変資本の増加です。編成後の資本構成は、(4400C+440C)+(1100V+110V)+550Mです。

 第U部門のCと置換されるのは、V+M、つまり1100V+110V)+550Mの総計の1760です。

 他方、第U部門でも剰余価値400の半分が蓄積されて資本に転化し、その200もまた不変資本部分と可変資本部分に分かれます。

最初の不変資本部分の1600に、200の剰余価値のうちの5分の4の160を加えた1760が第1部門の1760と交換されます、こうして当初の表式が拡大再生産の均衡式であることが論証されます。

 つまりケインズ派や共産党がやかましくいいはやしている資本主義の矛盾や困難は、生産と消費の不一致とか、「消費不足」と言った所にはないこと、その真実の矛盾や困難や、そしてまたその歴史的限界や、資本主義から労働者、勤労者の支配する社会に必然的に移行しなくてはならない根拠は別の問題であり、別個に論じられなくてはならないということです。しかしそれを論じることはまた別の課題です。

 私の報告の基本的課題は、ケインズ派や共産党の消費不足論が、いかに根拠のない俗論であり、資本主義の矛盾の根源を矮小化し、歪めて、ケインズ派のレベルにまでマルクス主義を卑しめていること、したがってまた実践的にもケインズ派の、安倍政権の半デマゴギー的改革路線≠フたいこもちの役割を果たしているかを明らかにすることでした。

   
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