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マルクス主義同志会機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
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郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
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「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
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「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
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  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1290号 2016年12月4日
【一面トップ】トランプ時代の始まり――破綻する安倍政権、そして共産党や市民派
【1面囲み】中央セミナーのご案内
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】「専門家」ヒヤリングの茶番――出来レース≠フ天皇退位問題
【二面トップ】自衛隊南スーダンへ――目的も任務も曖昧で中途半端なまま

※『海つばめ』PDF版見本

トランプ時代の始まり
破綻する安倍政権、そして共産党や市民派

 来年早々のトランプ政権発足と共に、世界の政治経済に激震が、大きな衝撃や変動が襲おうとしている。世界が激動の予感――もちろん、良き方向にむけてではなく、その反対に、世界的な経済的危機や混乱の深化や、国家的な対立や紛争の激発や発展等々の、悪い方向にむけての――におののき、狼狽し、怯えている、というのは、トランプは「アメリカ第一」を強調し、これまでの、既存の政治経済関係の世界を攻撃し、それらを転覆とまでは行かないとしても、大きく、断固として変えると宣言しているからである。国際協調≠ノ変えて、新たな国家的対立や、その発展も辞さず、アメリカの利益を基準とも原則ともして押しだそうとしているからである。世界でもリーダー的役割を果たしてきた、最強の国家におけるトランプのような、粗野で、国家主義的・排外主義的で、「自国本位の」政権の登場は、再び世界が、1930年代から40年代にかけてと同様の、激動の時代に突入するかの予感さえ抱かせている。今後、世界は、人類はどこにむかおうとしているのであろうか。

 そして、トランプ政権の誕生の衝撃は、日本にとってもよそごとではない、というより、その衝撃を最も強烈に受ける国家こそ日本であるといって決していいすぎではない。この間、日本ほどにアメリカと政治的、経済的に強く結びつき、まさにアメリカの幇間(たいこもち)国家として存在してきた国家――とりわけここ2、30年においては――は他にないとさえ言えるからである。

 TPP体制や日米安保体制の強化はそれを象徴するものであって、中国などの強大国の台頭する、新しい世界的秩序やその再編成の動きの中で、日本はますますアメリカを中心とする社会に自らを位置づけ、アメリカとの同盟を根底に、国家的存立やその「安定」や「平和」を追い求め、可能にしようとしてきた。

 日本のブルジョアは、したがってまた自民党政権、安倍政権はいわば茫然自失するしかないのであり、「日米同盟は揺るがぬ」、トランプは日米関係の実情を知らないだけだ、知ればトランプの立場や政策も変わる等々、現実を直視し得ない、希望的観測や独りよがりの独断や幻想にしがみつくしかないのである。

 トランプの出現はアメリカの強さの表れではなく、その国際的な地位を相対的に後退させ、没落する帝国主義国家の弱さの表れであり、それ故に、ますます自国の困難を他国に転嫁しようとする焦りの表れでもある。

 だからこそ、アメリカは今や自らの困難を他国に転嫁するのであり、しなくてはならないのである、「アメリカ第一」を呼号しなくてはならないのである。

 経済的な関係で、「アメリカは外国にやられっぱなしだ。我々は中国と日本を打ち負かす」と叫んだように、いまやトランプは、敵対する中国も、協調する日本も区別しないのであり、同盟国だからと安倍が期待しても、ろくな扱いを受けないかもしれないのである、安倍がごますり男よろしく、トランプに媚を売って、「個人的信頼関係を築いた」などといった瞬間に、TPPは断固廃棄すると宣言するような男なのである。

 日米関係は日本のためだけではなく、アメリカのためであると安倍がいくらトランプに説いても、トランプにとっては馬の耳に念仏であって、「アメリカ第一」の立場に合致するなら、ということでしかない。

 安倍は今や中国だけではなく、まさに安倍政権のためにどうしても実現しなくてはならなかったTPPでも挫折し、プーチンにも足下を見透かされ、点数を稼ごうとした北方領土問題≠ナも行き詰まった。自慢の「世界を俯瞰する外交?」も形無しである。

 日米安保体制も、日本側がそのコストを払い、負担しないのなら、アメリカにとっては必要ないかにいわれ、日米安保体制の中に安住してきた自民党や安倍政権は、日本の――それだけではない、世界的な――「秩序」や「安全」や「平和」をいかにして確かなものとするのかを見失うのである。

 トランプ政権の誕生によって、自らの立脚点を失うのは、ブルジョアや自民党、安倍政権だけでなく、「野党」つまり民・共も、リベラルも市民派≠燗ッ様である。

 というのは、彼等もまた同様に、アメリカの支配するパクス・アメリカーナ≠フ中に、したがってまた、ブルジョアの、自民党の政治支配体制の中に安住し、そんな政治環境を享受しながら、その中で「平和」だ、「憲法」だ、「立憲主義」だ、「個人」だとか気楽に叫んでいただけだからである、トランプが出てきた途端に、彼等のそんな立場の根底が失われていくからである。

 というより、彼等の政治的要求はたちまちトランプによって可能となり、実現するのである、というのは、トランプは日本が自国の防衛コストを支払わなければ、アメリカは日本の防衛に関与しない、沖縄からもアメリカの軍隊は引き払うというのだから、これはまさに共産党にとって、願ったり叶ったりである。

 トランプはまたTPPは日本などの利益とはなってもアメリカの利益にはならない、一方的にアメリカに経済的不利や負担や犠牲を強いるのだから撤退すると宣言するのだから、これはまさに共産党の望んでいたとおりの結果である。

 トランプと共産党はともに、TPPはそれ自身が悪いのではなく、自国の利益ではなく、相手国の利益をもっぱら保障するから、拒否するから悪いと騒ぎ立てるところにあるが、それは彼等が共に偏狭で、卑しい国家的利己主義者、民族主義者だからであって――反動的利己主義者であるか、プチブル的利己主義者であるかの相異はあるにしても――、TPPを、あるいは一般的にいうなら、資本の世界における自由貿易≠、その歴史的意義やブルジョア的限界等々を、客観的に、正当に評価できないということを教えるだけである。

 共産党はTPPに反対し、それに「平等互恵のルール」に立った、国際的な経済関係を対置し、置き換えると強調してきた。

 「TPPを阻止して、同時に、各国の経済主権、食料主権を尊重した、平等・互恵の投資と、貿易の国際的ルールを作ることを強く望みます」(赤旗、5月22日)

 しかしトランプが持ちだしたのは、TPPに代わる「2国間協定」でやるということだが、それならよりアメリカの意図が、トランプの狙うごり押し≠ェ容易になるから、ということである。共産党にとっては「藪をつついて蛇を出した」ようなものであり、「2国間協定」に置き換わっていいことは何もないのである。

 実際、共産党はTPPに何が不満なのか。当初はTPPに否定的であった安倍が、そこへの参加を決めたのは、TPPの原則であった、「聖域なき(例外なき)自由化」という、TPPの原則を、日本を引き入れたいアメリカがいくらかでも緩めると安倍に譲歩したからであり、他方では、安倍が日本の国内に向かって、国益は守った、米などの自由化は断固阻止したと豪語できるほどに、TPPの原則を歪めたからであって、それはまさに共産党のいう「各国の経済主権、食料主権を尊重した、平等・互恵の投資と、貿易の国際的ルール」の実現と、どれだけ違うというのか。

 いくらも違いはしないのである。少なくとも、「聖域なき自由貿易」とは違ったものであって、「日本の聖域」を守ったと、安倍が豪語できるほどには、TPPの原則はあいまいにされ、踏みにじられたのだが、それはかつてWTO(世界貿易機構)のこころざした「貿易の完全な自由化」等々の理想が、農業保護主義に固執する日本などの抵抗によって流産してきたのと同様であった。

 日本の「安全保障」問題も同様であって、トランプがパクス・アメリカーナの終焉を告げた途端に、日本の革新$ュ党や市民派やリベラルの偽りの「平和主義」の破産はたちまち露呈し、日米安保体制にかわる、憲法9条等々でもって日本の「平和」や「安全」が確保されるのかという現実を突きつけられ、かくして彼等の完璧な破産が、自民党や反動派の国家主義や軍拡主義をかえって正当化しかねない、そのプチブル路線の有害な本性が暴露されるのである。

 今では共産党自身が、中国の「覇権主義」や「大国主義」の、軍事膨張主義の危険性や「恐怖」の、したがってまたそれら等に対する祖国防衛≠フ必要性さえ口にするときに、である。

 破綻していくのはブルジョアや安倍政権だけではない、民・共も市民派もリベラルもまた同様である、というのは、彼等は結局、資本の既存の支配体制に融合し、その中で「変革」だ、「平和」だ、「安全」だと叫んでいたに過ぎないからである。

 トランプの登場は、資本主義の世界的な危機の新時代の幕開けであり、したがってまた、幻想と虚偽に立脚する、革新$ュ党や市民派やリベラル・インテリらの勢力が実践的にも破綻し、没落していく時代の始まりでもある。

   

中央セミナーのご案内

テーマ 崩壊する資本主義と『資本論』

    ――共産党の「民主的改良」路線を問う

 トランプが勝利し、世界の強国、大国が「自国利益第一主義」を掲げて、対立、抗争する時代が始まろうとしています。いよいよ、資本主義の崩壊と激動の時代の到来であり、労働者がいかに闘うかが歴史の中で試される時代です。

 こうした中、共産党は「民主的改良」路線を掲げていますが、それを支えるのが「過少消費説」です。彼らのこのドグマは、『資本論』――とりわけ2巻21章――の恣意的な、間違った理解や解釈による拡大再生産≠竍恐慌論≠ニ結びつき、それに支えられています。資本の本質を確認し、労働者の闘いの道を切り開いていきましょう。

 ★チューター 林 紘義

 ★日時 12月25日(日)午後1時半〜 

 ★会場 目黒区田道ふれあい館(JR・地下鉄目黒駅徒歩10分)

 主催・働く者のセミナー実行委員会

   

【飛耳長目】

★赤旗で水川隆夫が、漱石の「私の個人主義」について語り、そこに漱石の偉さを見出している。現憲法の「個人主義」のイデオロギーと一致しているからだと★水川は漱石が「個人主義を標榜」しつつ、「他人の『個性の発展』を『妨害』できる力として権力と金力を挙げ、将来これらを手に入れることが予想される選ばれた学生たちに、その乱用を戒めた」と嬉しそうに書く★ばかげたことだ。もし漱石が「個人主義者」でしかなかったなら、それは漱石の人間性の致命的欠点であって、漱石文学の価値を低め、その限界や卑俗さを暴露することが分かっていない★そして水川は、漱石の「個人主義」に触れると憲法13条を思い出すと嬉しそうに報告し、自分たちの共産主義から個人主義への転向を美化し、正当化して安堵するのである★漱石を持ちだしてインテリらが個人主義に堕していくなら、労働者や若者は、同時代の社会主義的革命家であった、幸徳秋水や堺利彦らを思い起こし、彼らが単に「個人」のためでなく、社会のため、全ての人々の解放と幸せのために生きた偉さを語るべきである★最近の漱石流行は、何か一つの時代的意味を持っているのか。いずれにせよ、働く者が共産党のばか話を信じて、「個人主義」に取り込まれて行くなら、安倍一派や反動がますますはびこり、働く者を容易に国家主義に絡め取って行くだけである。(鵬)

   
   

【主張】

「専門家」ヒヤリングの茶番
出来レース≠フ天皇退位問題

 3回に分け、もったいぶって行われた天皇退位を巡る有識者♂議の、専門家≠P6名に対するヒアリングが終わった。

 有識者≠ニいい、専門家≠ニいい、保守反動の論客の勢揃いでしかなく、そんな名で呼ばれる連中が全員、お粗末で、見識や良識はおろか、常識さえわきまえない輩たちであるかを暴露しているだけである。

 11人のヒアリングを終えた段階では、生前退位に反対する原理天皇制派≠ェ過半の6名だったのに、最終段階では八木が加わるだけで少数派に逆転し、便宜的に「特例法」で乗り切ろうという安倍政権にとってめでたしめでたしの結果が出たのは、まさにお笑いの茶番劇であった。

 政府は、「特例法の前進に期待する」などと論評しているが、もともと政府が、そんな結果になるように細心の注意を払って$l選したのだから、そうなるのは当然である。天皇制に反対するような人間は一人として選ばれていない。

 要するにこんなヒアリングは、政府が公費を浪費し、権力を最大限悪用し、腰抜けマスコミを利用して、天皇制の大キャンペインを行ったいうことである。俗にいうやらせ∞できレース≠ニいう詐欺手法である。

 真実が隠されている中で、安倍政権やマスコミリベラルのご都合主義やその有害性、そしてまた天皇の言動の厚顔無恥や憲法違反や政治性を告発したのは、きれい事を並べるペテン師の論客ら――何とその先頭に、今や安倍政権に取り込まれた、典型的な進歩的知識人≠フ一人、保坂正康が座っている――を図らずも暴露したのは、原理派#ス動の桜井よし子や八木秀次らであった。八木は、ご都合主義的に天皇制を扱う流れに異議を申し立てた。

「今上天皇の退位そのものに反対。陛下のご意向より政府が退位という新制度を作れば、憲法が禁止する天皇の政治的行為を容認することにもなる。

 現行憲法と皇室典範は、天皇のご生前退位を積極的に排除している。一代限りの特例法であっても、退位を認める前例を作れば、明治以降封印してきた『パンドラの箱』が開く」

 しかし、明仁があえて「憲法違反」の危険≠冒してまでも生前退位の制度化に必死になるのは、そのことなくして、象徴天皇制が持たないと実感するからである。

 彼は現行天皇制をそのまま厳密に=A憲法の条文通りに受けとるなら、つまり憲法が認める、形式的で、血の通わない=u国事行為」に専念し、あとは皇居の奧深く隠遁し、ひたすら皇室の私事である「神事」や八木のいう「祭りごと」に専念しているなら、皇室は江戸時代のように国民から切り離され、無用な存在と化し、忘れられ、衰微して、消滅するのを恐れるのである。

 明仁は憲法の認める「国事行為」に従事するだけでは象徴天皇制は持たない、それを越えていく「公的行為」――しかし実際には、あるいは法的には=A天皇一家の出しゃばり、一種の私事に属する「政治的行為」であるが――までも手を広げていけば、天皇制は自然消滅を免れると幻想し、他方八木は天皇一家を神格化、絶対化し、そうした意味での「象徴」として国民に押しつけることが、天皇制も日本国家も永続させ得ると妄想するのだが、しかし両者とも、時代錯誤で、有害な制度に堕した天皇制はすでに死すべき運命にあることを知らないのである。

 反動派でさえ、天皇の退任発言や政府の「特別」法は憲法違反で、天皇の政治行為(そんなことが許されていいのか)であると言う。

   

自衛隊南スーダンへ
目的も任務も曖昧で中途半端なまま

 自衛隊が、すなわち日本の軍隊が、新しく「駆けつけ警護」の任務も許容されて南スーダンに派遣された。問題は派遣されること自体にあるのではなく、どんな目的で、どんな任務なり、課題を持って出かけて行ったのか、ということである。課題も任務もはっきりしないままに、ただ軍隊を海外で展開したいという目的で行くだけなら――つまり安倍政権の「平和憲法¢フ制、戦後体制≠ノ風穴を開けたい」という野望だけで出かけるなら、行くべきではないこと、そしてそんな中途半端で、いい加減な形でのこのこと出かけていくなら、ろくな結果にならないことだけは確かである。

 そして今回は、せっかく(!?)軍隊が行くのだから、ついでに(!?)「駆けつけ警護」という任務も付与されるのだそうである。

 つまり「邦人の救済」や、国連職員やNPOや、PKOの任務で来ている外国の軍隊の何らかの支援や救援もまたやるというのである。

 そしてそうしたことはすべて、基本的に憲法9条や「PKO参加5原則」という、きつい枠内で行われなくてならない。

 さらに住民同士、民族同士間の紛争や戦闘状況や内乱などがなく、しかも現地の政府≠フ要請があって、始めて行くことができるというのである。

 ここでいわれる政府≠烽ワた、どの政府が正式の$ュ府であるのか等々、決定する基準も明確ではない。ただその時々に権力を握っているなら、それだけでいいということか。

 例えば今南スーダンでは、7月の政変の結果、つまり首都ジュバ付近の内乱まがいの紛争と戦いの結果、キール大統領派が和合政府≠フ中から、マシャール副大統領派を追い出し、政府≠自称しているが、実際には国家と国民は二つの部族(キール派はティンカ族=Aマシャール派はヌエル族に依拠する)間の内乱に化しつつある状況である。

 そんなところに、何のために自衛隊が行くのかと問われても、安倍政権自身がすでに明確に答えることもできない。「国際貢献」のためで、その内容は基本的にインフラ整備のためだというが、内乱状態に陥っている国家にのこのこ出かけていって、橋も道路もあったものではない。要するに、安倍政権が軍隊を送りたいから送るといったことでしかない。

 そんな軍隊派遣は、日本の軍人が、つまり自衛官≠ェ単に「殺し、殺される」といった問題ではないことは一目瞭然である。そもそも南スーダンで何千、何万の住民が「殺し、殺される」現実が展開されつつあるのである。かつてのルワンダの大量殺人の悲劇の再現になりかねないのだが、もちろんこうしたある意味で無意味な殺し合いは、世界的な国家組織を欠く、資本主義の世界では、世界のどこでも――とりわけ国家的な発展段階に到達していないような――発展途上国や後進的な国家や住民の間では容易に、またいくらでも起こってきたし、今も起こっているし、これからも起ころうとしているのである。

 共産党は「駆けつけ警護」について、自衛隊が、つまり日本の軍隊が、「殺し、殺される」立場に追い込まれると大騒ぎを演じ、そんな論拠で「駆けつけ警護」という、自衛隊への新たな任務付与に反対している。いつものように軽薄な愚昧さ丸出しである。そしてそんな共産党に同調して、同様に低俗なマスコミ・リベラルもまた、「『新たな戦死』憂えながら」という小論で論陣を張っている。

 「地球規模での他国軍支援も可能になるなら、殺さず、殺されなかった歳月と誇りは、今や風前の灯火のように揺れている」(朝日新聞27日号、編集委員・福島申二)

 しかし今南スーダンで必要なことは、両派間の内乱状態を中止させ、7月以前の「和平合意」の段階に戻すこと、「国民的な合意に基づく」国民国家を保障することではないのか。

 もし南スーダンの国民が、両派の「ジェノサイド」を伴うような内乱の中で滅びるなら、それは彼らの勝手だというのならともかく、そう言わないのであれば、国連も安倍政権も覚悟をもって軍隊を送るべきである、つまりどんな困難があろうとも、断固として南スーダンに7月以前の政府を、つまり両派の本当の「和平」政権を保障し、復活させ、安定させるという覚悟をもって、軍隊を送るべきであって、道路だ、橋だ、「平和的貢献」だ、「殺し、殺されない」ことが原則だといった、勘違いの空語などを弄して、軽率な形で軍隊を送るべきではない。

 そんないい加減な形で軍隊を扱い、軍隊を安倍政権の都合や見栄や名誉心等々のために私物化し、ご都合主義的に利用し、動かすことこそ、自衛隊員の生命を弄ぶと同然である。内乱が発展しつつあるような南スーダンには、今や日本の自衛隊がインフラ整備だとかピント外れの任務で行っても、やるべきことはほとんどないのである。

 現地で7月、両派の激しい戦闘が勃発したとき、PKO部隊は、「宿営地」に非難した住民の保護さえできず、避難民の信頼を失っており、他方、PKO部隊の中でも、PKO指導部の指揮に戦闘中背いて任務放棄し、あるいはそんな混乱の中で帰国する国さえ出る始末で、国連の報告書は、内乱状態の中、南スーダンのPKOは現実に対応ができず、失敗したと報告しているような有様である。

 南スーダンの国民にとって、今必要であり、必然なものは権力者の利権か権力欲からか知らないが、そんなもののために分裂し、武力で殺し合いを開始し、混乱と混沌の中に滅びて行きかねない国家≠フ解体状況、混乱状況の克服であり、国民国家を、7月までの「和平」国家を復活させ、安定させ、勝ち取ることである。もちろん、それは直接には労働者、勤労者の解放ではないが、しかし労働者、勤労者の正常な生活と労働、階級的な成長と団結と闘いを保障し、さらには究極的な解放と勝利に道を開くのである。

 世界には、人類の社会発展が不均等であるため、多くの「国家」以前の住民が、発展途上の$l々が――部族や民族、人民や国民等々、何と呼ぼうが自由だが――存在し、内的に分裂し、争い、お互いに殺しあっている。歴史的に階級社会と共に発展してきた国家=\―その発展の究極の到達点こそ、資本主義とともに登場した国民″痩ニであるのだが――はブルジョア支配階級の機関であると共に、資本主義的生産関係に適応した「秩序」や「安寧」――それらはある意味では、また一定の限定のもとでは、歴史的な社会が存続し、発展するためには一つの必要な契機でもあったのだが――をも保障したのであって、それらは、国家の無政府状態や単なる混乱状態や、権力者らの相互対立や抗争の結果、国家が解体し、国民が悲惨な状況に追い込まれ、国民が死滅していくことに比べればはるかに進歩的な意味を持ったのである。

 資本家国家における国内の警察権力もまた、単なる「秩序」等々のためのものでなく、資本の支配と密接に関係しており、究極的にはその支配のための「暴力装置」であるとしても、他方では労働者階級が団結して自らの階級的な闘いを組織的に、そして自覚的に発展させる一つの条件を保障したのであって――国家が専制的ではなく民主主義的国家である限りでのことだが――、こうした条件は、多くの発展途上国や、あるいはそれ以前の植民地的な¥d圧や収奪のもとにある国家、一般的な停滞に陥った後進的国家の無政府状態よりも進歩的な意義を持ったし、持ちえたのである。

 そして警察官が国内の「治安維持」等々のために「殺し、殺される」ことはしばしば起こっているのであって、それを非難しないで、海外での同様な現実に対してのみ目の色を変えるのはまるで首尾一貫しておらず、民族主義者の一つの偽善でしかない。

 しかしただ一つ言えることは、日本が南スーダンで何ができるか、すべきかは別として、仮に南スーダンで何千、何万の労働者、勤労者が「殺し、殺される」ようなことがあっても、そんなことは日本人には関係ないことだ、「日本人が殺し、殺される」ようなことだけはあってはならない、ほっておくべきだといったような、見当違いで、卑しい民族主義エゴめいたことを、公然と振りまくような「共産主義者」(事実上のプチブル)や「自由主義者」(事実上のブルジョア)たちは破廉恥な連中ではないのか。

 労働者、勤労者にとっては、アフリカの――世界中の――労働者、勤労者もまた同胞であって、その生活や生命や幸不幸や苦悩や喜びに、その未来にもまた、当然同情や共感を持ってしかるべきではないのか。

 もちろん、国連やアメリカなどが世界中で公然と行PKO等々の軍事的、非軍事的な活動や、それによって保障される「秩序」や「平和」の階級的な性格を、世界の労働者、勤労者は少しも見間違うことなく、そのブルジョア的、帝国主義的でさえある本性を暴露し、公然と語るのだが、しかし他方では、それは帝国主義戦争への軍事的「動員」や「召集」や「派遣」とは区別されることもまた確認するのである。

 世界国家機構を欠く、現存のブルジョア世界にあっては、世界における警察%I活動はしばしば、世界の覇権を握る国家によって担われ、代行≠ウれるのであって――したがってまた、それらの国家にとって有利な形で行われたのだが――、第二次世界大戦後の世界で、その役割を担ってきたのはアメリカであった。

自警団(あるいは有志連合)としてのある国家もしくは国家群の軍事的行動が、それらの国家もしくは国家群の利害や意図によって支配され、左右されること、したがっていくらでもベトナム戦争やイラク戦争のような恣意的≠ネもの、侵略的で、反動的なものとして現れ得るのは一つの必然である。

 もちろん国際連合が、その役割を担えるならそれに越したことはなかったのである、しかし資本の世界は一つの国家を持つことができず、国連は国家(世界国家)ではなく、したがってまた、その機能を貫徹するための軍事的実力をほとんど持っていなかったのだが、それは第二次世界大戦前の国際連盟もまた世界国家ではなく、ドイツや日本の世界的覇権に賭けた野望や策動を、公然たる軍事的行動を阻止することはもちろん、いくらかでも制約することさえできなかったのと基本的に同じである。

 後進的国家においても、世界社会主義の持つ意義は明らかである。

   
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