MCGトップページ E-メール


マルクス主義同志会機関紙
『海つばめ』

◆隔週日曜日発行/A3版2ページ
一部50円(税込み54円)

定期購読料(送料込み)1年分
  開封 2000円
  密封 2500円

ご希望の方には、見本紙を1ヶ月間無料送付いたします。

◆電子版(テキストファイル)
メールに添付して送付します

定期購読料1年分
 電子版のみ 300円

 A3版とのセット購読
  開封 2200円
  密封 2700円

●お申し込みは、全国社研社または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。



郵政民営化の中で何が起きているのか?
郵政労働者は告発する!

■民営化の嵐の中で最大の御用組合の登場――JPU臨時全国大会議案批判
■郵政民営化――今、職場では/郵政現場からの報告
■恐竜化か、リリパット化か――郵政民営化のジレンマ
■西川善文著『挑戦――日本郵政が目指すもの』/民営化に賭けるトップの本音


憲法改悪と
いかに闘うか?


■改憲に執念燃やす安倍――「国民の自主憲法」幻想を打ち破れ
■労働者は改憲策動といかに闘うか
■国民投票法をどう考えるか
■安倍の「美しい国」幻想――憲法改定にかける野望


本書は何よりも論戦の書であり、その刊行は日和見主義との闘いの一環である。
マルクスが『資本論』で書いていることの本当の意味と内容を知り、その理解を深めるうえでも、さらに『資本論』の解釈をめぐるいくつかの係争問題を解決するうえでも助けとなるだろう。


全国社研社刊、B6判271頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「不破哲三の“唯物史観”と『資本論』曲解』(林 紘義著)」紹介(『海つばめ』第1048号)


全国社研社刊、B6判384頁
定価2千円+税・送料290円
●お申し込みは、全国社研社
または各支部・会員まで。
E-メールでのお申し込みもできます。
「天皇制を根底的に論じる『女帝もいらない 天皇制の廃絶を』(林 紘義著)」(『海つばめ』第989号)他

理論誌『プロメテウス』第54号
2010年10月(定価800円)

《特集》菅民主党のイデオロギーと“体質”
・神野直彦の思想と理論――菅直人のブレインは「曲学阿世の徒」
・原則なき寄せ集め政党――顕現するブルジョア的“体質”
反動的な「文化」の擁護に帰着――レヴィ=ストロースの「文化相対主義」批判


 
 
 教育のこれから
   「ゆとり」から「競争」
   そして「愛国教育」で
   いいのか
 林紘義 著 7月1日発売

  (全国社研社刊、定価2千円+税)
  お申し込みは、全国社研社
  または各支部・会員まで。
  メールでの申し込みも可能です。

まかり通る「偏向教育」、「つくる会」の策動、教育基本法改悪の動きの中で、“教育”とは何であり、いかに行われるべきかを、問いかける。  


 第一章  
教育基本法改悪案の出発点、
森の「教育改革策動」
 第二章  
破綻する「ゆとり」教育の幻想
 第三章  
“朝令暮改”の文科省、
「ゆとり」から「競争原理」へ
 第四章  
ペテンの検定制度と「つくる会」の教科書
 第五章  
歴史的評価なく詭弁とすりかえ
つくる会教科書(06年)の具体的検証
 第六章  
日の丸・君が代の強制と
石原都政の悪行の数々
 第七章  
憲法改悪の“露払い”、教基法改悪策動

●1284号 2016年9月11日
【一面トップ】「働き方改革」という新エセ商売――安倍の権力簒奪延長策動を許すな
【9,10月の働く者のセミナー】
【コラム】飛耳長目
【二面〈主張〉】触らぬ神に祟りなし――生前退位に特措法で逃げる
【二面トップ】黒田の「異次元緩和の総検証」――行き詰まる金融緩和、近づく破綻
【労働者の闘いから、我々の闘いから】労働者政党の結成を提起――信州・働く者のセミナー

※『海つばめ』PDF版見本

「働き方改革」という新エセ商売
安倍の権力簒奪延長策動を許すな

 アベノミクスの破綻がますます明らかになっているとき、参院選を、その「加速」という半デマゴギーで乗り切った安倍は、さらなる権力の強化と長期政権という野望のために策動を強めている。その主要な手段は、次々と目新しそうな看板を掲げて商売するというやり方、つまりえせ商品を売りまくり、その化けの皮がはがれそうになると大急ぎで別のまがい品の売り出し、キャンペーンに走り、そんな姑息で下品な政治で労働者、勤労者を釣り、たぶらかす、といったやり方である。最近、安倍は盛んに安売りしていた「成長政策」、一億総活躍社会云々に加えて、それのさらなる進化であるかに、「働き方改革」といった新しい粗悪商品を売り出し、労働者、勤労者の歓心を買い、その批判意識や闘いの牙を抜き、眠り込ませようとしている。

 安倍は参院選後の内閣再改造で、新しい贋造品として「働き方改革」なる看板を持ちだし、「最大のチャレンジ」だと大見得を切り、その実現を図ると大騒ぎを演じ始めている。

 しかし内容は特に目新しいものではない。参院選でも強調された同一労働同一賃金の実現や、長時間労働の是正といった、労働者、勤労者にとって切実で、大きな関心を呼ぶものではある。

 問題は、それがこれまでと同様に安倍政権の商売用の看板一つに留まるのか、それともいくらかでも実際的な内容を持つものなのか、そんなものとして提起され、取り組まれようとしているのか、ということである。

 安倍は、この「働き方改革」のための自民党特命委員会の委員長に茂木敏充政調会長を据え、あるいは新設の「働き方改革」担当相に、加藤勝信一億総活躍担当相を当て、兼任させたばかりではない、「働き方改革実現会議」を関係閣僚や労使代表や「有識者」を揃えて発足させて、自らその議長につくという張り切りぶりである。

 しかし鳴り物入りで派手に宣伝される、こうした課題は安倍政権のもとで実行され、完遂されることはほとんど――否、全く、だ!――ないし、ありえないのである。

 同一労働同一賃金の実現も、長時間労働の一掃も、つまり大騒ぎされている「働き方の改革」等々が、つまり労働者、勤労者のためであるかに見せかけられる政治が、参院選だけの空約束や、その後の低所得者への数万円のバラまきだけに終わることほどに確かなことがあろうか。

 安倍は、「同一賃金の実現で、『非正規』という言葉を一掃する。長時間労働を自慢する社会を変えていく」と勇ましく豪語する。

 口先だけなら、何とでも言えるのだ。もちろんそんな「改革」が文字通り実行されるなら、安倍に対するブルジョアたちの評価は急落し、安倍政権の土台を揺るがせかねないだろう。安倍のそんな発言を聞き流しながら、ブルジョアたちが安倍政権に高い評価を与え続けるのは、安倍発言が本気でないこと、労働者、勤労者の歓心を引き、労働者の意識を混濁させ、幻惑して階級意識を惑わすためのリップサービスにすぎないことを良く知っているからである。

 そもそも安倍政権はいくらかでも労働者、勤労者にとって意味がある同一労働同一賃金の内容を全く知らないでばかりか、ブルジョアたちが言いはやしているようなものとしてしか理解していないのである。経団連の榊原は、非正規労働者の待遇改善という安倍政権の言いぐさはいいとしても、実際には、それはきれい事ではないと3月、記者会見で語っている。

「日本独自の雇用慣行を踏まえる必要がある。同じ仕事だから同じ賃金という単純なものではない。その人への期待、役割、将来的な会社への貢献など、様々な要素を勘案しなくてはならない」(日経新聞4月24日)

 榊原はいうのである、労働者のなかに、正規、非正規等々の“身分的”ともいえる差別があり、企業の中でも「役割」や「会社への貢献」とか、「期待」さえも違うのだから、同じような仕事をしているからといって、単純に同じ賃金を払えるはずもないし、払う必要もないのは余りに明らかではないのか、もし同じ賃金を払うなら、安い賃金で働き、首切り自由の非正規労働者を使うメリットはどこにあるというのか、というわけである。

 ブルジョアたちは、つまり経営者たちは、安倍の同一労働同一賃金の話を少しもまじめに受け取っていないし、文字通りそれが実行されるなら――つまり、彼等が心配するとおり、同一労働同一賃金が「正社員と同じ賃金が支払われる」ということを意味するなら、身を呈しても反対し、そんな「改革」を葬り去るために何でもするだろう。そんなことになって「訴訟が頻発する」ようになったら、彼等は困るのであり、経営者としてやっていけないと感じるのである。

 賃金労働者の4割を非正規労働者が占めるようになったのは偶然ではない。20世紀末から、資本主義が、市場経済が“グローバルな”ものとして発展し、展開されるようになり、国際的な競争が一層激化するにつれて、世界中のブルジョアたちは一層搾取を強化し、競争の重荷を労働者階級に転嫁したし、するしかなかったのである。

 過剰生産や過剰信用のなかで行き詰まった日本のブルジョアも、資本を海外に移すか、搾取を強めるしかなく、かくして長時間労働や非正規労働がブルジョアたちによってもてはやされ、横行し、一つの必然として貫徹したのである。

 だからこそ、長時間労働も非正規労働者も、その一掃がいわれてきたにもかかわらず、いくらかでも後退するどころか、ますますはびこり、労働者、勤労者をますます苦しめ、追い詰めてきたのであり、今もそうである。

 そもそも日本では労働時間については、基準法によって、1週40時間、1日8時間に、罰則付きで規制されている。

 しかしブルジョアたちは労働者の代表(労働組合等々)と協定(36協定)を結んで、労働基準監督署長に届けるときにのみ時間外労働が可能とされる法律に助けられ、それを悪用してきたのである。

 この法律は、経営者と労働組合の間で話し合い、協定を結ぶことによって残業を規制し、制限することを期待したのだったが、労働組合自身が資本の支配の一機構にまで堕落している現実では、実際には、“労使協調”によって、月45時間もしくはそれ以上の長時間残業を労働者に強要できる“合法的な”道を保障したのであった。

 長時間労働のもとに呻吟する“正社員”はまさに「搾取労働」そのものを象徴し、他方、不安定な地位で低賃金を押しつけられる“非正規労働者”の大群は、まさに「差別労働」の象徴であるが、しかし「差別労働」といっても、資本主義のもと、過酷な搾取労働が必然であるからこそ、その徹底として、行き着くところとして、広汎な差別労働が不可避となるのである。

 だから「労働の解放」のためには、つまり差別労働を一掃するには、搾取労働の一掃と結びついてしか成し遂げることはできないし、他方、搾取労働を廃絶するには、差別労働の廃絶と結びつけてしか可能ではないのである。

 共産党のように、差別労働を無くして、搾取労働に代えれば――つまり、彼等が強調するように、非正規労働者を正規労働者に“格上げ”すれば――、労働者、勤労者の困難な地位や労働が解決し、労働の解放が成し遂げられるといった、因循姑息で、矮小な問題ではない。。

 資本の支配のもと、労働が「搾取労働」して何千万の労働者、勤労者の上に重くのしかかっている社会で、いかにして、こうした現実と切り離して、「差別労働」を一掃し得るのか。そのごくわずかが「正社員」になれば済むといった問題ではない。労働者、勤労者を侮辱し、生きる道さえ閉ざすような「差別労働」そのものが粉砕され、一掃されなくてはならないのである。

 参院選では野党共闘が持てはやされ、民進党も共産党も、安倍政権と同様にきれいごとを並べたが、何を言うかと思えば、労働者派遣法を改悪して、派遣社員の受け入れ期限制限3年を無くしたことが問題だ(もとに戻せ?)といったような、つまらないことだけである。

 彼等はその期限を無くしたことが、非正規労働者の正社員の道を閉ざしたと叫ぶのだが、まるでお笑いである。もともとそんな期限によって正社員になったような非正規労働者はほんの一握りしかいないのであって――そんな矮小な規制で非正規労働者を一掃することなど全く不可能で、まるで「百年河清を待つ」に等しい――、そんなケチな改良にこだわるような政党は、実際上、搾取労働、差別労働の根本的な一掃など全く考えていない、卑しい日和見主義政党、半ブルジョア政党でしかないのである。

 安倍の「働き方改革」を評価して、ブルジョア・ジャーナリズムは「企業と労働者を強くする改革が遅れれば、日本経済は衰退に向かう」と警告している(毎日新聞9月4日)。

 安倍の言う「改革」がいかにして「労働者を強くする」のか、そんな内容が本当にあると、毎日が本気で信じているかは知らないが、例えば「労働市場」についてのあれこれの規制緩和は、資本を強くすることはあっても、労働者を強くするものではないし、あるいは矛盾したものである。労働時間に応じてでなく、「成果」に応じて賃金を払うやり方は、ブルジョアたちや彼等の働き方にとってプラスであるかもしれないが、賃金労働者たちにとっては少しもメリットではない。

 労働力の流動化を促進して、衰退する産業から成長産業にスムーズに移行できる――安倍の言うように、「失業することなく」――としても、空洞化と経済の寄生性の増大のために、産業労働者、生産的な労働に従事する多くの労働者が、膨れあがる「成長産業」――と安倍政権やインテリ等によって評価される――の介護労働に大量に移ったからといって、それは必ずしも「経済成長」を意味しないばかりか、かえって経済的衰退の表象かもしれないのである。

 安倍が新しい看板であるかに掲げ「働き方改革」といったものも、単に労働者、勤労者をたぶらかすためのえせ商売の一つであって、安倍はそんなものを掲げつつ、6年を超える9年の権力簒奪(自民党総裁の任期延長による)を企んでいるだけである。

 労働者、勤労者はそんな安倍の政治に何一つ期待するもののないことを確認し、まさに自ら経済的、政治的な闘いに参加し、団結して立ち上がることによって、搾取労働や差別労働と闘い、その一掃を目ざして行かなくてはならないときである。

   

9,10月の働く者のセミナー

★9月25日(日)午後4時〜
 経団連の「同一労働同一賃金」を斬る
 千葉・松戸市市民会館

★10月2日(日)午後1時半〜
 アベノミクスとは何だったのか
 東京・文京区勤労福祉会館

★10月16日(日)1時半より
 野党共闘で安倍と闘えるのか
 東京・国分寺労政会館

★10月11日(祝)午後1時半〜
 労働者の生活を破壊するアベノミクス
 神奈川県民センター

★10月16日(日)午後1時〜
 アベノミクスを検証する
 福山まちづくりサポートセンター
   

【飛耳長目】

★参院選が終わり、野党共闘についての議論が続いている。共産党は手放しの評価で、来るべき総選挙でも、当然野党共闘を発展させるというが、しかし明確で、確かな展望があるわけではない。相手の民進党は、野党共闘に乗り気なのか、覚めているのか、態度が煮え切らない★民進党の代表選でも当然、野党共闘の評価や来るべき総選挙の議論がやかましく、蓮ほうと前原の姿勢は微妙に違うが、共産党の票がほしいのは同じである。民進党は共産党が自分の路線や立場に接近し、追随するなら共闘を考えてもいいといった、上から目線の、恩着せがましい立場を崩さない★共産党は野党共闘を持ちだして、それこそが安倍自民党を粉砕できる唯一の道であるかに大騒ぎするのだが、それは単なる建前であって、結局は大部分の選挙区で民進党を応援するから、せめて17の選挙区では譲ってくれといった、バーター取引、つまり打算の問題である。断固として安倍政権と闘い、労働者議員を増やしていく原則的な闘いではない★共産党も民進党も党の原則を簡単に投げ捨て、修正し、いくらかの議席の確保にあくせくするのだが、これはまさに古典的な議会主義病の再発、復活であり、堕落である。そんな権謀術数に頼るしかないのだから、安倍自民党に勝てるはずもない。原則も節操も捨ててブルジョアに追随していく、日和見主義の政党にどんな未来もない。(鵬)

   
   

【主張】

触らぬ神に祟りなし
生前退位に特措法で逃げる


 明仁の生前退位発言によって、日本の君主制、つまり“天皇制”は新しい動揺を開始するかである。

 というのは、明仁の発言は天皇制の最も脆弱なところを、つまりブルジョア民主主義体制の中における、典型的に非民主主義的な契機である天皇制の問題を鋭く暴露し、民主主義体制に内在する矛盾の急所に触れるからである。

 天皇制がブルジョア民主主義の本性を、その“民主”がペテンであり、偽りであって、根底では本質的に“差別制度”――階級的に分裂した社会――の「象徴」であることを図らずも暴き出すからである。

 安倍政権は、天皇の意思が示されたからには、その意思を尊重しなくてはならないかに装うのだが、もちろんそれは本当のことではない。

 安倍政権は天皇の意思を誠心誠意尊重するというなら、皇室典範の改定に踏み込まなくてはならないはずだが、しかし安倍は、明仁天皇だけに適用する特別措置法によって、明仁の生前退位を認めることで、ことを済まそうとしている。

 しかし天皇は単に自分個人のことだけではなく、天皇制の一般的な問題として生前退位を考え、また問題提起をしており、また摂政を置くのもよくないと明白に語っているのである。

摂政を置いたのでは、天皇の憲法に規定された職務や「公務」を責任を持って遂行することはできない――だからこそ、生前退位が必要である――と明言するのだから、まさに皇室典範に留まらず、憲法の規定とは異なった意見を述べているのであって、ことは特別措置法で済む問題ではない。

 つまり天皇は事実上、皇室典範に留まらず、憲法の改定まで主張し、要求して“自由に”政治的発言しているとさえ言えるのである。

まさに天皇は憲法をも軽々と超える存在であり、あるいは露骨な政治的発言をしていると同様である。

 それが許されるはずもないのであって、老衰する天皇に同情して、天皇の発言を感情的に擁護し、扱っていいはずもないのである。

 そしてまた、安倍政権も問題の重要性と“危険性”に恐れをなし、触らぬ神に祟りなしとばかりに、困難な問題の根源を回避しつつ、特別措置法といった、その場限りの安直な解決でお茶を濁すのである。

 安倍政権の安定や支持率を下げるようなことは決してやってはならないのであり、賢い安倍はそんなことは決してやらないのである。

憲法は明白に、天皇制の問題は具体的には皇室典範によって処理し、解決せよと謳っており、皇室典範は事実上、生前退位を否定している。

 もし天皇に生前退位を認めるなら、当然、国会で皇室典範を改正、天皇の意に沿って、その問題を原則的に解決すべきだが、しかしそうした議論は、皇室典範の他の内容の修正という議論に火をつけかねないのであり、女性天皇の問題や、天皇と自由意思の問題といった、“厄介で”、解決不能な問題が蒸し返され、あるいは公然と議論され、あげくの果てには、天皇制の是非という根本問題までが、まさに不可避的に出て来かねないのである。

 安倍にとって生前退位問題は、天皇の意思をあくまで尊重すれば、皇室典範改定という虎の尾を踏まなくてはならず、他方、ご都合主義的で、便宜的な解決で済まそうとするなら、天皇の“自由意思”を疎かにし、こともあろうに天皇の意思を軽視したという。国民批判と不信を招き寄せかねないのである。

かくして天皇制はお気の毒にも、安倍にとって、手に余る鬼門でもある。

   

黒田の「異次元緩和の総検証」
行き詰まる金融緩和、近づく破綻

 最近の日本の「金融市場」の動向は、まさにアベノミクスと黒田日銀の「異次元の」経済政策の崩壊と終焉の始まりを示唆していないであろうか。世界中のブルジョアが、とりわけ金融ブルジョアたちが政府や中央銀行の「経済政策」に異様な関心を寄せ、もっぱらそれでもって、株価や為替相場の変動や企業経営の可能な業績までも論じ、その現状を判定しようとする姿はまともではない。我々は当今の日本の政府や日銀の“経済政策”が正常でないばかりか、むしろならず者流のものであることを明らかにし、告発する。黒田は自らの政策を金融緊縮に転換することはできないし――そんなことをしたら「市場」は大暴落でもって応えるから――、また最後まで「はったりをかまして」突進すればしたで、そこには破綻しか待っていないのである。

 日銀はこの9月の20日と21日の「金融政策会議」で、物価2%の引き上げという、3年来の政策目標の達成ができていない理由について“総括的に”検証するという。

この目標は黒田や岩田規久男等が、その達成ができなかったら、職を辞しても責任を取ると大言壮語してきたものである。

 黒田はそれに先立って5日の講演で、必要なら追加の金融緩和について「躊躇すべきでない」といい、「量、質、金利の各次元での拡大はまだ十分可能」だと開き直ったが、他方では金融緩和の「副作用」にもついて発言し、強気一辺倒のこれまでとは違ったニュアンスも示したので、金融ブルジョアたちは、その真意について、新しい「サプライズ」があるのか、それを隠すための発言か、あるいは基本的には現状維持でやり、それに金融ブルジョアを落胆させない程度の“追加の”緩和策を付け足して乗り切ろうということかと疑心暗鬼に陥っている。

 そもそもアメリカの利上げも延期され、日銀も「異次元の」緩和策を続けると言い、さらには7月末には、金融緩和策に加えて、EFT(上場投資信託、要するに株式)を年6兆円も買い増しするといった、露骨な株価維持政策も実行するというのだから――一昔前なら、こんな厚かましい政策が行われたら、“世論”から容赦ない総攻撃を受けたのだが――、心配することは何もない、という“楽観論”も振りまかれている。

 アメリカの利上げがさらに先延ばしされ、黒田日銀の「異次元の」金融緩和(や、安倍の財政膨張)の方は継続されるだけではない、何かいくらかのその追加があるとするなら、為替相場は円安に振れ、株価も上がることになって、金融詐欺師たちも一安心だが、しかし日米の経済政策の齟齬や食い違いの内容は、アメリカでは経済“健全化”へのいくらかの努力であり、日本では経済的節操と節度の欠落であり、不健全と解体への動きである。

 にもかかわらず、安倍も黒田も、日本のブルジョアたちもそれを願い、何とか実現しようというのだから、彼等はみなトチ狂っていると結論するしかない。

 現代の資本主義にあっては、「市場」は今や政府や中央銀行のバラまくカネに関する“政策”次第であり、もっぱらそんな契機によって大きく変動し、左右されるのだから全く異様である。企業経営やその結果などは、つまり経済の「実体」やその「法則」は、言ってみれば社会経済の基礎的な内容は、二の次、三の次である。

 そんな経済社会が空洞化し、空虚となり、寄生性を強め、衰退していくのは一つの必然であろう。

 黒田は「量、質、金利の各次元での拡大はまだ十分可能」と言い、デフレ脱却のために、2%の物価上昇をもたらすために、そして株価をさらに引き上げるために、つまり経済の「繁栄」や「成長」や、あるいは労働者、勤労者の生活の向上や改善ために、それらの政策は実行されなくてはならないとなおも強調するが、しかし短期的、場当たり的な“効果”はともかく、いくらかでも長期的に見るなら、そんなやくざ政策は、むしろ経済社会に致命的な悪影響をもたらすものでしかないのである。

 黒田の言う「量」とは、量的緩和策、つまり日銀が年々80兆円もの国債を買い増しし、ため込んでいく政策、事実上の国債の日銀引き受けであり、政府の赤字財政策を、つまり国家や政府の借金の垂れ流しを正当化し、支える政策、“経済政策”の限界を超えた、いわば“政治政策”以外ではなく、日銀のやっていいことではない。国家財政を、ひいては国民経済の全体を解体と瓦解に導きかねない、邪悪な政策である。

 また「質」とは、日銀が、年金機構などと手を組んで株を買いあさり、露骨な株価引き上げをやることだが、そんな破廉恥な政策をして、安倍政権のために日銀を悪用することは、すでに“政策”どころか、公的機関や権力を私物化する犯罪レベルの問題である。

 最後にマイナス金利であるが、人為的に金利をマイナスレベルまでに下げて、「金融市場」や経済過程にカネを注入し、国民経済の繁栄や「成長」など願望するなど、まさに頽廃者の異常心理の問題、賭博者のはったり根性の問題であったとしても、まともな“経済政策”の問題では全くない。

 カネを貸して利子を受け取るのではなく利子(?)を渡したり、カネを借りて利子を支払う変わりに利子(?)を受け取るといった、逆立ちした“経済”法則があり、通用するというなら、そんな政策をいくらでも拡大して行き得るというなら、そんな社会はすでに資本主義ではない。

 自ら資本主義とその“法則”や論理を否定して、安倍や黒田はどうして資本主義を維持し、まともに運営していけるのか、自らその解体に手をかすことにならないのか、彼等はいかにして社会主義に反対することができるのか。

 安倍や黒田やその“政策”に象徴されるように、現代のブルジョアたちはまさに血迷い、正気を失ってしまったと結論するしかない、そしてそんな連中が支配し、動かす資本主義が近い将来、解体するしかないことほどに確かなことがあろうか。

 資本の支配の解体とは、日本資本主義のギリシャ化である。そしてそれはまた、労働者の新しい闘いのスタートの時でもある。ギリシャの労働者の敗北から学ばなくてはならい。

   
   

【労働者の闘いから、我々の闘いから】

労働者政党の結成を提起
信州・働く者のセミナー

 長野県内で『資本論』読書会を主宰する3人が実行委員会を立ち上げ、八月二八日(日)松本市で「信州・働く者のセミナー」を開催しました。

テーマは、「なぜ野党は敗北したのか?―参院選とアベノミクス・憲法問題」で、やや時期遅れの感がありましたが、それでも12人の参加を得たことは、県内初のセミナーとしてはまあまあでしょうか。『資本論』読書会のメンバーの大半が参加してくれたことはうれしいことでした(他に、新聞の催し物案内を見て参加された方が2人いました)。

 報告者(鈴木)は、参院選での四野党の敗北に焦点を当て、数千万の労働者、2千万の非正規労働者が低賃金・長時間労働・無権利に苦しみ、広範な勤労者とその家庭に貧困が蔓延し、働く者の生活困難・不安は増大する一方なのに、安倍政権の圧勝を許した野党の責任は重大であること、野党は現行憲法が労働者の苦しみの根源である私有財産制と資本主義の存続を支えていることを忘れてそれを絶対化し、アベノミクスと対決・粉砕するのでなく同じ土俵で矮小な“対案”を競うのみで労働者を惹きつけることが出来なかったこと、今や野党の頽廃堕落は深刻であり、労働者の新しい政党を結成して国会にも進出し、新しい闘いの道を切り開いていかなければならないと訴えました。

 討論の中では、シールズや四野党共闘を評価する意見も出ましたが、参加者の一人はシールズは労働者の階級的立場と無縁であり、労働者になりたくない学生たちの集まりでは、本当に社会と向き合っていないと批判しました。また、自公が圧勝し、これからさらに粘り強く闘いを継続・発展させていかなければならないときに「解散」するのは無責任そのものであり、市民運動の限界を示しているとの発言もありました。

 報告者は、富と権力を握っている資本の勢力と最後まで闘っていくには労働者は自らの政党のもとに団結して闘っていかなければならないこと、今は野党は安倍政権を批判しているが、尖閣諸島に中国軍が上陸したりすれば、日本を守れという愛国主義の波に飲み込まれることは必至であり、帝国主義的な対立が深まっているからこそ、「万国の労働者団結せよ!」という国際主義の旗を高く掲げて闘う真の政党が必要だと訴えました。

 新しい労働者政党をどうやって作るのか? 党名は?支持者をどうやって集めるのか? という質問もあり、労働者政党の結成を真剣に受け止めている声があったことは確かです。

 全体として、論点が多岐にわたり、十分煮詰めることが出来なかったことが反省点として残りました。しかし、『資本論』読書会のメンバーの多くが参加してくれ、新参加者もあったことはうれしいことです。 なお、信毎の若い記者が取材に来てくれたことは良かったのですが、記事が私たちの主張を十分伝えていないので、やんわりと申し入れました。ただ、今後も連絡してくださいとのことなので、関心は持っているようです。(文責・鈴木)

   
ページTOP