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労働の解放をめざす労働者党
代表委員会メッセージ

【2017.6.25】
 自民と小池の空疎な対決――民進も共産も影の薄い都議会選挙
【2017.6.18】
 民進、共産の裏切りを糺弾せよ――安倍政権の開き直りと延命を許した者たち
【2017.6.16】
安倍は直ちに首相を辞めよ――〝関与〟していたら辞めると明言したのだ
【2017.6.11】
天皇は「裸の王様」だ――成立した生前退位の特別法
【2017.6.6】
今こそ本当の労働者、勤労者の代へ表を国会へ,森友学園に次ぐ加計学園――安倍政権の腐敗は窮まった
【2017.6.1】
文科省・前川前次官の証言――安倍政権は骨の髄まで腐っている
【2017.5.26】
罪を罰して人を罰せず――安倍政権のニヒリズム弾圧法を排せ
【20175.20】
今度は加計学園問題――安倍は公言した通り首相と議員を辞めよ
【20175.12】
「退位」特例法、19日にも閣議決定――「国民の総意」と程遠く、安倍の意図だけまかり通る
【20175.4】
安倍は憲法改悪、軍国主義国家建設に乗り出した――全国の闘う意思のある労働者、勤労者、青年の諸君に呼びかける
【2017,5.1】
矛盾しないか、共産党よ――教育勅語を非難、天皇制は美化
【2017,4.25】
「生前退位」と安倍そして共産党――志位や不破の裏切りに幸徳秋水も多喜二も怒る
【2017,4.14】
安倍と国家主義派全体の権力犯罪だ――森友を巡る巨悪を許してはならない
【2017,4.9】
野党は、審議拒否で安倍を追いつめよ!――森友問題の鎮静化狙う安倍のペースにのせられるな
【2017,4.4】
教育勅語の教材使用を閣議決定――安倍一派や分科省は〝道徳〟について語る資格なし
【2017,3.24】
安倍よ、発言通り首相も議員も辞めよ!――森友学園犯罪の口利き役は、安倍夫妻だった
【2017,3.14】
〝黒幕〟は安倍政権そのもの――法違反と不正と虚偽のオンパレード森友学園
【2017,3.8】
共産党、特例法に柔軟姿勢――“すじ論”放棄し、自民に協力・屈服
【2017,3.3】
腐敗と疑惑隠蔽の安倍政権を打倒しよう!――森友学園の疑惑で政治家の関与明らかに
【2017,2.27】
安倍夫妻による10億円国有財産の200万円払い下げスキャンダル――安倍の腐敗と反動の腐敗と反動の政治が暴露されている、今こそ、労働者、勤労者、若者は立ち上がるべき時ではないのか
【2017,2.21】
“すり込み教育”は結局無力――3歳の幼児に国旗・国歌だって
【2017,2.10】
ムッソリーニとイタリアの運命を想起せよ――トランプと会っていい気になっている安倍よ
【2017,1.23】
天皇の生前退位問題――国会のなれ合い決着反対、国民的議論で決めよ

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自民と小池の空疎な対決
民進も共産も影の薄い都議会選挙

         2017年6月25日

 都議選が始まりました。加計学園などで追い詰めれている自民党と、「都民ファースト」といった、ポピュリズム丸出しのスローガンを掲げる下品な小池新党の争いという、最低の選挙戦になっており、民・共はまるで影が薄く、反動たちだけがわが物顔で闊歩するだけです。
  小池は選挙直前、築地移転問題で行き詰まり、苦し紛れに、豊洲も築地もといった、まるで愚劣で、現実に実行しようとすれば収拾困難に陥り、あらゆる面で行き詰まり、破綻しかねないような方針を――というより、単なる思いつきを--打ち出して来ました。選挙を前にして、「何も決断できない小池」という自民党の厳しい批判に直面し、どうしていいのか途方に暮れて持ちだした〝政策〟とは、豊洲移転派(ブルジョア的勢力)と築地残留派(プチブル的勢力)の立場を足して二で割ったような折衷論で、そんな折衷論がうまく行くはずもないのであり、両方の膨れあがっていく不満と、白けた失敗に帰着するしかないようなものです。
  市場としての機能は豊洲に移すと言いながら、築地にも市場的機能を持たせると言うのですが、一体どんな市場機能を残すというのでしょうか。「築地ブランド力を強調する」と言うのですから、本来の卸し市場に隣接し、市場の生鮮食品を利用する商店街のことを言っているのでしょうか。
 しかしそれは卸し市場としての築地市場があっての話であって、まさかそんな隣接商店街を意識して、築地の意義を語るなら、小池のやり方の行く末は最初から見えています。 カネがいくら浪費されるかも、分かったものではありません。
 一言で言って、「食のテーマパーク」幻想といっても、具体的な内容は何もない。小池のやろうとしていることは、文字通り「都民ファーストで(すら)なくて選挙ファースト(小池ファースト)」であって、そんなレッテルに対して反撃できないような小池が、仮に一時的に議会で多数派を勝ち取ったとしても、勝った途端に負けに転化し、転落していくような勝ちにしかならないでしょう。 小池の権力のためだけの卑しいポピュリズムは破綻しつつあります。
 小池に追随する民進党や共産党――共産党は築地残留こそが最善といいますが、自分たちが正当化し、擁護する政策が、築地のプチブル的要素の立場や利益でしかないことを自覚しないのです――が、存在感がまるでないのも当然です。

民進、共産の裏切りを糺弾せよ
安倍政権の開き直りと延命を許した者たち

         2017年6月18日

 国会は「共謀罪」法の成立と、加計学園問題における安倍政権の開き直りの中で幕を閉じた、つまり民進や共産の完敗として終わったが、その責任と罪は、あげて民進と共産、市民派やリベラル派の〝大連合〟勢力にこそある。
 彼らは今ごろになって、「ひどい国会だ、こんなひどいことはない」とか、「こんなでたらめで卑劣なやり方はない」とか憤慨するふりを見せるが(その代表は共産の小池ら)、しかしそんな結果に行き着いたのは、彼らが、文科省の保有する文書が明るみに出た時から、そしてそんなものは「怪文書」だと菅が発言して、森友学園と同様に、知らぬ存ぜぬというやり方で乗り切る態度を明らかにした瞬間から、安倍政権の即時打倒を目指しての闘いを開始し、やり抜かなかった日和見主義のためであり、彼らの自業自得でしかない。
 安倍政権は、森友学園のとき、自分が「関与」し、行政をねじ曲げるような事実があれば、自分は首相を辞めると白々しくも開き直り、公言したのである。
 とするなら、まさに民・共やマスコミ・リベラルは、安倍に加計学園事件でも同じように、自分の関与が明らかになれば、辞めるかと迫るべきであり、徹底的に安倍とその政権を逃げ道のない形で追い詰めるべきだったのである、あるいは、ただ単純に、文科省に加計学園事件への「関与」は「総理のご意向」とか、「官邸の最高レベル(安倍でないとしても菅である)が言っている」という内閣府からの圧力を明示する文書が「怪文書」ではなく、本物であり、実在するとはっきり語り、明らかにすれば良かったのである。
 加計学園事件の段階では、森友学園の時とは違って、前川発言と共に、すでに「真相は明らか」になったのであって、問題は、単に「真相を明らかにする」ことではなく、安倍政権の「進退である」ことを、そうした情況になったことを、民進党も共産党も自覚しなかった、あるいは問題をそうした決定的な問題であると評価し、理解し、闘い抜こうという意思も決断も勇気も賢明さも何もなかったし、持とうとしなかったことである。
 民進党は09年から3年間政権を維持しながらも、ほとんど労働者、勤労者のためのまともな「改革」を――社会を前進させるようなよりよき「改革」も――なし得ず、「政権を獲得すること自体に意義かある」などと浮ついたことをいって政権を握ったに過ぎないのであり、当然の結果として、〝保守〟や自民党にすり寄った末に破綻したのである。
 彼らはそんな経験がトラウマになって、安倍政権が倒れたらどうしたらいいのかも分からずウロウロするだけの存在に堕しており、共産党は共産党で、そんな負け犬同然の民進と共に国民連合政府を組織すれば働く者の未来が開けるかの独断的なたわごとをふりまくだけであって、そんな頽廃した民・共に、本気で安倍政権を追い詰め、粉砕する力も展望も意思もすでに残っていなかったのである。
 「共謀罪」法案の粉砕が可能になるチャンスがあったとするなら、加計学園事件によって安倍政権を追い詰める闘い、天皇制を巡る〝憲法違反〟の天皇や安倍政権の策動を粉砕する闘い等々と結びつけて、断固として闘ってのみあり得たことは明らかである。  問題を単に加計学園の「真相を明らかにする」といった目標に切り縮め、限定した民・共や、自由主義派の日和見主義が、安倍政権の開き直りと延命を許したのであって、安倍政権に敗北した原因は、民進や共産やリベラルマスコミにこそあったと結論して、少しも間違いでも言い過ぎでもない。
 しかも彼らはそんな決定的な政治情勢の中で、天皇の生前退位問題で安倍政権といちゃつき、全面的に助け、安倍の〝憲法違反〟でさえあるやり方を「国民的合意」のオブラートをかぶせて実現させたのである、〝静謐な中での〟、まるで愚劣な協調主義や馴れ合いの「政治休戦」を演出したのである。
 必要だったことは、森友学園、加計学園の事件と結びつけて、天皇問題でも安倍政権と天皇一派の〝憲法違反〟の策動を暴露し――そしてもちろん、「共謀罪」法の野望に反対する闘いとも結びつけて――闘い抜き、安倍政権を一掃することではなかったのか。
 それを回避し、闘いから逃走した瞬間から、彼らの敗北は不可避となったのである。  腐敗堕落の極致、安倍政権を許すことはもはやできない。
 今こそ民・共やリベラルの裏切りを告発し、新しい労働者党の果敢な闘いが、働く者の怒りや闘いと結びつき、その先頭に立って、国政の場でも断固として登場する時、しなくてはならない時となったのである。
 全国の心ある男女の労働者、青年、活動家の諸君、結集し、共に闘おう。

安倍は直ちに首相を辞めよ
〝関与〟していたら辞めると明言したのだ

         2017年6月16日

 同時に、二つの大きな政治的出来事が相次いだ、というより、安倍政権がそうした情況を演出した。 一方では「共謀罪」法が成立したこと、他方では、安倍政権の犯罪を明らかにする決定的な文書が「怪文書」ではなく、実際に存在したものであることを、そしてそんな文書に内閣府が、つまり安倍や菅が深く〝関係〟していることを、文科省や内閣府が自ら認めたし、認めざるを得なかったことである。
 「共謀罪」法の成立は労働者というより、自由主義派のインテリ、マスコミや民・共(民進党や共産党)にとっての敗北であるが、他方、安倍政権の権力犯罪が事実であることが確定されたことは、安倍政権にとって致命的であって、この政権は今や持ちこたえられるかどうかという危機に追い込まれている。累卵の危機にあるといっていい。
  一見して両方の痛み分けかに見えるが、それはただ安倍政権(自民党)も民・共も、とうに破綻していたことを改めて確認することになったに過ぎない。
  我々が確認すべきは、民・共や自由主義派の闘いが間違った、日和見主義的なものであったからこそ、安倍政権は「共謀罪」法まで成立させ得たのである。安倍政権が近く解体し、退陣を余儀なくされるなら、〝厄介な〟置きみやげを、イタチの最後っぺを残していったことになるが、その責任はあげて日和見主義に溺れた――天皇生前退位問題で、安倍政権となれ合っていちゃつき、「政治休戦」にまで応じた――民・共にあると結論するしかない。
  加計学園に関する「怪文書」がでてきて、その問題が大問題になってきているとき、民・共は、それを安倍政権打倒の決定的な機会としてとらえることなく、何か文書が本物かどうか、事実はどうかといった矮小な闘いに押しとどめてしまった。
  安倍や菅が事実を否定しようとしているとき、もし事実だったら責任を取るのかどうなのかという決定的な闘いに転化していかなかったのは、まさに日和見主義そのものであり、安倍が策動し、「共謀罪」法に狂奔することを許したのである。
 森友学園のとき、安倍は「私が関与していたら、首相を辞める」と公言したのである。加計学園では言っていないといっても、通用するはずもない、というのは、安倍も菅も、そんな文書はない、「怪文書」だ、虚偽だと頑強に、断固として言い張ってきたからである。内閣府の萩生田は今も、同様な発言を繰り返すが、それは責任が安倍や菅に及ばないためであるに過ぎない。今や安倍や菅は、責任を官僚に押し付け、転嫁するほか何もなしえないのである。卑しいげすというしかない。
  森友学園でも同じやり方をして通用したから、今回も大丈夫だと思ったかどうかは知らないが、森友学園と同じ〝強気な〟やり方を、つまり知らぬ存ぜぬという厚顔無恥を押し通そうとしたことは明らかである。
  しかし文科省は財務省ではなく、内閣府の、安倍の不当な特別扱いをするようにという指示が存在したこと、その証拠を明らかにしたのである、つまり安倍政権はもはや退陣するしかない状況に事実上追いつめられたのである。
  それを勝ち取ることができなかったとするなら、民・共の責任以外ではない、彼等が日和見主義に陥り、追及の仕方を、闘い方を誤ったからでしかない。そればかりか、決定的な闘いのさ中、天皇問題で安倍政権や自民党と共闘し、国民的合意を演出し、安倍政権との闘いを止め、もしくは妥協してしまったのである。敵に〝内通〟にする裏切りでないとするなら、天皇制問題での安倍政権への屈服や妥協は何であったのか。
  民・共は安倍政権との闘いのカギが、安倍政権を追い詰め、打倒していく闘いの中心が、その主戦場が、この間、森友学園・加計学園問題であり、また天皇生前退位の問題であることを理解せず、いたずらに「共謀罪」法に固執したが、彼等は現実的な政治闘争とは何かを理解せず、全く自覚していないのである。
  共産党の小池晃は16日の最後の国会審議で、安倍に「あなたは国民に迷惑をかけたと謝らないのか」といきり立ったが、問題は口先だけの「謝罪」でないことを最後まで理解しないのである。「謝罪するだけならサル(安倍)でもできる」ということを知らないのである。小池は「安倍は本当にひどいと思う」「卑劣」だと叫んだが、そんなにも「ひどい」政権をいまだ打倒できないことをこそ反省すべきであろう。
 「共謀罪」法も安保法も、一般的には日本ブルジョアジーの帝国主義化、専制主義化に対応し、それを反映する反動法であったが、しかしそれらは直接に労働者階級や労働者党に対する弾圧法ではないし、また日本の労働者、勤労者を〝戦争〟――今はいかなる〝戦争〟か、あるいはむしろ単なる〝戦闘〟か等々は問わないが――に動員する、そうした意味での〝戦争法〟でもなかった。
  将来において、それらの法律がどんな役割を果たすかは、どんな政権ができ、どんな風に利用する――悪用する――かにかかっているのであって、反動勢力、ファシズム勢力が勝利するなら〝何でも〟するのだが、それはどんな〝平和〟憲法があっても、自民党政権が強大な軍隊を持つことを妨げないことや、安倍政権が出て来て安保法でも何でも成立させ、〝好き勝手〟をすることと似たようなものである。
  「共謀罪」法について批判されたことは、基本的に、「内心の自由を侵しかねない危うさがある」とか、「恐れがある」、「不安や懸念がある」、「民主社会の萎縮を招くとかの指摘も多い」とか、「監視されたくなければ政権にとって都合のいい市民であれ、といわんばかりだ」とか、「知らないうちに息苦しい社会に行きかねない」とかいった、事実や現実とは無関係な、推測や恐れや危惧や、流行の〝忖度〟ばかりのような話ばかりであった。
  現実はといえば、国家権力や警察権力による「監視」といったことは、今後のことではなく、すでに今でもいくらでも〝良き〟国民、普通の労組や政党のメンバーに対しても(もちろん、体制にとって大して〝危険〟とは思われないような市民派の諸君も、ここに加えてもいいが)、日常茶飯事に行われているといって言い過ぎはないのであって、むしろそれを糺弾し、追及し、やめさせるべきではないのか。
 森友学園事件であれほどに〝忖度〟を批判した民・共が、「共謀罪」法という現実的な課題で、将来の「可能性」とか、「忖度」でしか安倍政権を告発し、闘ええなかったことほどに、民・共の愚劣さを暴露するものはない。
  天皇の生前退位問題で、「憲法や皇室典範に反して」、特別法による、将来に禍根を残し、天皇の神聖化、絶対化に努め、「国民的合意」の見せ掛けのもとで安倍政権に協力し、「民主社会の萎縮を招く」も何もないではないか。
 天皇の神聖化が進むなら、「民主社会の萎縮を招く」しかないことも明らかではないのか。この点での、民・共の立場ほどにナンセンスで、矛盾しているものはない。 安保法も同様であったが、「共謀罪」法に対する闘いもまた、プチブル的であり、ブルジョア的でさえある民・共やリベラルの闘いであって、安倍政権と対決し、それを打倒していく労働者、勤労者の政治闘争として闘われなかったのであり、だからこそ安倍政権を追い詰めることも、文書の正当性が明らかになっても、それが安倍政権の粉砕と結びつかず、したがってまた「共謀罪」法の粉砕にもつながらなかったのである。
 「共謀罪」法の成立も、森友学園や加計学園などの問題も、安倍政権の打倒につながらなかったとするなら、それはある意味で、民・共の日和見主義と裏切りによるものであって、そんな野党がいくら国会の中に存在していても、労働者、勤労者にとって何の意味もないことを、さらに明らかにしている。
  民・共はすでに労働者、勤労者の党として腐りきっており、存在していないも同然である。
  我々はこの4月、新しい働く者の党を再建し、まさに腐敗議員、腐敗政党ばかりがはびこる伏魔殿のような様相を呈している国会に風穴を開け、本当の労働者、勤労者の闘いを国会の中でも貫徹するために、100万票を勝ち取って、真実の働く者の代表を国会に送り込むことを決定した。
  我々は全国の心ある労働者、勤労者に共に闘うよう呼びかける。 


天皇は「裸の王様」だ
成立した生前退位の特別法

         2017年6月11日

  天皇の意思でも国民多数の意思でもない特別法が出席政党と議員の全体によって、「国民的総意」の装いのもとに成立したことは、天皇制の神聖化、絶対化に大きな一歩が記されたということで、今後政治の反動化と相まって、働く者の政治的、経済的闘いの上に重くのしかかってくるだろう。
 とりわけ特別法は憲法違反であると主張しつつも、それに賛成した共産党の裏切りは重大である。
 共産党は現行憲法を歴史的上部構造の一つとしてでなく、何か絶対物として「全体として」擁護すると主張し、その結果、これまで反対し、誰よりも敵対視してきた天皇制もまた擁護するというのである。
 自民党は調子に乗って、再開された衆院憲法審議会では、天皇の元首化や天皇の〝公的行為〟を憲法に挿入し、それを天皇家の私事から公務に格上げせよとわめいている。天皇制を神聖化、タブー化し、それをテコに、働く者への支配を強化しようと策動するのである。
そもそも天皇の生前退位云々は、天皇の人権尊重の視点から認めるべきだといった次元の問題ではない。
 もし天皇の「人権」尊重をいうなら、天皇制を廃止すればいいだけのことであって、その根本を棚上げして、天皇の「人権」を云々するのは愚劣であり、間違いである。天皇の人権喪失は特権者のそれであって、同情に値するものではない。
 天皇が高齢で自分の責務を果たせないというなら、大きな比重を占める「公的行為」――ただ皇室の延命のためにのみ行われている、天皇一家のいわば〝私事〟――をまず止め、憲法がそれ「のみ」を行うべきと明瞭に規定している「国事行為」に、自らの活動を縮小してから言うべきである。
 天皇と皇室は、1945年まで、15年にもわたる帝国主義戦争の先頭に一貫して立ち、それに国民を動員し、駆り立てるために巨大な役割――戦争犯罪人としての役割――を果たし続けたのである。
 そんな天皇一家は今、自分たちの寄生的地位や特権が日々脅かされることを感じるのであり、まさにそれゆえに、天皇制のありもしない存在意義を明らかにすべく、偽りの〝公的行為〟にあくせくするのである。
 そして明仁らのそんな策動は、安倍によって、政権の強化延命のために利用されたのである。持ちつ、持たれつというわけである。
 天皇らは盛んに「国民と共に」というが、それはブルジョアたちと共にということであって、働く者と共にでないのは、彼等の生活が働く者の犠牲と負担の上にのみ存在していることからも明らかである。何か、天皇が国民のために祈っているとか、それはありがたいことだなどといわれているが幻想であって、天皇が祈れば働く者の生活の困難がほんのわずかでも軽減され、縮小されるといったことはないし、あり得ない。
 天皇の生前退位を保障する特別法は、憲法違反であるばかりでなく、天皇制延命の策動の一環であって、徹底的に反動的である。
 問題は、働く者にとって癌腫の一つとなっている天皇制の廃絶を勝ち取ることであって、生前退位等々によってその延命を策すことではない。 
 天皇制をどんな形であれ働く者に押しつけることは、資本の支配を働く者の上に立つ〝絶対的な〟権威や権力を押しつけること、そして働く者の人格や権利や闘いや存在まで制限し、否定していくことと同じである。
 日本の天皇もまた、その本性を見抜くなら、「裸の王様」でしかないのである。


今こそ本当の労働者、勤労者の代へ表を国会へ
森友学園に次ぐ加計学園――安倍政権の腐敗は窮まった

         2017年6月6日

  国会で安倍政権が存在しないと言い続けてきた、文科省の文書が存在することが誰一人疑うことのできないない形で暴露された。その存在を確証する10名もの文科省の役人の内部告発の証拠も実名入りで国会に提出され、文科省も10名もの同姓同名の文科省役人の実在を認めざるを得なかった。
 つまり安倍と政権、文科省は、うそと強弁を積み重ねて事実と真実をねじ曲げ、隠蔽し、自らの犯罪的言動を正当化しようとしていたことが100%確認されたのである。森友学園に次ぎ、加計学園でも同様なことが繰り返され、安倍政権が――というより安倍とその一派が――政権を支配し、壟断し、私物化して好き勝手なことを日常的にやっていることが明らかになったのである。
 さらに安倍は、安倍を美化し、応援するような記事しか書かないような御用ジャーナリスト(山口敬之)の性犯罪――性犯罪の被害に遭った女性は、実名まで明らかにして、山口と安倍を告発している――を擁護し、個人的な権力を悪用して、そんな悪徳記者の逮捕や告発まで露骨に妨害し、回避させた、最悪のスキャンダルまでも暴露されつつある。
 しかし野党はまるで無力で、国会で、安倍の心は、内心はどうだったのかといった、アホな追及をして満足しているような有様である(民進党の平山佐知子の追及を見よ)。そんな質問は、安倍の「印象操作」であるという弁解や言い抜けを許し、正当化するだけだということさえ分からないのである。本気で安倍とその政権を追い詰め、安倍政権を粉砕していこうという信念も気迫も展望も何にもないような、ただ安倍に〝道徳主義的に〟反省を迫り、本心を告白せよといった、情けない、そして歯がゆい〝闘い〟だけである。
 国会は今や、腐敗した政党、腐敗した議員ばかりがはびこる、伏魔殿のような場所に堕落している。我々はそんな最悪最低の国会に風穴を開けよう、信頼し得る、本当の労働者、勤労者の代表を国会に送ろうを合い言葉に、断固たる闘いを再開した。
 全国の心ある労働者、勤労者の諸君、我が「労働の解放をめざす労働者党」に団結し、結集して、共に闘かうよう期待し、呼びかける!
           


             

罪を罰して人を罰せず
安倍政権のニヒリズム弾圧法を排せ

         2017年5月26日

 政府自民党は衆院において〝共謀罪〟法案を可決、参院に送った。テロ集団を対象としたものだというが、もちろんそんなものではなく、まさに実行された犯罪の罪を問い、罰するのではなく、犯罪の意図を罰するという、途方もない原則を根底に置く法案、まさに安倍政権が目指す官憲権力独裁の国家、ファシズム国家に相応しい、その原理を述べた法案である。そしてこうした法案はすでに安倍政権の支配する日本の現実であるからこそ、法案として結実するという真実を、今や労働者、勤労者は確認せざるを得ない。
 安倍政権がこうした法律を必要とするのは、資本の支配に対する、彼らの搾取や差別や生活破壊や抑圧に対する、労働者、勤労者の怒りや反発や憤怒をひしひしと感じ、怯えるからである。  もちろん安倍政権や警察権力が企むことは、テロ対策一般ではなく、資本の支配や安倍政権に反対する労働者、勤労者の政治闘争であり、大衆的な闘い全体であって、それを抑圧し、葬り去ることである。
 彼等は口先では、対象はテロ集団だと国民にいくらでも請け合うのだが、277もの「対象犯罪」として、テロ集団が犯すような犯罪とほとんど関係のない、つまらないことを並べている事実を見れば、労働者、勤労者の闘いや運動に対する弾圧や抑圧の強化をこそ意図していることは明らかである。
 ISも、あるいはオウム集団も、まさに〝テロ集団〟と呼べる組織ではあったが、しかし彼等が監視や摘発や取り締まり等々の対象となったのは、すでに様々なテロ行為――オウムの場合なら、弁護士一家殺害とか、長野県におけるサリン殺人事件等々――に走ったからであって、共同謀議をやった、やらないといった問題ではないし、そんなことは二義的なことである。  警察権力は、〝左翼〟に対しては、テロ組織であろうとなかろうと、その実際を探るためにありとあらゆることをしているのであって、他方、オウムや暴力団を事実上野放しにして、取り締まりや監視などほとんどしてこなかったからこそ、地下鉄サリン事件などという大事件を誘発したのである。今さらのようにテロ組織の危険性をわめいて共謀罪など持ち出すなど、ナンセンスでトンチンカンそのものである。
 安倍政権や警察権力は、今や「普通の人々の」、普通の抵抗運動や大衆運動さえも、これまでは単なる公務執行妨害程度の罪までも、テロ反対法の対象や〝共同謀議〟としてやり玉に挙げ、取り締まろうと企むのである。
 まさに民主的国家から警察国家への転換であり、安倍専制国家への移行である。政府は、「通常の生活を送っている人々」はテロ対処法案の「対象にはならない」と言うが、しかし普通の人々が何らかの抵抗運動や大衆運動に参加するなら、彼等は「普通の人々でない」と言うのだから、彼等の言うことはナンセンスで、空々しいだけである。
 要するに、人々は「テロ対象」人物でないなら「テロ対象」人物ではなく、政府や官憲がそう判断するようになれば「テロ対象」人物だと、つまらない同義反復や空論を口にしているだけである。
 他方、法律関係を転倒させて絶対化するリベラルや共産党は、テロ対処法を廃案に追い込むことによって、国家の反動化やファシズム化を阻止し得ると空想している。しかし問題は階級闘争、政治闘争であって、労働者、勤労者が敗北するなら、安倍一派や国家主義派の勝利を許すなら、どんな法律があろうとも国家は反動化し、ファシズム化するのである。
 政府は犯罪が現実になる前に、未然に察知し、阻止することが必要だというが、しかし誰が、犯罪実行者の心の中をあらかじめ知り得ようか。
 例えば、ある個人の他人への殺意が仮に生じたとしても、それは一時的な気の迷いかもしれないし、次の瞬間思いとどまるようなものかもしれないのである。
 罪を罰するのではなく、人そのもの、人の本性を罰するといった観念は、ヒューマニズムやマルクス主義の根本観念とは異質のもの、陰湿で陰険なニヒリズム等々であろう。
 ヒューマニズムは、罪を罰して人を罰するべきでないと説く。
 マルクス主義は、資本家は資本の本性の人格的な表現として、資本の本性や機能の担い手として資本家であって、そうでなければただの一人の人間であることを語る。
 個人の場合ではなく、特定のグループ、テロ集団とか暴力団の問題だといっても、しかしだからといって、一般法として、そんな原則を法の根底に置くなら、問題がテロ集団に留まらなくなるのは明らかである。共謀法案とは、警察権力の強化を絶えず追求する官憲勢力や、そんな暴力装置の肥大化をこいねがう支配階級や反動派の悪しき意図から発した、野蛮法の一種でしかない。 
 こうした法律の持つ〝自己運動〟は、戦前の治安維持法に明らかである。支配階級や天皇制軍国主義勢力の反動化、ファシズム化する中で、この法律は、彼らの独裁体制、戦争体制の確立、強化のためのテコに、15年戦争を遂行するための最も有効な国民的抑圧の手段となり、そんなものに〝進化〟していったのである。
 明治の末期、東アジアの覇権を巡って戦われて日本とロシアの帝国主義戦争に反対する平民社に結集した社会主義者ら(幸徳秋水ら)は、天皇制専制政府によって、天皇暗殺の計画に参加したという、ありもしない〝共謀〟の罪をでっち上げられて死刑に処されたのだが、安倍政権は再びそんなことを願望し、可能にしたいのであろうか。
 支配階級が反動化し、凶暴化するとき、彼らは何でもするのであり、法律など無視して――あるいはいくらでも弾圧法をでっち上げて――自らの野望実現に向かって突進するのであり、反動戦争であれ何であれ、手段を選ばず実行するのである。
 問題はすでに単なる〝法〟の問題ではなく、安倍政権のような政権を一掃する労働者、勤労者の実際的な闘いである。
 改憲や共謀罪法案があれば、労働者、勤労者がファシズムや反動戦争に動員され、刈り込まれるのではなく、ブルジョアの反動や国家主義派が政治的に勝利し、彼らの専制支配が打ち立てられるからこそ、憲法も事実上一掃され、ファシズムや反動戦争に労働者、勤労者が駆り立てられ、動員されるのである。
 そんな因果関係を転倒させて〝法律関係〟を絶対化し、現実の階級関係をそれに従属させるのはリベラルやスターリン主義派の悪しき観念論であって、労働者、勤労者にとっての原則的であり、必要なことは階級的立場に立って最後まで闘い抜くことである。 
 安倍一派や反動派の改憲策動や警察専制国家に向けての策動に反対する労働者、勤労者の闘いは、ただ安倍政権を粉砕し、一掃する闘いと結びつけてのみ断固として貫徹されなくてはならないのであって、単に現行憲法を守れといった立場から闘われるのであれば安倍一派に敗北し、ブルジョア専制国家への道を掃き清めることにつながるだけであろう。
           


今度は加計学園問題
安倍は公言した通り首相と議員を辞めよ

         2017年5月20日

 森友学園よりも安倍政権にとって深刻ともいえる、加計学園問題が明るみに出ました。以前からくすぶっていた疑惑ですが、ここに来て、政権側(特区を管轄する内閣府)の発言が暴露され、安倍政権はピンチに陥りつつあります。
 加計学園とは、安倍の「腹心の友」が理事長を務める学園――ご丁寧に昭恵は加計学園の運営する保育園でも名誉園長を務めていすが、まだ辞めていないようです――ですが、 その獣医学部設立に安倍が権力を利用して個人的に便宜を図り、実現したため、森友学園に次ぐ、安倍の権力の私物化という腐敗が偶然のものではなく、安倍政権の本性として深く根を張っていることが暴露されてしまったのです。
 加計学園の例は、森友学園よりはるかに露骨で、はるかに重大であり、安倍政権にとって致命的です、というのは、安倍の意を受けた内閣府が、許認可権を握る文科省に露骨な圧力を加え、許可する意思を持たなかった文科省を屈服させたからです。内閣府は「官邸の最高レベルがいっている」、「総理のご意向だと聞いている」と発言して文科省に圧力をかけ、その決定を左右したのですが、そんな発言をしたという確かな証拠の文書が、文科省に残っていて明るみに出てしまったのです。もはや安倍や政府は森友学園と違って言い逃れるすべは全くありません。
 安倍政権は例によって強気の姿勢を崩さず――それ以外に、安倍政権に対処の仕方が無いからでもあります――、安倍は無関係と言い張っていればやがて沈静すると平静を装っていますが、しかし世の中には「量が質に転化する」という言葉(弁証法の定理の一つ?)もある通り、今や安倍政権の、あるいは安倍個人の政権私物化や腐敗は極限に来て安倍政権を押し流し、一掃する激流に転化しかねない段階に近づきつつあるかです。まさにこれは、アメリカでトランプ政権を一掃しかねない激流が激しくなり、堰を越えようとしているのに対応しています。太平洋を挟んで、国家主義の悪党たちの権力の簒奪と私物化と腐敗、頽廃の競演というわけです。
 菅らは当初、「首相は一切指示していない」、「作成日時や作成部局が明確になっていない」、「誰が書いたか分からない。こんな意味不明なものについて、いちいち政府が答えることはない」と反論しました。  しかし事実を提示され、文書が出てきたのですから反省するかと思いきや、この厚顔無恥の男は「出元も分からない、信憑性がない」と言い、ただ案件を速めるために「関係省庁―ここでは文科省――と折衝し、議論を深めただけだ」とごまかすのがせい一杯です。
 文部省の文書に圧力をかけたとして文書で名前が上がっている悪党たちが国会で弁明を余儀なくされましたが、藤原豊(内閣府地方創生推進事務局審議官という長い肩書きを持つ男)は、そうしたことを仮に行ったとしても、「内閣府として申し上げたことは一切無い」と詭弁を弄しています。つまり単に個人としての、どうでもいい発言だとでもいいたいのでしょうか。しかしそんなごまかしが通用するはずもありません。
 今治市は加計学園に対する、37億円の土地の無償譲渡と校舎の建設などの96億円の補助をすでに決めています。権力を悪用して国民の税金を食い物にするこうしたことは、安倍と安倍の「腹心の友」が結託した、公的なカネの強奪と横領、事実上の刑事犯罪ではないでしょうか。森友学園、加計学園と相次ぐスキャンダルは、まさに安倍による国家権力と公的資金の私物化以外の何ものでなく、安倍とその政権の恐るべき腐敗体質をとことん暴露しています。  安倍はこれまで、「加計学園問題について働きかけていない。働きかけて決めているとあれば、責任を持つ」(3月の参議院予算委員会)と明言しています。森友学園では何とかごまかすことができたとしても、加計学園では決してごまかすことができません、というのは、「官邸の最高レベルの人間が言っている」、「総理のご意向だ」から従い、便宜を図れという、圧力をかけた余りに明白な証拠が出てきてしまったからです。これはもはや「忖度」の問題ではありません。安倍は公言してきた通りに、ただちに責任を取って、首相と国会議員の地位を辞するべきであり、それ以外にすでに彼の選択はあり得ません。身から出た錆です。
           

「退位」特例法、19日にも閣議決定
「国民の総意」と程遠く、安倍の意図だけまかり通る

         2017年5月12日

  明仁天皇の退位を実現する特別法が国会に提出されようとしています。無理に無理を重ね、衆参両院の正副議長のとりまとめによって「国民の総意」という茶番を演出してようやく可能になりました。
 しかし、国会の腐敗政党と腐敗議員たちの「総意」はいえるにしても、「国民の総意」はどこにも存在しませんでした。そもそも明仁の意思も国民多数派の意思も、皇室典範の改定など生前退位の「制度化」であって、安倍政権の思惑による――憲法違反でさえある――ご都合主義的解決ではなかったのです。最初から最後まで安倍の意図だけがまかり通った「特例法」が「国民の総意」であるはずもありません。
 それをいうなら、女性天皇の支持は世論調査では75%もあるのだから、そして女性天皇を認めるなら皇室断絶の恐れも解消するのだから、なぜ国会は迅速に女性天皇を認めないのでしょうか。愛子への広汎な、まさに「国民的」同情があるのですから、民進は「女性宮家」といった回りくどい主張でなく「愛子を天皇に」といった〝国民的〟運動でも始めたら、よほど支持率が上昇したのに。
 そして共産は民進にもまして安倍政権に接近し、自共対決ならぬ自共共闘にふけり、「国民の総意」の見せ掛けのために奮闘したのですから、天皇制が労働者の弾圧や軍国主義や反動戦争に動員に重大な役割を果たすなら――すでに今も果たしている――、そのことに重大な責任を負うしかないのです。
           

安倍は憲法改悪、軍国主義国家建設に乗り出した
全国の闘う意思のある労働者、勤労者、青年の諸君に呼びかける

         2017年5月4日

安倍の改憲策動の展望明らかに
 安倍が5月3日、憲法の日、これまで封印していた、憲法9条改定の意図を公然と表明しました。憲法改悪を2020年、ご丁寧にもオリンピックの年に重ねる、念の入れようです。
 9条の1項と2項は残したまま、3項を新設して自衛隊の存在――これまでの自民党は「国防軍」と言ってきたのですが、安倍はそのまま自衛隊ということのようです――を謳うといった〝構想〟ですが、それ自体矛盾を含んでおり、簡単にそこに収まるのか、違った形になるのかはまだ分かりませんが、自衛隊の合憲化を図って、乾坤一擲を賭して、決定的な攻勢をかけるという意図は明白です。
 しかし憲法上、どうであろうと、現憲法の下で、自衛隊はすでに何の差し障りもなく、日本の資本の勢力とその国家の強大な軍隊として、「戦力」として存在し、海外にさえ常時派遣されているのですから、憲法を変えるも何もありません、安倍政権にとっては、そんな必要は現実的にはほとんどありません。
 安倍政権があえて改憲を謳い、強行しようとするのは、来年2018年9月には自民党総裁としての三選を勝ち取り、その直後の衆院選と翌19年の参院選も勝ち抜き、最低、2020年までの長期政権を可能にすることが第一の目的だからです。
 しかしもちろん、安倍の企みが抵抗なく、そうそう簡単に進むということはありません。そもそも9条1項、2項を残してと、3項で自衛隊を軍隊として公認するといっても、「一切の戦力は保持しない」とか、国家の「交戦権はこれを認めない」という、現行9条の条文と調和させることは恐ろしく困難だから、いやむしろ不可能だからです。
 また維新に媚を売って、高等教育の義務化といってもナンセンスで、むしろ教育の〝改革〟をますますブルジョア的な方向にそらせ、その内容をエリート養成に歪めるだけです。財政的裏付けさえないような、そんなお粗末なものを憲法に盛り込む必要はありません。

民進党、共産党は破綻し、崩壊しつつある
 安倍の挑戦を受けて、民進党も共産党も一層追い詰められ、解体していくしかないでしょう、というのは、憲法違反の自衛隊だから許さない、反対だといった立場は、ブルジョアとその国家の軍国主義化、帝国主義化の前に、すでに破産しているからです。
 憲法を守ることによって、安倍政権と闘うことができるかの、そして日本のブルジョアやその国家の反動化を阻止し得るかの、間違った幻想にふける、日和見主義の自由主義派やプチブル共産党が破産していくのは一つの必然です。労働者、勤労者はそんな自由主義派、市民主義派やプチブルの闘いの限界を超えて行かなくてはならないのです。
 共産党は原則として、ブルジョア国家に固有の自衛権はあり、したがって軍隊も持つべきというような党に堕落しており、労働者、勤労者の国際主義も階級的な立場もすでに投げ捨てているような党、民族主義に骨まで犯されているようなプチブルの党ですから、安倍の挑戦と闘えるはずもありません。
 しかし問題は憲法になくて、現実の資本主義とその国家であり、それが腐敗し、解体し、破綻しつつあるということ、アベノミクスもすでに行き詰まり、むしろその矛盾やマイナス面を露わにしつつあり、資本の勢力もその国家も反動化し、帝国主義化しつつあるということ、そうした現実と実際的に闘わなくてはならないということです。
 そうした労働者、勤労者の原則的な闘いを、ブルジョア憲法、天皇制憲法の擁護といった矮小な課題や闘いにすり替え、置き換えることはできません。問題は憲法を守るか、守らないかといったことでなく――そんな〝闘い〟はプチブル党やリベラルや市民派、学生ら(シールズ等々)に任せておけばいいのです――、現実的に安倍政権と闘い――必要なら、憲法改正、つまり天皇制の廃絶等々を要求して――、それを圧倒し、打倒していくことです。
 今や民進党から逃げ出す党員は、長島や都の議員らを皮切りに雪崩を打ち始めており、安倍の攻勢の前に、共通の綱領さえいまだに持ちえない、この寄せ集め集団は急速に解体しそうな様相です。そして民進党の破産と共に、「唯一の革新」、「自共対決」の路線を放棄してまでして、民進党との「共闘」――解体しつつある民進党への追随、迎合、屈従の路線――にかける志位の新しい路線の破綻も旦夕に迫っています。

  今こそ我ら「労働の解放をめざす労働者党」の旗の下に結集し、 新しい闘いの道を切り開こう!
 安倍は今や、アベノミクス幻想によっては、労働者、勤労者の支持をかき集めることができないと感じています、まさにそれ故に、軍国主義とその幻想――〝自国第一主義〟や国家主義、軍国主義や愛国主義等々――によって、労働者、勤労者をひきつけようと、危険な策動を強めるのです。
 アベノミクスの破産と相まって、労働者、勤労者の生活が悪化し、困難に陥っていくなら、労働者、勤労者の闘いも急速に発展するしかありません。
 安倍の公然たる攻撃と野望と挑発と、それに対する労働者、勤労者の果敢な闘いの3年間が始まろうとしています。世界的にも、トランプの登場に象徴されるように、にわかに状況が流動化し、諸国家間の矛盾や対立も激化し、パワーポリテクスは全盛、政治、経済ともに風雲急です。
 我々がこの4月、新しい政党を組織し、公然たる闘いに参加しようとしていることは、「辛うじて情勢に間に合った」というべきでしょうか。今こそ闘う意思のある労働者、勤労者の出番であり、全力を上げて闘うべき時です。
 こうした世界と日本の現実の中で、新しい「労働の解放をめざす労働者党」とその闘いの意義は明らかで、自民党と我々の「対決」こそが、今後の政治闘争の核心であることが、鮮明に明らかになって行くでしょう。
 全国の闘う意思のある、そして心ある労働者、青年の皆さん、我ら「労働の解放をめざす労働者党」の旗の下に結集し、団結して、新しい、断固たる闘いの道に進もうではありませんか。

矛盾しないか、共産党よ
教育勅語を非難、天皇制は美化

         2017年5月1日

 共産党は、安倍政権が教育勅語を学校教育(道徳科目)の教材として容認したことを取り上げ、「安倍政権の態度は歴史を反省しない政治そのもの」と非難している(赤旗4月7日号)。
 しかし実際に「歴史を反省」しないし、できていないのは共産党ではないのか。
 そもそも天皇制の容認に転じておいて、教育勅語は天皇制のためのもので、「異常な『天皇中心主義』で、国民を戦争に駆り立てた」も何もない。
 天皇中心主義で、「国民の基本的人権を認めず、侵略戦争を推進した『教育勅語』を、道徳教育を含め学校教育の教材にすることを認めた閣議決定や一連の発言の重大性は否定できません」というなら、天皇制を否定してからいうべきであって、天皇制を認めつつ言っても安倍政権にとっては痛くも痒くもない。
 共産党は敗戦後の天皇制はまるで天皇制でないかに、それを擁護し、正当化するが、しかし安倍政権が教育勅語を学校教育の中に持ち込んで、そんなものを国民に、子供たちに押し付けようとすることをどう評価するのか、それ自体は悪くない、昔はよくなかったが、今はいいことだとでもいうのか。
 現在の天皇制もまた天皇制であって他の何物でもないのだが、共産党は、ブルジョアや反動派が、労働者、勤労者にそれを国家的絶対物として押し付け、そんな偽りの権威によって再び国民の全体を専制的に支配しようと企んでいる危険性に無自覚、無頓着である。
 とするなら、安倍政権が天皇と天皇制をも利用し、悪用して国民の全体を愚昧化し、再び奴隷化しようとする策動と闘えるわけがないのである。
 共産党は、教育勅語は「国民の基本的人権を認めない」といっているが、それは天皇を絶対者として認めたことと裏腹であったことを忘れている。天皇が絶対者である社会で、労働者、勤労者の「人権」が軽視され、認められないのは、差別制度の本質ではないのか。  それはブルジョア社会において、資本に全権が認められるからこそ、その反面として、労働者、勤労者の人権が大きく制限され、失われるのと同様である。
 国民の「人権」について語りながら、天皇制を容認するなど矛盾そのもので、この党の深い堕落を暴露する以外の何物でもない。
 赤旗はまた書いている。 「安倍政権が『教育勅語』を道徳などの教材にすることを認めるのは、『戦争する国』づくりを目指す教育の反動化の一環である」
 では聞くが、天皇制を公然と容認し、正当化することは、果たして「『戦争する国』づくりを目指す教育の反動化の一環」でないとでもいうのか、そんなことをしたら、事実上、安倍のやっている策動に応え、支持することであると考えないのか。
 共産党は「天皇中心主義」にことさら「異常な」という形容詞を付け加えている、まるで「異常ではない」天皇制が存在すかに、そして現在の天皇制はまともで、健全な天皇制であるかに、である。
 この愚かな政党は、そもそもまともとか健全といえる天皇制は、この21世紀の時代には存在しないし、し得ないという、健全で、合理的な歴史的思想も感覚も持たないのである。
 今や安倍政権と反動勢力は、生前退位問題をこれ幸とばかり、天皇の正当化と擁護のため一大キャンペーンに転化し、再び三たび、天皇制も利用して帝国主義国家作りに邁進している、まさにそんなとき、天皇制の美化と擁護に転じるような、時代錯誤で、安倍政権に忠勤を励むような〝革新〟政党が存在するのである。

「生前退位」と安倍そして共産党
志位や不破の裏切りに幸徳秋水も多喜二も怒る

         2017年4月25日

 明仁は天皇制の維持と延命のため、生前退位を言い始めたが、安倍は天皇の意図を無視することもできず、といって、天皇の言うがままにやることもできず、自分の支持基盤である軍国主義派、天皇制原理主義者の意図も汲んで、結局は特別法による、明仁のみの退位でお茶を濁した。

 天皇も国民の過半数も望んでいた、憲法と皇室典範の改正による、恒久的な生前退位というやり方に反してである。つまり今回の問題の解決は徹頭徹尾、安倍とその意思によるもので、安倍にまさる皇室蔑視の「不逞の輩」はいない。

 そして共産党は、せめて天皇の意志に沿って合憲的なやり方を主張した民進党を飛び越え、終始一貫、安倍政権を支え、事実上共闘した。

 共産党は戦前、天皇制の打倒を一面的に強調する、戦略的に間違った綱領を掲げ、そのため、天皇制軍国主義の官憲による激しい弾圧を受け、多くの党員を官憲の餌に献上、小林多喜二を始め虐殺された党員もあまたいた。

 そんな歴史も伝統もかなぐり捨て、天皇制を肯定したのみならず、天皇家の憲法違反の政治策動――「公的活動」の美名による「激戦地慰霊」等の、事実上の戦犯一家としての立場も弁(まきま)えぬ破廉恥行為――も容認したのに加え、安倍と固く連合して、天皇制維持のため労を惜しまなかった。

 草葉の陰で幸徳秋水や多喜二らはどんなに怒り、不破や志位の堕落や裏切りに呆れていることか。

安倍と国家主義派全体の権力犯罪だ
森友を巡る巨悪を許してはならない

         2017年4月14日

  森友学園への国有財産不正販売に関する、安倍とその政権に対する疑惑は、安倍らが知らぬ存ぜずで押し通し、財務省も貝のように沈黙し、安倍政権も自民党もカギを握る人物の国会証人喚問を拒否し、司法権力も動かない中で、まるで迷宮入りのような雰囲気で、マスコミがまともに取りあげることもますます少ない。  野党には、国会の審議をボイコットしてでも徹底的に闘うという強い意思も戦略もなく、安倍政権の国会運営に流されるだけである。せめて森友事件の真相が明らかになるまで、国会で〝ストライキ〟を貫徹しようという覇気すらない。  そして籠池いじめが続き、権力側は森友の補助金不正などを摘発し、何とか籠池が悪人であり、ウソを常習とする信用できない人間であり、したがって安倍夫妻について口にすることも、みなでたらめだといった、印象作りに懸命である。  そして安倍を「侮辱した」といって、籠池を証人喚問することに突然賛成しておいて、事件のカギ握る財務官僚などの、真相解明にとって最重要な連中の、国会証人喚問には全く応じようとしない。  安倍政権がどんなに真実が明らかになることを恐れており、真実が明らかになれば、自らが首相はおろか、議員さえ辞めなくてならなくなることを確実に知っているからである。  籠池の罪など安倍の巨悪に比べればゴミみたいなものだが、安倍政権のもとでは、政府と国家ぐるみの巨悪は隠され、まかり通るが、極小悪は厳しく追及され、罰せられるというわけだ。  そもそも籠池の巨悪は、補助金不正といったところにあるのではなく、学校教育で、憲法や教育基本法違反の、露骨な国家主義教育、〝偏向教育〟を行い、教育勅語を子供たちに暗唱させるやら、ヘイトスピーチやら、公教育を否定する合い言葉を叫ばせるやら、安保法などの安倍政治の賛美を合唱させるやら、金王朝にも似た、〝安倍天皇〟への個人崇拝を絶叫させるやら、まさに安倍一派の〝理想〟そのものの教育をやっていたことにこそある(安倍との共謀罪だ!)。  そしてそんな憲法と教育基本法違反そのものの、まさに文字通りの〝偏向教育〟、天皇制国家主義一派の理想の〝偏向教育〟であったからこそ、安倍夫婦や自民党の政治家や財務省の役人たちや、大阪維新の半ファシストのような政治家たち(橋下や松井ら)が、こぞって森友学園を散々に持ち上げ、肩入れし、9億円の国有財産をタダのような値段で、全く不正に払い下げたのではなかったのか。  だから森友学園事件とは、安倍夫妻や安倍政権、自民党の政治家や財務省、そして大阪維新の悪党たちや、国家主義派の全体が共謀して行った、国家的広がりを持つ巨大な権力犯罪であり、それがそのものとして暴かれるなら、安倍政権が吹っ飛ぶような巨悪である。  破産した巨大企業は巨大企業故につぶせないといわれ、また事実国家が乗り出して救済する例がいくらでもあると同様に、安倍政権や国家や、安倍の盟友の維新まで絡んだ権力犯罪は、まさに政権と国家の根底を揺がせ、その崩壊までもたらしかねない恐るべき犯罪であるからこそ、安倍一派は、怯えた亀のように振る舞うしかないのである。  こんな権力犯罪が公然とまかり通り、許されるなら、日本は確実に政治的犯罪者集団の、ファシストばりの連中の支配する、最低最悪の腐敗国家、恐怖国家に転落して行くだろう、否、すでに半分そうなっている。  今こそ、安倍政権を力をためて粉砕し、一掃すべきときである。

野党は、審議拒否で安倍を追いつめよ!
森友問題の鎮静化狙う安倍のペースにのせられるな

         2017年4月9日

 国会では与野党の共謀罪などを巡る議論が続いています。
 重要法案だとかいって、野党は国会でのおしゃべりを正当化しています。しかし安倍政権はそんなえせ〝重要法案〟の議論に隠れて、森友問題の鎮静化を期待し、時間稼ぎをしています。
 野党は、共謀罪は戦前の治安維持法のようなものになる「恐れがある」などといって、国会のおしゃべりを重視していますが、「恐れがある」というなら別に共謀罪に限りません。共謀罪についてなら、安倍政権は、いくらでもそれを正当化する口実を持っていて、そんなことでは安倍政権を追いつめることはできません。
 野党は、本気でも安倍政権の打倒を目指すなら、森友問題と安倍夫妻の関連疑惑がはっきりし、そのかかわりあいや責任が明らかになるまでは、一切の国会審議に応じないとしてがんばり――労働者のゼネストで倒せないなら、せめて野党議員たちのストライキで安倍政権を追い詰めるべきチャンスです――、安倍政権の、ことをうやむやに終わらせようとする策動を粉砕すべきときです。
 何か安倍のペースにはまって、〝熱心に〟国会という狭い世界で安倍政権と議論し〝対決〟して、道が開けるかに幻想する野党の連中は、本気で安倍政権を倒す意思も決意もないというしかありません。
 今こそ我々が新しい、闘う政党として登場し、安倍政権打倒の先頭に立つべき時です。

教育勅語の教材使用を閣議決定
安倍一派や分科省は〝道徳〟について語る資格なし

         2017年4月4日

 森友学園において日常的に幼児に教育勅語を暗唱させていることが明るみに出て、そんな森友学園や籠池を人間のカスみたいにぼろクソに非難し、安倍を「侮辱した」から告訴すると息巻く安倍政権が、「教育勅語を教材で使用することを認める」という閣議決定を行った。
 まるで森友学園が彼らの理想の学校であり、理想の教育を行っていると言わんばかりである。実際、安倍一派や国家主義の連中は、天皇制軍国主義流の教育や、安倍を敬愛する教育に熱心な森友学園を散々に持ち上げ、美化し、チヤホヤとおだて上げ、学校建設のための国有地を8億円(ゴミ撤去費用と言うことも含めれば9億円を越える)もの不当な値引きをして事実上200万円で払い下げるといった悪事に走ったのではないのか。文科省も安倍の意を受けて、道徳教育を正式の教科に格上げし、天皇制国家主義の〝道徳〟を子供たちに〝詰め込む〟ために狂奔し、そんなものを道徳だと言いはやすのだが、自分たちはいわば〝省ぐるみ〟で、つまりトップ官僚が先頭に立って法律に反したことをいくらでも、半ば公然とやっていながら――天下り最終報告によれば、何と62件もの高級官僚の不法な天下りが露見した――、何が国民や児童生徒への「道徳」のお説教か、押しつけか、あるいはむしろ強要か。
 子どもは「親の背を見て育つ」というなら、生徒も国民も首相や政治家や国家の官僚の「背を見て育つ」か、それを反面教師にして生きるかどうかは知らないが、とにかく影響を受けるだろうから、まず彼らこそが〝道徳〟の化身とでもならなくては、教育も何もないのである。安倍らの国家主義の政治家や文科省が教育についてえらそうに語ったり、まして教育行政にたずさわったりすることは直ちにやめさせるしかない、というのは、森友学園のような学校をはびこらせたり、国民の先頭に立って法律違反を平気でやったり、教科書の「パン屋」を「和菓子屋」に書き換えさせるような、愚劣な〝国粋主義〟の偏向教育に狂奔するような文科省の――文科省の官僚ばかりではなく、財務省も、その他の省の高級官僚も腐敗の程度では似たようなものだが――役人たちは、青少年少女の手本としては余りに相応しくないから、教育について語る資格もないような最低の人種だからである。
 安倍政権とその〝教育行政〟こそが、まともで、正常な教育を崩壊させ、破壊しつつあると言って決して言いすぎではない。森友学園のひどい教育こそ、安倍一派や国家主義派の言いはやしてきた教育、理想の教育だというなら、今や偏った、歪んだ教育――1945年まで、日本で行われてきたような正真正銘の〝偏向教育〟――を国民に、児童生徒に強要しようとしてといる連中が誰であるかは余りに明瞭に暴露されてしまったのである。
 安倍や安倍一派の政治家たちは、教育勅語にも親には孝行とか、兄弟仲よくとか正しい道徳があるというが、そんなことは教育勅語など引かなくても一般的にはみな知っていることであって、教育勅語の特徴は、それを天皇の強要する道徳として述べられていると言うこと、そしてその真意は天皇への帰依を強いると言うこと、「一旦ことあれば」天皇とその国家のために命を投げ出すのが最高の〝道徳〟だということであった。こんな〝道徳〟のために、かつて天皇制軍国主義勢力のやった「15年戦争」によって、日本人だけで何百万の国民が死ななくてはならなかったし、またその何倍ものアジアを中心とした民衆が命を落とし、国土を犯され、荒廃させられたのである。
 言葉として、兄弟仲よくという〝道徳〟が、その中に言葉としてある、そしてこの〝道徳〟は普遍的なものだというなら、道徳の教材として、どんなものを持ってきても――ありとあらゆる宗教や儒教や、その他諸々――〝道徳〟の教材にいくらでもなり得るのであって、ここで教育勅語がでしゃばる理由は――天皇制国家主義の復活を願い、そのために現憲法の天皇制を利用しようとする安倍一派等々の反動や時代錯誤の愚か者を除いて――何もいないであろう。
 ついで言っておけば、安倍政権が今、天皇制の悪用をこんな形で強行しようとしているとき、天皇制問題(生前退位問題)で安倍政権と100%、いそいそと共闘し、安倍政権を助けながら、現行の象徴天皇制は天皇制ではなく、何の危険性も有害性もない――かえって国民統合のために必要であり、有益だ?――などと考えている、おめでたい共産党の反動ぶりと愚昧さに呆れるばかりである。森友学園で安倍政権を追及することさえできないのか、自ら実践的に矛盾しないのか。

安倍よ、発言通り首相も議員も辞めよ!
森友学園犯罪の口利き役は、安倍夫妻だった

         2017年3月24日

 3月23日、衆参議院で籠池の証人尋問が行われ、森友学園事件――10億近い国有地がタダみたいな価格で払い下げられた事件――の黒幕が、「口利き」をした張本人が誰であるかという真実の根底が浮かび上がってきた。
 国家権力(財務省)を動かし、大阪維新の会にまで影響力を及ぼせる政治家もしくは人物はよほどの大きな権力を有する人間であり、安倍か、それに近い政治家だということは推測できたが、籠池の暴露によって、それが安倍夫妻であることが明瞭に明らかになってしまった。
 安倍は妻であって、自分は関係ないと言い逃れることはもはやできない、というのは、森友学園問題では夫婦一体であったことは余りに明らかであり――今さら、無関係であったなどと白を切っても、世の中は通らない――、また安倍はことの最初から、「私であれ、妻であれ、森友学園問題に関係していたら、影響を及ぼしていたことがあれば、首相はおろか、国会議員を辞める」と明言していたからである。
 今や安倍は口利きと国民恫喝の責任を取り、ただちに首相と国会議員を辞職すべきである、さもなければ、今後安倍政権がどれだけ続こうと、今後労働者、勤労者は安倍政権を犯罪者政権としか見なさないからであり、安倍政権は死に体政権になるしかないからである。
 籠池ではないが、森友学園を散々に美化し、持ち上げ――教育の理想が行われている学校であり、公立学校はゴミであるかに言いはやし、10億の国有地を200万で売却するなど、途方もない便宜を図りながら――、自らの悪事がバレそうになるや、手の平を返したように、トカゲの尻尾切りに走った安倍一派や橋下一派の醜悪さと根性悪は余りに明らかで(その程度は、かつての天皇制軍部ファシストら(安倍の祖父等)と同様である、あるいはむしろ彼等をして顔色なからしめるほどである)。
 今こそ力を込めて、権力犯罪者集団と化した安倍政権を粉砕し、一掃しよう。

〝黒幕〟は安倍政権そのもの
法違反と不正と虚偽のオンパレード森友学園

         2017年3月14日

  森友学園の経営についての追及がますます急で、いくらでも公金横領や詐欺や補助金の略取や、等々どれだけの腐敗が出てくるか分からないような状況になっています。幼稚園の内容も、3才から天皇制国家主義の教育という、安倍政権の理想そのままに、あきれはてたものが暴露されています。
 それでもなお、安倍政権と自民党はそんな今さらのように、経営者の籠池は教育者の名に値しないとか、森友学園の教育は教育ではないとか云いはやしています。これまで、散々に森友学園でやられていた〝教育〟なるものを美化し、持てはやし、チヤホヤしていたかを忘れたかに、です。
 実際、教員たちが森友学園がやっていたことの千分の一でも、国家主義教員の反抗するようなこと――たとえば国歌国旗に敬意を払わなかったような〝些細な〟行為――をしただけでも教員に襲いかかり、処分し、首を切るというのに、あるいは学校で、文科省の指示に背くような教育の気配さえも示しただけで目の色を変えて弾圧するというのに、森友学園が公立学校を誹謗しても、安倍夫妻は一言も文句も云わなかったのです、それどころか、安倍個人を褒め称えるような露骨な歌さえも――北朝鮮の金王朝の世界かと見間違えるような――歌わせて悦に入っていたのです。
  安倍の理想に明瞭に反対するような私学校がどこかにあれば、籠池の100分の1の悪事や、安倍政権に批判的で、国家主義を貶めるような教育をしたら、たちまち強大な力で襲いかかり、粉砕するにやぶさかでないのに、籠池の学校や教育の方は特別扱いし、見て見ぬ振りをし、数々の悪事や犯罪を非難し、一掃するために、まさに〝指一本〟動かそうとしていないだけでなく、まるで知らないかに、見ないかに振る舞うのですから、自分と無関係であると偽るだけですから、そして自ら進んでそうした異常な事態を明らかにし、正し、一掃しようとしないのですから、森友学園と籠池の底知れない犯罪と悪事を正当化し、擁護しているのと同様です。安倍政権は今や、森友学園の不正と犯罪を共有し、一蓮托生の立場に陥ったと結論するしかなく、この政権は労働者、勤労者にとって、明白に打倒の対象として現れました。
 安倍政権の国家主義政治と腐敗権力の全体が、森友学園のスキャンダルとして、森友学園を巡る疑獄として、腐敗、不正として現れているのですから、安倍政権とその反動と腐敗と国家主義の政治を否定することなくして、森友学園を否定することができないのです。安倍政権とその政治が森友学園といった、奇っ怪で醜悪なお化けを生み出したのであって、安倍政権は自らを否定することなくして、森友学園を否定できないのです。森友学園は安倍政権とその権力主義や天皇制国家主義、「日本第一主義」等々の生み出した象徴であり、そのおぞましさの集大成です。
 籠池は、森友学園の天皇制国家主義という根本理念を擁護し、「偏向したことを皆さん(国民の全員、労働者、勤労者)が考えすぎるから、日本社会はだんだんおかしくなってくる」と叫ぶのですが、彼に取っては教育勅語に代表されるような天皇制軍国主義国家こそが、1945年までの天皇制ファシズムの時代と社会こそがまともであり、戦後の社会こそが「偏向」していると信じ込んでいるのです。もちろんこうした観念は安倍一派のものでもあり、だからこそ安倍政権と国家権力は森友学園に至れり尽くせりの〝ご配慮〟〝ご高慮〟を払ってきたのです。
  そして安倍政権は今や豹変して、そんな森友学園や籠池を突き放しつつも、切り捨てることができず、国会招致に反対し、事実上かばい、擁護さえしています。森友学園のありとあらゆる犯罪を覆い隠し、事実上擁護し、他方では、籠池の国会招致もできず、さらには籠池や下級の役人や政治家等々の「トカゲの尻尾切り」も簡単ではなく(何を暴露されるか分からないと、安倍政権は今や戦々恐々の呈です)、安倍政権はますます追い込まれつつあります。
 安倍政権をこれ以上傷つけず、守るために、そうせざるを得ないのでしょうが、しかしそんな態度をとり続ければ続けるほど、労働者、勤労者はますます安倍政権に愛想を尽かすだけですから、安倍政権もジレンマに陥り、進退窮まりつつあると云うしかありません。国が、一たん売った国有地を買い戻すと云った、姑息なやり方で事件のもみ消しを、終息を図ろうとし始めていますが、そんな策動を許してはなりません。今こそ、さらに安倍政権を追い詰め、打倒するまで批判と闘いを前進させていくのみです。
  そして維新の会も、何とか自らの関わりを否定しようと、安倍と共に事件の終に躍起になっていますが、そんなことも許してはなりません。

共産党、特例法に柔軟姿勢
“すじ論”放棄し、自民に協力・屈服

         2017年3月8日

 共産党が、天皇の生前退位の問題で、大急ぎで政府自民党との妥協に走り、安倍政権の策動に手を貸しています。問題は小さいことであっても、その意味は小さくありません。
 先週末のマスコミ報道に、共産党の〝軟化〟で、野党側の戦線が乱れているというちょっとした報道がありましたが、その内容は、共産党の小池が政府の提案に「一定の理解」を示して、「形式がいかなるものであっても、憲法の規定に適合している限りは先例になっていく。自民党もそういった趣旨のことを発言している」という立場に立ったということでのようです(日経新聞7日号)。
 自民党のごまかしの路線を暴露するのではなく、それを助けるような発言をするなどもっての他で、犯罪的です。皇室典範の改正という〝正道〟を嫌い、現行の天皇制のわずかの後退や改良が天皇制そのものの否定に行き着かないかと恐れる自民党の反動派との闘いを放棄し、安倍政権を追い詰める意思さえもなくしている、共産党の現在のなさけない日和見主義を暴露して余りあります。この党の裏切りはますます明らかです。
 動揺する民進党をいくらかでも闘う方向に押しやるならまだしも、民進党の動揺を助けるような立場で、野党共闘を導くとするなら、そんな野党共闘がどんなものになるのかは推して知るべしです。まるで1930年代のフランスやスペインの人民戦線の経験の再現、デジャ・ヴのようなものです。 

腐敗と疑惑隠蔽の安倍政権を打倒しよう!
森友学園の疑惑で政治家の関与明らかに

         2017年3月3日

  森友学園への国有地の払い下げ問題は次々に新たな事実が暴露されている。  政府と財務省は「政治家の関与はない」と主張してきたが、3月1日自民党の参院議員で麻生財務大臣の側近である鴻池が、森友学園の籠池理事長から、口利きの依頼があったことを暴露した。
 鴻池は、籠池夫妻が14年4月に参議院の議員会館を訪れ、カネの入った包みを差し出したが、つき返した、以後「出入り禁止」を申し渡したと弁明した。「政治家の関与はない」と言明していた安倍や財務省の説明は完全に崩壊したのであり、このことだけで安倍は政権に居続ける資格はない。
 もちろん、鴻池の口利きが14年4月で終わったわけでないのは、鴻池事務所の「陳情整理報告書」で明らかになった。その後も、兵庫県の鴻池事務所は、財務省や近畿財務局への仲介を何度もしていたことが暴露されている。
 13年以来、この国有地を森友学園が購入するか借り受けるかという契約の形態、借入額が当初の4000万円から2700万円に値引きされた契約額、大阪府の許可が先か借入契約が先かの契約の条件問題など、籠池側の要求が次々に実現していったことを見れば、政治的な仲介、口利きがあったことをうかがわせるに十分である。
 「陳情整理報告書」には、「上から政治力で早く結論が得られるようににお願いしたい」と露骨に政治介入を求める籠池の要求も記されていた。
 「陳情整理報告書」は、15年3月の「自分たちは不動産屋ではない」という怒りの記述で終わっているが、その後評価額9億5千万円の土地がゴミ撤去を理由に1億3千万円に引き下げられたことを見れば、鴻池以外の政治家の介入があったのではないかと疑惑は深まるばかりである。  当初から政府は、政治家の介入はない、払い下げは適正に処理された、(ただし記録は処分してなくなった)と疑惑隠しの答弁を続けてきたが、今もって安倍は真相究明どころか疑惑を覆い隠し、籠池らの国会での参考人招致にも消極的な態度をとり続けている。
 自民が態度を保留していることについて、同党国対幹部は、「(籠池氏は)何を言い出すかわからない。首相官邸が呼びたくないといっている」(朝日3月3日)と述べている。  要するに安倍が、籠池の参考人招致を嫌がっているからだ。国有地払い下げの疑惑を追及されることと並んで、森友学園との親しい関係(明恵夫人は名誉学園長、安倍自身もその籠池の教育への情熱は素晴らしいと賛美してきた)をほじくり返されるのを恐れているからである。
 そして、会計検査院という第3者機関が、払い下げ額が適正であったかどうかを審査すれば十分だ、とうそぶくばかりである。安倍には、国有財産が不当に処分されたこと(10憶の国有地がわずか200万円、ただ同然で払い下げられた)を究明しようとする姿勢は皆無である。事実上の腐敗隠し、犯罪隠し、隠蔽工作である。
 もはや労働者、勤労者、国民は誰も安倍政権のこんなごまかし答弁を信用しない。直ちに打倒に立ち上げるべきだ。  民進党や共産党は、安倍政権打倒の抗議行動(デモや集会など)を提起すべきだ。安保法の時には、抽象的な平和のおしゃべりで、国会前での抗議行動を呼び掛けたことを自慢していたが、安倍政権の腐敗と隠ぺい工作が明らかになる現在、行動を提起しないことは、政党の存在意義を問われるであろう。
 腐敗と疑惑を隠ぺいし、真相究明を妨害するばかりの安倍政権を打倒しよう!        

安倍夫妻による10億円国有財産の200万円払い下げスキャンダル 
安倍の腐敗と反動の腐敗と反動の政治が暴露されている、今こそ、労働者、勤労者、若者は立ち上がるべき時ではないのか

         2017年2月27日

 大阪府下の私立の「森友学園」が小学校開設を目的として、10億円にもなろうとする国有地をたった200万円で取得したが、この学園、安倍夫妻が“深く”関係する学園であり、こんなベラボー払い下げに、安倍夫妻が関係していることが暴露されている。
 権力を悪用して国有地を取得する犯罪、悪徳の支配した国有地払い下げの歴史は明治時代の初めからいくらでもあって珍しいものではないとしても、今回ほどに、阿漕な商売に手を染め、口利きを図ったような悪徳政治家は多くはないと言うべきであろう。かつての三井財閥や、安倍の同郷である維新の英雄政治家も顔色なしである。
 安倍夫妻は、今さらのように、何回も協力を断ったのに、勝手にやられたとか、政治家の関与なしに、国有地のこんな払い下げは不可能であると言われると、私は関係ない、誰かがやったかもしれないが、私は知らないし、名前を言えない、言えるわけはないと国会で開き直ったが、語るに落ちるとはこのことだ。名前は言えないというなら、その名前を知っているということも自ら認めるに等しい。自分に関係ないというなら、その知っている政治家の名をちゃんと言って、自らの罪が冤罪であることを証明すればいいのであって、そんな政治家の名もいえず、かばうとするなら、安倍が自分の罪を認めているも同然である。
 これは田中角栄の金権腐敗と大差のない事件であって、角栄が罪を問われて政権を棒に振ったというなら、安倍の罪はそれにもまさるとも劣らない。角栄よりも、余りに単純で、余りに明白な事実であって、そんな犯罪は疑うことができないからである。愚かな、菅が、「これは安倍政権の命運にかかわるようなことではない」と宣言したからといって、そうなる類の、簡単で、どうでもいい問題ではない。一国の首相が、やっていい犯罪でないのは余りにはっきりしている。安倍は単なる一人の政治家でなく、日本の首相であって、首相のこんな悪徳政治がまかり通るなら、日本国はもはや救いがなく、道義も正義も地に落ち、悪だけがはびこり、国家は破綻し、没落するしかないからである、すでにそうなりかかっているということである。
 そして呆れたことに、野党――民進党や共産党――や市民派は、こんな途方もない安倍の悪徳政治が露見しているのに、デモ一つ組織しようとしない、労働者、勤労者の怒りを組織して、原発の時や、彼らが「戦争法」と呼んだ安保法の時のような国会に押しかける闘い一つさえ呼びかけようとも、組織しようとしてといない。おかしいではないのか。今こそ、安倍政権を打倒する絶好の機会だというのに、である。まるで安倍政権が続いても、労働者、勤労者にとって何の禍(わざわい)もないかである、国家主義、軍国主義の国家作りがどんどん進んでもいいかに、である。
 共産党らは一体何を考えているのか。安保法の時には、安倍はいくらでも、それを正当化する理屈を持っていた。日本のための法案である、日本の安全ための法案である、等々。しかし国有地売却に関する不正で、安倍は、虚偽発言を繰り返し、事実を隠蔽し、強がりを言う以外、どんな自らを正当化し、弁護する口実もないのである、それなのに、まるで共産党や民進党は、市民派は、安倍政権を粉砕し、一掃する意思も意図もないかに、闘う気迫もなく、そんな絶好の機会がやってきているに鈍感や無気力を決め込み、日和見主義的に振る舞っている。労働者、勤労者に対する裏切り以外ではない。
 原発や安保法の問題も、すべての国民に関係する、人道的な問題と考え、真剣な政治的な対決と闘いの問題と考えてこなかった、そして抽象的な平和願望とか、核エネルギーの恐怖とかいった形でしか問題を立て、評価してこなかった、共産党や市民派の無力といい加減さと破産を暴露して余りある、そんな立場では平和さえ――どんな平和か、資本の奴隷の平和ではないかは問わないとしても――守ることさえできないことを、彼らは知らないのである。
 そしてこの問題には、橋下の維新の党が深く絡みあっており、安倍政権と橋本の腹黒い共闘の一つの契機にさえなっていることも明らかにしておかなくてはならない。維新の党は、こんなえげつない形で安倍に便宜を図ることによっても、安倍に取り入るのである、取り入りたいのである、恩を売りたいのである。橋本の下劣で、小才が利くだけの政治的根性と野心を語って余すところがない。
 まさに安倍政権の醜悪さと反動性を特徴的かつ典型的に暴露する、安倍政権の、安倍夫婦のスキャンダルであり、安倍政権粉砕の絶好の時である。労働者、勤労者は、若者は、今こそ立ち上がるべき時ではないのか。            

“すり込み教育”は結局無力
3歳の幼児に国旗・国歌だって

         2017年2月21日

  政府は、3才の幼児から、国歌を教えると言い始めた。親しむだけのことだと言いつくろうが、判断力も思考力もない、幼児にまで国家主義を「叩き込もう」という根性――かつて安倍一派のろくでなしの中には、「教育とは叩き込むことだ」と叫んだ者もいた――は卑しく、愚劣であり、彼らの偏狭さに加えて、自分たちの〝信念〟に対する、自信の欠如や焦りを教えている。
 彼らはかつて、慰安婦問題つまり日本の天皇制軍国主義の野蛮さや狂暴さや卑しさを象徴した、植民地朝鮮の若い女性を軍隊の性奴隷として動員した問題について、そんな性に関することを中学生の教科書に載せることは、子どもの成長からいって良くないなどと叫んだが、3才の幼児に童謡でなく意味不明の国歌を押し付けることは、幼児の成長段階に立派に合致しているとでもいうのか。
 余りに品がなく、かつての天皇制軍部ファシストにも劣らない、彼らの精神的、道徳的頽廃を暴露して余りある。彼らはそんなことをして、国家主義者で満ち満ちた国民を生みだし得ると妄想するのだが、労働者は15年戦争を経験した結果、青少年期に「叩き込まれた」国家主義や天皇制ファシズムの悪夢から覚めたのだ。
 筆者の個人的経験を語れば、7才まで日常的に「叩き込まれた」天皇制軍国主義は、敗戦と共に一切洗い流され、ありがたいことに、ほんのわずかな痕跡も残らなかった。(鵬)            


ムッソリーニとイタリアの運命を想起せよ
トランプと会っていい気になっている安倍よ

         2017年2月10日

  安倍とトランプの会談が持たれようとしています。客観的に、それがアメリカの帝国主義的ブルジョア勢力と、それに同盟しつつ、ますます反動的で、帝国主義的本性をあらわにしつつあるある日本のブルジョア勢力の同盟を一層強固にするものであり、またそうしたものしかならないのは明らかです。トランプは選挙中の、日本に対する貿易保護主義や為替操作に対する非難を控え、両者が世界における、もう一方の帝国主義国家として台頭しつつある中国などに対する共同利益と闘いで一致する点を強調することもまた自明です。
 しかしトランプはただ安倍の日本を、同盟国として、ただトランプに追随し、従属する限りで認めるにすぎず、トランプが選挙中に強調した日本批判に、安倍や麻生が公然と、明白に異議や反論を差し挟むことは許容しないし、また安倍がそんなことは言い出さない限りでのことでしかありません。あくまで、安倍が大げさで、内容空疎な〝貢ぎ物〟を持参する限りのことでしかないのです(安倍の言う、「日本ファースト」の原則に背いてまでして)。日本の安倍一派や反動等が言いはやしているような、「トランプの誤解や認識不足、間違いをきちんと指摘し、説明し、自覚させよ」などということは、間違ってもあり得ないでしょう。
 つまり安倍の熱望する日米同盟は、彼らにとって、屈辱的で、従属的な同盟としてしかあり得ないのです。それはこれまでも明らかでしたが、「日本ファースト」のことしか頭にない安倍一派は、思い上がり、自分の実力も反省できず、何か対等で、否、日本が指導権さえ持ち、トランプをひっぱって行き得る、日米同盟があり得るかの幻想に浸ってきたのですが、そんなことは、実際には、オバマのアメリカにおいてさえなかったのです(彼らはオバマの自由主義的立場を誤解し、それをアメリカの弱さや無力の証しだと勘違いしたのですが、そんな幻想や軽薄なうぬぼれは、強腰で〝マッチョの〟トランプの登場によってたちまち雲散霧消し、彼らは今ではトランプに大急ぎで迎合し、屈従し、トランプの〝たいこ〟として生き延びようとするだけです)。
 近代の歴史の中で似たような例を探すなら、典型的なものとして、1930年代から1944年までの、ヒトラーのドイツと、ムッソリーニのイタリアの関係があります。しかしトランプに取り入っていい気になっている安倍は、ヒトラーのドイツの無力で、みじめで、あわれな従属国であったイタリアと、そして何よりもムッソリーニ個人の運命が、どこに行き着いたかでも反省してみたらいかがでしょうか。


天皇の生前退位問題
国会のなれ合い決着反対、国民的議論で決めよ

         2017年1月23日

  天皇の生前退位の問題は今国会の一つの焦点だが、奇妙なことに、政府と与野党は――共産党まで含めてだ――、「静謐な環境」で、静かな議論をするべきだ、「政争の手段にすべきではない」と声を揃えている。
 安倍は生前退位を「特別法」でやると決めて以降、政府の結論を必ず出すような有識者会議をでっち上げ、そんな私的な会議の結論を利用して、政権の考える方向に誘導しようとしている、つまり〝静謐に〟、天皇の意思を深く忖度してやれと言うのは、国民に隠れた政党間の闇取引で、安倍政権のやり方を押し付けようということにすぎない。
 しかし必要なことは、落ち着いていようが熱してこようが、真剣に、真実に基づいて議論することである。
 生前退位問題の解決は3つである。一つは天皇制原理主義者の連中が固執するもので、憲法と皇室典範が規定するように、生前退位は認めないということ、つまり明仁の意思は無視されるべきだと言うことである。彼らは、明仁の言動は、天皇の政治的言動を禁じている憲法の違反であるとさえ主張している。 2番目は、皇室典範を改正するという、野党やリベラル・マスコミが主張しているもので、世論調査では、この支持が最も多い(しかし世論なるものは支配的勢力や資本の勢力やリベラルなど、権力やカネやマスコミを握っている連中によって、しばしば好き勝手に〝操作〟されるのである)。
 そして最後に安倍政権の「特別法」で便宜的に処理するという案だが、それは単に安倍政権の都合の問題であって、どんな原則もないことを特徴としている、つまり時の支配勢力や政府によって、いくらでも悪用できるやり方である。
 そもそも天皇の発言を受けて動き出した政争だが、天皇に自分の生前退位を口にすること――憲法違反――が許されていいのかという、原則的な問いさえタブーになっていて、天皇の意思を尊重せよという無節操な連中ばかりである。
 とするなら、どんな政争にもならないで、皇室典範の改定で済むだけのことだが、しかし安倍政権が、一方で党内の原理的天皇制派の顔を立てようとし、他方で、国民の意思に迎合しようとし、ご都合主義的に対応しようとしたため、安倍政権にとって〝厄介な〟政治闘争の一つになったのである。
 安倍政権や反動は天皇制に関する、いくらかでも真剣な、その根源に至るような議論を恐れざるを得ない、というのは、それが不可避的に天皇制の存在は歴史的、現実的に合理的なのか、そもそも天皇制は「国民主権」という憲法の根本概念に反し、矛盾する存在ではないのか、さらには敗戦後米国占領軍によって曖昧にされ、タブーとされた天皇の「戦争責任」はどうなのか、天皇制に不可避な、その政治利用の問題はどうなるのか(今回の安倍政権の策動は、まさに天皇制の政治利用ではないのか)、という決定的に重要な問題に突き当たるからである。
  天皇制原理主義者はいざ知らず、政府も、与野党も(もちろん天皇制を認めて、ますます彼らのいう「民主革命」の概念を迷路に導くとんまな共産党も含めて)、マスコミも、天皇の生前退位の要求は正当である、というのは天皇もまた人間であり、その最低の人権は保障されなければならないと、もっともらしく論じているが、しかし彼らは、天皇が人間であり、人権などが認められ、人道的に扱われるべきというなら、天皇は天皇であってはならないという、根本的で、まさに〝人道的な〟反省を欠いている。            

 


                    


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