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    《会則・移行にあたって》
   ●同志会会則
  
   ●社労党からマルクス主義同志会へ――新しい地点から闘いを再構築
  

  【同志会会則】   

  1. 労働者階級の立場を擁護し、その基本的利益と究極的解放のために、資本の支配に反対して実践的、組織的に闘う意思のある者は会員となることができる。

  2. 会は代表委員会と、それに直接結び付く支部をもって構成される。支部は三人から十人ほどの会員によって構成される。二人以下の会員は、支部準備会を組織することができる。 全ての組織に責任者を置く。
  3. 各支部は、原則として週に一回、会議を開き、また学習会を組織し、会の影響力の拡大と会員の獲得のために積極的に活動する。中央の責任において、より広範な学習会、研究会 (全国的なセミナー等を含む)を組織する。

  4. 会は、機関紙誌を発行し、また活発な出版活動を行い、積極的に政治的、思想的に発言し、啓蒙・宣伝に努める。

  5. 会は労働者党の再建を目指し、不正選挙制度を告発するとともに、労働者政党の国政への参加を勝ちとるために積極的に活動する。

  6. 大会を少なくとも二年に一回開催し、会の運営や方針について検討し、代表委員を選出する。次回大会の持ち方は大会で確認するが、特別の場合は代表委員会が決め、大会で事後承認を得る。

  7. 会は、綱領、規約は持たないが、旧社労党の綱領を“参考資料”として保持する。

  8. 会員は会の中で自由に発言し、自らの見解を表明することができる。会員の承認、処分、除籍などは、支部が基本的に行うが、そこで解決しないときには、代表委員会、さらには大会において検討、処理する。

  9. 会費は収入の3%とする。

2002年11月3日
2014年9月7日一部改正
2016年5月29日一部改正


社労党からマルクス主義同志会へ
新しい地点から闘いを再構築――中央委、都道府県委を解消

『海つばめ』第893号、2002年11月10日

 我々は十一月二、三日の両日にわたって開催された大会において、社労党を解消して、新しい組織、そして新しい闘いに移っていくことを決定した。すなわち我々はこの十年間の活動を総括し、政党として闘って来ることができなかったこと、そして我々の希望もしくは願望に反して、近い将来、政党として闘いうる主体的な――そしてまた客観的な――条件がないことを確認し、革命的、マルクス主義的なサークル(「マルクス主義同志会」)としての闘いに移行することにしたのである。これは確かに、一九七〇年代、八〇年代、我々が労働者の階級的、革命的前衛として登場し、全労働者階級に公然と訴え、政府自民党とプチブル党派を暴露して、活発に選挙闘争などを闘ったことからすれば、「一歩前進、二歩後退」である、しかし我々はこの転換が必要であることで意思を一致させたのである。

 出席した数十人の全代議員には、社労党が現在、政党として存在しておらず、また機能してもいないこと、我々は確かに機関紙誌やビラなどを通して我々の政治的な立場を明らかにし、資本の政府や反動や日和見主義的党派を暴露して闘っているが、しかしそうした活動も、“政治的発言”という限界の中にあること、そしてそれは政治的な闘いの一環であっても従属的な一部であって、実際的な意味での政治的闘いとは違うということ、等が確認された。

 したがって問題は、党を解消して別の形での闘いを継続するか、それとも、今は党といえず、実質的に党でなくても、近い将来、党に成長するのを前提し、それを目指し、期待して、現在のままで闘いを継続するか、という形で立てられたのである。

 これは困難な問題で、簡単に回答が出ることではなかったとも言える。多くの同志が、党としての闘いの継続を望んだのも当然のことであった。社労党としてのこれまでの積み重ねた闘いがあり、伝統があり、その名称が一定程度浸透しているなら、なおさらのことであった。

 しかし我々は、党の実態を欠き、党としての闘いを「構築」できない状態で、党を名乗るのは労働者階級に対する責任を果たすとは言えないという結論に達したのである。また、党でもないのに、党としての活動を考えたり、党として機能しようとすることは、我々の闘いに一定のゆがみというか、ある種の退廃を生んでいく可能性、あるいは必然性も指摘された(それはすでに、可能性の問題ではなく、現実の問題でもあった)。

 大会の中では、我々の方に結集してきた青年が、我々の実態が党ではないことに失望して去って行ったことも報告されたが、この報告を行った代議員は、多くの労働者、青年に実態ではないものを見せ掛けることは正しくない、労働者に本当の責任を果たすゆえんではない、と主張したのであった。我々はいかなる場合も、労働者にとって真実を語らなくてはならず、またありのままの存在、真実の存在でなくてはならない、というのであった。

 労働者階級に責任をもつ党派である以上、我々は、真実をもって労働者階級の前に現れるべきであるし、またそれこそが労働者階級に信頼され、労働者階級と結び付いていく道であろう。我々は、別に虚栄や見栄に走る必要はないのである。

 もちろん、我々はいつの日か、労働者の革命的政党が再び組織され、果敢な闘いを展開することを信じており、また我々もその過程で、一定の重要な役割を演じることを期待する。しかしそれがいつかを今言うことができる段階にはない、というのが我々の現状に対する認識であった。

 我々の新しい運動のイメージとして、「マルクス主義的“原理運動”」という観念が提出され、それをめぐって是非の議論がなされたのは特徴的であった。

 このイメージを擁護した代議員は、新しい転換とは、我々がマルクス主義と階級的立場の原点に戻って闘いを継続し、推し進めて行くということだから、このイメージは正当である、と主張したが、この概念を退けた代議員は、これは宗教的な運動のイメージを与え、狭隘な活動の印象が強く、労働者を遠ざけると批判したのであった。

 しかし“原理運動”と言えば宗教的、反動的と一概に言えない(例えば、イギリスのピューリタン革命の時代――発言者は「名誉革命」と言ったが間違い――のクロムウェルの運動もそう呼ばれたし、市場原理主義というのもある等々)、原点に基づく運動ということで、別に問題はない、むしろある意味で、我々の新しい闘いの特徴を表現している、という見解が大勢を占めた。

 もちろん我々がこうした立場に移行するのは、根本的に言えば、「二歩後退」であるということを、深く自覚した上でのことである。我々は労働者の革命政党の果敢で深刻な闘い、労働者の支配を目指す政治的な闘いこそが第一義的であり、必要であるということを皆確認している、しかし現在、その客観的、主体的な条件を見出すことができないということなのだ。我々はやむを得ず後退するのであって、それは我々が好きこのんでやることではないのである。

 我々は一部の左翼のように、絶望してテロリズム路線に走ることはできないし――これもまた、確かに権力を目指す、一種の政治闘争ではあるが――、また闘争を止める意思もないのである。とするなら、「二歩後退し」、原点に戻って闘いを再構築する以外ないのである。

 まさに再構築である。我々はより根源的な地点から闘いを再構築しようと意図するのであって、新左翼などのように、マルクス主義を捨てるなどといって、自らの裏切りと敵陣営への身売りを隠しつつ、浮かれている連中とは何の共通点もない(最近、ブントの荒岱介は、広松哲学を「媒介に」して、マルクス主義を“克服”したと公然と宣言し、鼻高々である。他のブント系の評者は、これに対し、“徹底した”マルクス主義者であった広松渉を媒介にしてマルクス主義を“乗り越えた”というのは皮肉だとか、無意味な論評しているが、まさに何重かの意味での茶番であり、お笑いである。『SENKI』十一月五日号)。

 我々の新しい組織の名称が「マルクス主義同志会」に決まったのは特徴的である。この名称は、他に提案された「マルクス主義者協会」などと争って決まったものだが、我々の今後の闘いとその性格を示唆している。

 我々はこの名称において、我々が完全にマルクス主義の思想と理論に立脚すること、また革命的サークルであって、自由主義者好みのどうでもいいサークルでないことを公然と明らかにし、ブルジョアやプチブルたちの「マルクス主義はふるくなった、その理論はすべて“間違い”が証明された、破産した、否定された」等々の世迷言に抗して立つのであり、そうした諸君に対して挑発的に「手袋を投げつける」のである。

 マルクス主義は決して古くもなっていないし、破綻もしていないのであって、反対に労働者階級の解放運動を導く、唯一の思想体系、理論体系――すなわち現在の資本主義社会の本性についての真実の認識の契機であり、労働者の階級的運動を導く唯一の科学的な体系――であることをますます明らかにしているのである。我々はこの真実を公言し、そのことをブルジョア世界の全体に知らしめようというのである。

 プチブル的俗流党派は――共産党であれ、社民党であれ、“新左翼”諸派であれ――ますます転落して、マルクス主義に対する攻撃でも否定でも何でもやればいいのだ、それは諸君をますます労働者階級とその運動から遠ざけるだけだから、諸君の底知れない退廃と“転向”――ブルジョア陣営への移行と屈服――を暴露するだけだから。

 しかし我々は労働者の階級的立場とマルクス主義の根本的な立場に留まるのであり、その原点から闘いを再構築し、発展させていくことを決意するのである。

 我々は一種のサークルに移行し、組織的に、実践的に、多くの面でこれまでと違った闘いに移っていく。

 まず言えることは、我々の新しい組織は、“普通の”、何か日常的な課題のために気楽に組織されるようなサークル、自由主義的な原理によって支配されるサークルではなく、革命的、階級的なサークル、マルクス主義的なサークルであり、その意味では、どんな“サークル主義”とも無縁である、ということである。大会は、退廃した、自由主義的なサークル主義と、断固として闘っていくことを確認した。

 組織面でも大きな再編成が行われた。中央執行委員会、中央委員会、都道府県委員会というこれまでの党諸機関はみななくなり、代わりに、中央に代表委員会(さしあたり、四名)が置かれ、また全国に三十ほどの支部が組織されるという簡素で単純なものになる。我々は、こうした形こそが現在の客観的、主体的な諸条件の中で闘っていく上で、実際的であり、“効率的”である、と結論したのである。

 こうした決定的な組織的再編や整理を見ただけでも、今回の「転換」の意義と重要性がただちに確認されるであろう。

 日常的、具体的な実践面でも大きな修正が謳われ、思想的、理論的な活動を重視し、また労働者や青年を組織するために、活発で、内容のある研究会を組織していくこと――マルクス主義の根底(“労働価値説”等々)を継続的、かつ根底的に検討し、修得していくような――が確認された。こうした研究会は、単なる「勉強会」ではなく、基本的に、労働者・青年を結集し、組織し、本当の意味で目覚めさせていく重要な一手段である。

 個々の労働運動、あるいは「政治闘争」――例えば、日の丸・君が代反対闘争など――に、我々がいかにかかわっていくか、ということも重大な問題であった。

 我々は個々の会員がそれらに積極的にかかわり、参加する意義を認めたが、しかし会としては、実際的な闘争を組織しない――しえない――ことも確認したのである。

 しかし、このことは新しいサークルに移行したからということよりも、これまでの社労党の現実であった、といえよう。

 我々の職場の、地区の同志はあれこれの組合の闘争や大会に参加したし、また地区の同志は急進派や市民主義者がヘゲモニーをもつ政治的運動に参加したが、しかしそれは党員もしくは党員のグループによる、部分的な闘争に留まり、党の指導する組織的で広汎な闘争といったものとは縁遠いものであった。我々はむしろ、こうした現実を追認したのである。

 そして我々はこれまで通りに、機関紙誌を通じて、政治的な発言や主張を継続的に行うだろうし、ある意味で、日本左翼の“オピニオン・リーダー”の役割を果たしていくだろうが、しかしそれは基本的な意味での「政治闘争」ではないこと、本当の労働者の政治闘争は大規模なデモや集会等の大衆闘争、あるいは“国政”をめぐって全国的な基盤で闘われる選挙・議会闘争にあるということを、確認するのである。

 また機関紙『海つばめ』は来年一月から、月四回の発行が、三回の発行(第一、二、四週)になるが、これもまたサークル移行に対応したものである。我々はこの面でも、いくらか“戦線縮小”を強いられたのである。

 当然、機関紙誌の内容も、革命的サークルへの移行に対応して変わっていくが、しかし明確で断固とした政治的な主張や発言は継続することが確認されている。また活発な出版活動なども展開されるだろう。

 我々は全国の読者の諸君に呼びかける、我々の階級的、原則的な闘いは不滅であり、これからもいくから違った形で継続され、さらに強力に展開されるだろう、共に闘おう、と。

 マルクス主義同志会に断固として結集せよ!